家族会議

 

 ……結局、夜凪と星那は数日の停学処分となった。


 これは名目としては、立ち入り禁止の屋上に入り込んでいた事に対する処分、という事になっている。


 担任の教師が言うには……実際には上級生が入り込んでいる事は度々あり、その際には厳重注意というやや穏当な処分で済んでいたという。

 そんな事もあって、こうして実際に処分が下るのは初めてのことらしい。


 しかし、今回の件に関しては事件となってしまったため、今は学校の周囲をマスコミが二人のコメントを求め徘徊しているのだという話だった。

 故に、被害者である二人を守るための処分なのだという事を理解して欲しい、と学校から伝えられたのだった。


 ――まぁ、加害者が教育委員会の偉い人の関係者で、示談で済ませたいという下心があるからというのもあるのだろうけれども。実際、同席して事情を共に聞いていた夜凪の父にその事を突っ込まれた担任の先生は、とても困ったような顔をしていた。




 とはいえ、規則違反は規則違反。

 数日外出を自重し、しっかりと反省するようにと最後に言葉を残して、ついでに二人がげんなりするほどには大量の課題を置いて、担任は帰っていった。


 そんな事があった翌日、二人は検査の結果異常無しとして、病院を退院する。

 その際に……大事な話があると言う二人の申し出により、急遽白山家にて夜凪と星那、双方の両親が集められていた。






「む、ぅ……では、本当に二人は入れ替わっているのだと?」


 普段は穏やかな雰囲気を纏う壮年男性である夜凪の父……白山夕一郎ゆういちろうが、さすがに信じがたいという風に、呻きながら言葉を発する。


 最近僅かに白髪が混じり始めたものの、まだまだ若々しい父だったが……今は、苦渋に満ちた険しい表情で、並んで座る夜凪と星那の方を凝視していた。


 しかし、すでに五度目となるその問いかけ。


 説明する夜凪たちも流石に辟易してきたが、夜凪としても星那としても、両親の信じられないという気持ちは理解できるため、その都度丁寧に繰り返し説明してきた。


「……俄かには信じがたいが……二人で示し合わせて謀っている訳ではないのか?」

「気持ちはよく分かるし、僕自身信じられないんだけど……何度も言うけれど、本当なんだ、父さん」

「むぅ……本当に、この可愛らしいお嬢さんの中に夜凪が居るというのか……」


 このやり取りも、すでに五度。

 今度こそ膠着状態に陥りかけた重たい空気の中……


「あ、それじゃ、夜凪には何か恥ずかしい秘密でも暴露してもらうというのはいかが?」

「ちょ……母さん!?」


 こちらは夜凪をさらに数段柔らかくしたような、のほほんとした様子の夜凪の母……白山真昼まひるが、そんな事を軽い調子で提案して来た。思わず食ってかかる夜凪だったが。


「あ、でもエッチな本以外でね。それこそ聞かれるのを予想して、先に教えて貰ってるかもしれないから」

「無いからね!?」

「えぇ、本当にぃ?」


 その呑気な風情に、がっくりと夜凪がテーブルに伏せる。


「あのさ、冷静に考えよう? 未成年の僕が、成人向けの本なんて持っているなんて大問題だよ?」

「うっ、正論……正論なんだけど、ちょっと健全に育てすぎたかしら……」


 頰に手を当てて溜息をつく真昼。

 その言葉に、周囲の皆もうんうんと頷いている。


「それの何が悪いのさ……はぁ、もう、分かったよ。クローゼットの隅にダンボールがあるんだけど」

「ふむふむ、何が入っているの?」

「なんで瀬織さんが乗り気なのかなぁ……!?」


 目を輝かせ、テーブルから身を乗り出さんばかりの勢いで期待の眼差しを向けてくる星那。その勢いに気圧されつつも、渋々答える。


「……ぬいぐるみだよ。ゲーセンで取ったのや、自分で選んで買ったお気に入りのやつも」


 恥ずかしさにそっぽを向きながら、無愛想に言う。


