何故か求婚された件



「……起きて。ねぇ、起きて」

「……ん、ぅ……」


 ペチペチと、軽く頬を叩く感触。

 重たい瞼を上げると、そこには……


「……あれ、僕が居る……って、えぇ!?」


 色素が薄く細いせいで、湿気の多い日などはくしゃっと縮んでしまう癖っ毛。

 男らしくないと言われがちなやや中性的な顔には、殴られた場所にガーゼが貼ってある以外、記憶と寸分違わぬ夜凪の顔だった。


 そんな、本来真正面から見るはずがない顔が眼前にあるのを見て、慌てて飛び起きる。


 すると、パラパラと顔の横に流れる滑らかな絹糸のような感触。そこで、ようやく寝ぼけていた頭が目を覚ました。


 ――目覚めても、自分の姿は星那のままだ。


 全ては夢だったのではないか……そんな一縷の望みが潰えたのだと認識した途端に、落胆のようなものを感じるのだった。



「しー……バレたら大変よ、傍目から見たら女の子の病室に忍び込んで夜這いしている不審者なんだから」

「よ、夜這いって……」


 夜凪が周囲を眺める。

 すっかり暗闇に慣れた目は、灯りがなくとも周りを見る分には問題無かったが……確かに窓の外は真っ暗になっていた。


「あ……そっか、やっぱり夢じゃなかったんだね……」

「という事は、私の中に入っているのは白山君で間違いないのね?」

「うん……それじゃ、そっちに入っているのは瀬織さんなんだね」

「ええ……信じがたい話だけど、どうやら私たちは入れ替わってしまったみたいね」


 そんなバカな、とは思う。


 最近やけにその手のオカルトな話題……例えば空飛ぶ犬を見たとか、巨大な鎌を持った女の子が虫の大群と戦っていたとか……突拍子も無いゴシップな話題を見かけたりしていたけれど、まさか自分がその突拍子もない事態に巻き込まれるなんて、と感情が否定する。


 しかし……事実として、自分たちの身体が入れ替わっているのだ。


「その……ごめん」

「……ん? 何が?」


 なぜか、となりにピッタリ寄り添うように座って夜凪の……夜凪の入った星那の体を抱き寄せ、頬を撫で回している夜凪の体に入っている星那。やたらねちっこく感じるその触れ方に戸惑う。


「私の体は嫌?」

「嫌っていうか、瀬織さんの方が嫌じゃない? 自分の身体に、男の僕の意識が入っているなんて」

「どうして?」

「どうしてって……ほら、裸を見られたりとか、変なところを触られたりとか……」


 そこまで言って、目覚めた時に触れた胸の、ふわふわと柔らかい感触を思い出してしまい、ボッと顔に血がのぼる。


「ふぅん……白山君は、私の身体を好き放題見たり触ったりしたいんだ?」

「ち、違……っ!?」


 自分の体を操っている星那の言葉に、夜凪は真っ赤になって、慌てて体の前で手を振る。


「瀬織さんが嫌だって言うなら、トイレもお風呂も、絶対見ないように目隠しして……!」

「……それで、生活できると思ってるの?」


 呆れた、と言うように呟く星那。

 そのジトっとした半眼に、自分ってこんな顔もできたのかと、夜凪は意外に思う。


「それでも……瀬織さんを嫌な気分にさせないためなら……」


 僕は、何でも言う事を聞く……そう、言おうとしたのだけれど。


「ごめんなさい、ちょっともう限界」

「……え?」


 予想外の近さにあった顔に、思わず夜凪は硬直する。ポカンと間抜けに口を開けていると。


 両手首が、がしっと捕らえられた。


「んっ、んむ……っ!?」


 直後、口内にぬめぬめと湿った舌が侵入してくる。

 それは夜凪の小さな唇を強引に割り開き、好き放題口内を蹂躙し、唾液を奪いとり、犯していく。


 うまく呼吸ができず、酸素が足りないせいか、あるいは口内を撫で回す未知の感覚のせいか、頭が霞がかったように朦朧としていく。


「もっ、むぃ……っ」

「ん、ちゅ……駄目、逃がさない」


 自分の顔のはずなのに、全く見たこともないような妖艶とも言える表情で、ニタリと笑う星那の意識が入った自分の身体。

 ゾクリと背筋に悪寒が走り、逃げようと頭を引こうとするも……左手を離し後頭部に添えられた手がそれを許してくれず、逆にさらに深く舌を捻じ込まれる。


 ――女の子の体って、こんなに弱いの……!?


