急転

「それじゃ、こんな場所に居たのは……」

「ええ、家の鍵を忘れてしまって。親が帰って来る時間まで部室で時間潰しをしようとしていたんだけど……」


 ところが、その候補だった文芸部の部室へ向かう途中で、今朝揉め事を起こした例の先輩がうろついていたのを見てしまったのだ、と。


 身の危険を感じ、その先輩が諦めるまで時間を潰そうとしてこんな場所に隠れていたところを、夜凪が見つけてしまったらしい。


 夜凪と並んでベンチに座った星那は、困ったように苦笑して、このような校則に抵触しそうな事を行なっていた事情をそう語る。


「そっか……大変だね」

「ええ、だけどもう慣れたわ。それに白山君が来たのはびっくりしたけど、ちょっと安心した」

「それは……僕なら危険は無いって?」

「さぁ?」


 面白がってこちらを見つめている星那に、夜凪は少しむくれてそっぽを向く。


「それで、ここが立ち入り禁止なのって、どうしてだと思う?」

「さ、さぁ……分からない、です……」


 悪戯っぽい顔で問いかける星那に、夜凪はしどろもどろになりながらもどうにかそう返す。


「何年か前にね、えっちしてたカップルが居たんだって。授業サボって」

「……ぶっ!?」


 星那の爆弾発言に、思わず咳き込む夜凪。

 そんな事を言われれば、いくら夜凪が草食系と揶揄されるといっても、思春期の少年特有のリビドーにより思わず情事の光景をイメージしてしまう。


「何、そんな真っ赤になって。初心うぶなのねぇ?」


 クスクスと笑う彼女。

 その様子に、からかわれたのだと知ってがっくりと肩を落とす夜凪だった。



「そ、そそ、そんな事言われても、女の子にそんな事言われたら緊張するよ……!」

「何、期待しちゃった?」

「そ、そりゃ、まぁ好きな人に言われたら……」


 焦りまくりながら思わず口に出して……今、やらかした事にすぐに気付き、口をピタリと閉ざす。が、時既に遅い。


「あ、えっと……」


 ダラダラと夜凪の額に冷や汗が流れる中、星那が警戒したようにススっと離れていく。その目に他者へ向けるのと同じ警戒の色が浮かんでいるのを見て、ぐっと胸が締め付けられる思いがした。


「……ごめん、困らせるつもりは無くて! 瀬織さんはこういうの嫌みたいだから、言うつもりは無かったんだけど……!」


 故に、まくし立てるようにそう言い、逃げようとして……踵を返そうとした足が、止まる。




 ――本当に、これで良いのか?




 ここで逃げてしまえば、以降二度と彼女との接点は無くなってしまう。再度想いを伝える機会も二度と訪れず、仕方がないのだと、この初恋を諦めていくだけになる。


 だったら……せめてきちんと想いを伝え、玉砕した方がずっと良いはずだ。


 ――そう思った時にはもう、口が動いていた。


「……瀬織さん」

「あ……うん、何?」


 雰囲気の変化を察したらしい星那が、姿勢を正して聞く体勢を取る。

 それを見た夜凪は、数回深呼吸した後、口を開いた。


「僕も……僕は、瀬織さんの事が好きです! 入学式の日からずっと……いえ、今はあの時よりももっと!!」


 そう言い終えて、はぁ、はぁ、と息を切らせる。


 言ってしまった。想いの丈を、全て。

 極度の緊張により僅かに涙の滲む視界の先、星那はしばらく驚いた様子で目をパチパチと瞬かせていたけれど……やがて、ふっと微笑んで口を開いた。


「……びっくりした。まさか白山君が、面と向かって告白してくるなんて」

「あ、あはは……僕も、びっくりしてる。心臓はバクバク言ってるし、膝もガクガクだよ」


 ほら、と実際に細かく震えている膝を指差す。

 それを見て「あら本当」と呟いた彼女と二人、苦笑を浮かべ合う。


「白山君は、私の通学路にある神社の人よね。時々、朝早くから境内の掃除をしているのが見えるもの」

「う、うん……うちはお爺ちゃん達が早世してしまって人手が足りないから、中学あたりから自然と両親を手伝うようになって……」

「そっか、白山君はご両親思いなんだ、偉いね」

「そうかな……」


 好きな子からの賞賛に、照れて頭をかく夜凪。

 その様子を、優しい微笑みを浮かべ眺めていた星那だったが、やがてその表情を引き締め、姿勢を正す。


「……真面目で、優しい、いい人。私の耳に入ってくる白山君の評価はだいたいそんな好意的なものばかりで、実際に何度か話をした私も、それは間違えていないと思う」

「そ……そう……?」

「うん。それに……いざという時は、人のために行動できる勇気ある人。君は、とても立派な男の子だと思うよ」

「え、それって……」

「まぁ、自信が無いのがちょっと玉に瑕だと思うけど」

「うっ……そ、そうかな……」


 最後の厳しい指摘に、言葉を詰まらせる。


 しかし、想いを寄せる少女からの、突然の賞賛。

 その言葉に、ジンと胸が熱くなるのを感じる。


「だから……白山君の事は、好ましいと思っているの。それは、本当」


 夕日を背景に、綺麗な、本当に綺麗な笑顔を浮かべた星那のその言葉に、バクバクと胸が高鳴った……もしかしたら、と。しかし……




「……だけど、ごめんなさい」




 ゴメンナサイ。


 一瞬、言われた事が分からなかった。

 しかし、時間差を置いて、じわじわとその意味が浸透してくる。


 あぁ、これが……失恋なんだ、と。


「さっきも言ったけれど、君の事は好ましく思っているの……多分、学校では二番目に」


 