 実は夜凪は、なんとなく気分的に落ち着けるため、抱きつけるくらい大きなぬいぐるみが好きという趣味があった。

 しかし……中学生の時、クラスメイトに「男らしくない」と笑われて以来、ひた隠しにしていたのだった。


「あぁ……中学生になったあたりから欲しいって言わなくなったと思ったら、そういう事だったのねぇ」

「うー……」


 しみじみとした母親の言葉に、真っ赤になって俯く夜凪。


「良いんじゃない? 白山君らしくて、私そういうの好きよ」

「え、そ、そうかな……?」


 趣味嗜好の事とはいえ突然好きと言われ、暑くなった顔をパタパタ仰ぐ。

 そんな夜凪の様子を皆でひとしきり生暖かい目で見た後、ようやく真昼が率先して口を開いた。


「……分かったわ。私は夜凪を信じるからね」

「ま、まぁ真昼さんがそう言うのなら、私だけ疑っているのも良くないか。そもそも夜凪はイタズラで嘘を言う子ではないからな」

「父さん……母さん……」


 夜凪も正直、荒唐無稽な事を言っている自覚はある。

 それでも、こうして信じてもらえた事に、ジン、と胸が暖かくなった。


 問題は、先程からずっと黙って話を聞いている瀬織家の両親だが……父親の瀬織才蔵さいぞうは、黙り込んだまま腕を組んで話に耳を傾け、母親である瀬織杏那はその様子を心配そうに見つめているだけで、特に不快であるなどのリアクションを見せていない。

 星那も特に焦るような様子も無いため、おそらく大丈夫なのだろう。





「それで……私たちが認めるのはいいとして、戸籍とかはどうするつもりだ?」


 その夕一郎の言葉に、重い沈黙が落ちる。


 当然ながら、二人の精神が入れ替わりました、なんてファンタジーな話、役所の職員が信じてくれるわけがない。


 ならば、波風を立てぬためには夜凪は瀬織家へ、星那は白山家へ、お互いそれぞれ住む場所を入れ替える他は……そんな空気が流れ始めた、その時。


「それなら、私に良い考えがあるわ」


 そう言って、自信満々に挙手をして言う星那。

 この時点で、夜凪は嫌な予感しかしていなかった。


「私は、今の夜凪君が好きです。正直このままお嫁さんに貰いたいくらいです」

「……星那?」


 突然の告白に、星那の父親……瀬織才蔵さいぞうが、さすがに眉を顰め声を発する。

 しかしそれをちらっと一瞥した星那は、今度は夜凪の方を真っ直ぐに見つめてきた。


「白山君は、入れ替わってもう私のことには興味無いかしら?」

「え、いや、そんな事は……」


 夜凪としては今はまだ戸惑いが強いものの、星那のことが好きという気持ちには現時点では変わりない。

 あの病室での星那からのプロポーズも、さほど嫌悪感は無く、わりと前向きに考えてはいる。


 そんな夜凪の様子に満足そうに頷いた星那は、拳を握りしめて、言い放った。


「なら問題無いわ……私たち二人が結婚し、戸籍上は夜凪君が私の体でこちらの家に嫁入りしてしまえばいいのよ!」


 その背後にドヤァという擬音がつきそうな星那からの提案に、皆も一斉に沈黙し……やがて、夜凪以外の皆が、おお、と頷いたのだった。


「い……いやいや、何で外堀埋めに来たの!?」

「あら……白山君は、嫌?」


 そう言って、首を傾げ、顎に人差し指を当てて上目遣いに言ってくる彼女。

 それは……思わずなんでも言う事を聞いてしまいそうなくらい、可愛らしい魔性の仕草だった事だろう。


 ただし……元の星那の姿だったら。


「いや……僕の体でやられても、正直気持ち悪いんだけど」

「む……それもそうね」


 そう言って、少し考えこむ素振りを見せる星那。

 やがて……よし、と何やら一つ頷くと。


「……ひゃっ!?」


 グッと、夜凪の腕が引き寄せられる。

 華奢な体はさしたる抵抗もできず、引き寄せた星那の胸へと抱きとめられてしまった。


 ――近い近い近い!?