 愕然とする。力が違い過ぎて、抵抗できない。


 夜凪が入っているのは、星那の小さく華奢な体。

 それと比べ、夜凪の体は骨格は太く頑健で、それを動かしている筋肉量の差も明白だった。


 夜凪は友人への憧れから多少の筋トレくらいはしていたが、それでも女の子と間違えられるくらいに線の細い少年だったというのに……だ。


 ろくな抵抗もできないまま行われる、貪る、という形容がしっくりくるその濃厚なディープキス。

 息苦しさから滲んだ涙が目から溢れて頬を伝い、ピク、ピクッと夜凪の意識の制御から離れた手足が痙攣し、跳ねる。


 そうして数分に渡り口を吸われたあと……ようやく、舌が口内から抜き取られた。

 ちゅぽん、という間抜けな音と共に、つぅ……っと二人の口を繋ぐ唾液の糸が、淫靡な曲線を描いて垂れ落ちる。


「はぁっ……はぁっ……ふぅ……っ」


 ようやく解放され、喘ぐように酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。


「酷いよ……こんな、いきなり……」


 想い人の身体で、しかも相手が自分という予想外の状況でファーストキスを済ませてしまった夜凪が、口を抑えてよよ……と泣き崩れる。



 その頬をつっ……と伝う涙を、星那の入っている自分の体の指が、そっと拭った。


「……やばい。白山君の入った私、凄く可愛い」

「え、ちょ……んん……っ!?」


 明らかに、正気を欠いた目をした星那に、再度唇を蹂躙されるのだった……







「……と、いうわけで。私が、私の体にあなたが入っている事を嫌と思っていない事は理解してもらえた?」

「はぁ……はぁ……それは、もう……嫌というほど……っ」


 どちらのものとも分からぬ涎で顔をぐしゃぐしゃにし、ぐったりと、息も絶え絶えになりながら、どうにかそれだけを絞り出す。

 長時間に渡り口内を嬲られたせいか、すっかり腰砕けとなり、呼吸が整わねば起き上がれそうもない。


「あぁ……上気した顔に、潤んだ眼、たまらないわ。ごめんなさい、またムラっと来たからもう一回」

「待って、話が進まないし、これ以上は僕が保たないから!」

「……そうね、ごめんなさい」


 しゅん、としてしまった、星那の入った夜凪の体。

 その様子は、大好物をおあずけされた犬のようだ。


「……もしかして、瀬織さんの一番好きな人って……」

「もちろん、私自身の事ね。私は、私の外見が一番好きな……ナルシストの」

「そっかぁ……それで僕は失恋したんだね……」


 ガックリと肩を落とす。

 残念ではあるけど……我ながらどうかとは思うが、ほかに好きな男性がいるわけでは無い事に、自分勝手な安堵を抱いている自分が居た。


「でもそれだと、余計に嫌だよね。僕なんかがこの瀬織さんの体を動かしているなんて」

「んー……まぁ残念だけど、こうなってしまった以上、元に戻る方法も分からないし……」


 何せ、どうしてこのような人智の及ばぬ事態になっているのかすら分からないのだ。元に戻る方法など、想像もつかない。


「それに……あなたなら、きっとその私の身体も大切にしてくれるって信じられるから、構わないわ」


 惚れた女の子の体を手荒になんて出来ないでしょ、君。そう悪戯っぽく笑われる。


「だからって……」

「ええ、もちろん条件はあるわ。それを守ってくれるのであれば、その私の身体はあなたの好きにして構わない」


 その言って腕を組み、仁王立ちで夜凪の前に立つ星那。

 その表情は……おそらくは長年の欲求を満たせる可能性が出てきた事に、いっそ、喜色に溢れんばかりだった。


「……あなた、責任を取って私と結婚なさい」


 そう、宣ったのだった。

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