 彼女の隣に立つ権利があるのはただ一人だけな以上、それは、残酷なまでに明確な、拒否の言葉。


「私はずっと昔から、一番の好きは決まっているから……だから、ごめんなさい」


 そう言って、深々と頭を下げる星那。


 一度はもしかしたらと期待した分、そのショックは大きかった。

 だけど……他の人がにべもなく断られたのに対し、自分に対しては真摯に断りの返事をしてくれたのだ。それは、彼女なりの誠意に違いない。


 だから、それだけで満足だと自分に言い聞かせ、泣きそうになるのをグッと堪える。


「そっか……うん、それならしょうがないね。ごめんね、気まずい思いをさせちゃって」


 涙が溢れ落ちそうな涙腺を必死に締め、どうにか笑顔で返答する。


 これで……淡い初恋は終わり。



 ――その筈だった。



「見つけたぜぇ、瀬織星那ぁ……!」


 突然聞こえてきた声に、二人で慌てて立ち上がる。


 ――瀬織さんが、逃げていたわけだ……!


 その常軌を逸した様子に、夜凪がゴクリと唾を飲む。隣をちらっと見れば、星那も顔を青ざめさせていた。




 ……この先輩に対する、悪い噂二つ目。


 親が道の教育委員会でそれなりの立場にある人物で、過去に女生徒絡みでいくつか問題を起こしたにもかかわらず、大した処分も無かったという。




 そんな彼は……星那にこっ酷く振られた事が、いたく気に入らなかったらしい。


「白山君、あなたは無関係よ、いいから逃げて」


 星那が、夜凪の袖を引いてそんな事を言う。

 たしかに、自分の彼女だというならばともかく、今の夜凪はこの少女に想いを告げ、恋破れた他人だ。そんな自分に、彼女を助ける義務は無い。


 だが……


「瀬織さん、なんとか隙を見て逃げてください」

「白山君……?」


 訝しむ彼女を庇うように、背に庇う夜凪。

 そんな二人へと向けて、一歩ずつ威嚇するように近寄ってくる先輩。

 それを十分に引きつけ……懐に飛び込むように、脚の筋力を限界まで使い全力で一歩飛び出した。


「う……わぁぁあああっっッ!!」

「なっ……あガッ!?」


 技術もへったくれもない、ただの体当たり。

 だが、効果が薄いと思っていた日々のトレーニングは火事場の馬鹿力を発揮し、予想外の反撃に上級生がたたらを踏む。


「瀬織さん、早く逃げ……」

「こっ……のガキぃ!!」

「……ぐっ!?」


 目の前に、真っ白な火花が散った。

 頰に、灼けるような熱を感じる


「……白山君!?」


 普段聞いたことがないような、慌てた様子の星那の声に、ようやく殴られたのだと理解する。


「ヒーロー気取りはもうちょっと強くなってからやるんだなぁ、中坊から上がりたてのひ弱なガキがぁ!!」


 ドン、と腹部に激しい衝撃。息が出来なくなり、足から地面の感触が消える。

 浮遊感の中、思い切り蹴飛ばされたのだと理解した直後……ガシャンとけたたましい金属音と、背中への衝撃。


 フェンスに背中から衝突し、どうにか足が床についたと思った、その時。




 ――パキン、と、金属が割れた音が嫌に響いた。




 それが致命的な音だと理解する間も無く、背中を支えてくれていたフェンスの感触が、フッと消える。


 すぐ側の星那と、蹴った先輩さえも驚愕に顔を真っ青にするのが視界端に映る中、視界がゆっくりと九十度入れ替わり、目の前一杯に広がるのは夕焼けの朱に染まった空。


 体を支えてくれる物は、何も……床すらも無かった。


 ――落ちる……!?


 そう理解しても、もはや何もできない。

 その途中、手首を小さく柔らかな手が掴む感触と共に一瞬だけ重力に対する抵抗があったが、それもすぐに消えた。


 そんな中、視界の端に掠めたのは、黒い髪の毛。

 背を冷たい物が伝う。彼女の姿も、空中にあった。


 ――ダメだ、せめて彼女だけは……っ!!


 引き伸ばされたような時間の中で、そんな一心による火事場の馬鹿力か、このような状況の中にあって奇跡的に身体が動いた。

 必死に、すぐ横の空中にあった、自分の手首を掴んでいる小さな身体を引き寄せて、すっぽりと自分の身体で包み込む。


 直後、今まで感じたことも無いような衝撃と共に、意識は真っ暗な闇へと沈んでいった――……

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