 眼前、吐息すら触れるような至近距離に迫る顔。

 その胸に抱きとめた夜凪の頰の輪郭を、優しく包むように撫でる手。


 唇をねぶるように触れる親指の感触に、否が応にも以前のディープキスの感触を思い出してしまった夜凪が真っ赤に顔を染め、金縛りに遭ったかのように硬直する。


 まるで乙女ゲームのスチルのような体勢のまま……星那が、夜凪の耳元で囁いた。


「白山君は……僕と結婚は、嫌?」

「〜〜〜〜ッッ!?」


 耳朶に侵入してくるそのやや低い声に、相手が自分の身体だという事も忘れ、背筋に走る痺れとともに腰が砕けた。

 慌ててバッと振り払い、ふらふらと自分の椅子に腰を落とす。心臓が、一足遅れでバクバクと暴れ出していた。


 ――誰だこれ!?


 夜凪にはできないような色気を醸し出す星那(in夜凪の身体)に、ボッと顔に血が上り、言葉を継げなくなる。


 何という事だろう、魔性の美少女が男の体に入ったら、やはり魔性のままだった。その精神的スペック差に、夜凪は更に凹むのだった。


「……というわけで、白山君は異論はないみたいですが、どうでしょう?」

「…い、いや、ちょ……まっ……」


 反論しようとするも、先程の衝撃から立ち直れず口籠る。


「つまり……夜凪はうちの子のまま、可愛らしいお嫁さんが来るという事なのかしら?」

「はい!」


 実に晴れ晴れとした笑顔で肯定する星那。

 その勢いに押されて、真昼がそれならいいかしら……と説得されかかっていた。


「あ、あの、瀬織さんのご両親の意見もちゃんと聞かないと……向こうにとっては娘さんを嫁に出すってことなんだから!」


 そう言って、先程から沈黙を守っている二人へと声を掛ける。この流されている状況を変えてくれると思って。


 しかし……


「むぅ……正直に言うと、未だ話についていけてはおらぬし、突然娘が嫁にと言われても、思う所はある」

「で、ですよね! だから、もう少し冷静に話し合って……」


 厳かに腕を組んだまま、難しい表情を浮かべそう語る才蔵に、同意しようとする夜凪だったが……


「……しかし! だが、しかしだ!!」


 苦渋に満ちた、才蔵の顔と声。

 その剣幕に、夜凪が思わず口を挟み損ねた。


「まだ小学生だった頃、結婚したい相手が自分だと言い出した時には、まぁ成長すれば意識も変わるだろうと楽観していた。だが、中学、高校と成長しても、娘の意思は固くなるばかり。正直、娘が嫁に行くことは諦めておった!」


 鎮痛な面持ちで、握りこぶしさえ握って嘆く才蔵。

 では母親の杏那あんなはというと……こちらも、「あなた……」と夫を労いながらもハンカチで目を拭っていた。




「……瀬織さん?」

「その……心配かけてごめんなさい、お父さん、お母さん」


 責めるような視線を星那へと送ると、彼女は素直に謝罪の言葉を口にした。


 流石に、この光景には胸が痛んだらしい。

 涙する両親の様子を直視できなかったらしい星那は、目をそらして心底申し訳なさそうにしていた。


「だから……私は私情を捨て、君達を応援しよう。どうか幸せな家庭を築いて欲しい!」

「ああ……諦めていたけれど、あなたのおかげでどうやら孫の顔は見られそうなのですね……ありがとうございます……!」


 終いには星那の体に入った夜凪の手を取り、おいおいと泣き出してしまった杏奈を、こちらも目に涙を浮かべながら支えている才蔵。


 その感動的ですらある光景を、ただ一人、中心にいるように見えて実は最も蚊帳の外に置かれた夜凪は、「何これ……」と呟き、呆然と眺めるのだった。

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