高嶺の華

 

「瀬織さん、一目見た時から好きでした、俺と……!」

「ごめんなさい、今は誰ともお付き合いするつもりはありませんので」


 それは、一刀両断と言うのが相応しい、見事なお断りの返事だった。




 放課後、掃除当番の仕事で教室前の廊下を掃き掃除していた夜凪。

 その眼下で繰り広げられていたのは、この二カ月ですっかり見慣れたそんな光景。


 最初の頃は、呼び出されれば律儀にそこへ向かいお断りの返事をしていたらしい星那。

 しかしいい加減に辟易していたのか、最近では無視が基本となっているらしい。


 そのため、現在では所構わずこうして人目も憚らず突撃しては玉砕する光景が、時折学校のそこかしこで見られるのだった。




 今回は、どうやら部室へ向かう途中を狙って突撃したらしい男子生徒が、玉砕して膝から崩れ落ちていた。


「今日も大変だなぁ瀬織さん。二回目だっけ」


 夜凪の見ていたものに気付いた、一緒に掃除をしていた男子生徒が、そんな事を尋ねてくる。


「う、うん……今朝は、ちょっとタチの悪そうな上級生だった」

「そいつはまぁ……彼女くらいになると、美少女ってのも大変だ」


 夜凪の肩に肘を置いてその視線の先を覗き込みながら、彼は多分に同情のこもった声で呟く。


 短く刈り込んだ髪に、細身ながら鍛えられがっしりとした、やや大柄な身体。

 スポーツマン風のイケメンと言えるその男子生徒は、夜凪の親友の九条くじょうりくだった。


「普通に考えれば、これだけ鉄壁って噂が立ってる超の付く美少女が、初対面の相手の告白を受けるとは思えないんだがなぁ」

「まぁ、万が一の可能性に賭ける気持ちはわかるけど……」


 しかし、話をした事もない初対面の人が告白してきて、それに了承を出すだろうかと夜凪も思う。


 それが成立するとしたら……


 恋に恋しているような相手か。

 告白してきた相手がよほど好みだったか。

 元々、告白してきたその人が好きだったか。


 少なくとも、あの「瀬織星那」という鉄壁の美少女にはいずれも当てはまらないだろうと、そう思う。


「そう言う陸は、興味ないの?」

「あー、綺麗だとは思うけど、俺はいいや。高嶺の花は見上げて鑑賞するので十分だ」

「そう……だね」


 さばさばと割り切った陸の言葉に、躊躇いながらも同意する。


「それに、俺は彼女居るしな!」

「あはは、爆発したらいいんじゃないかな?」


 唐突な自慢に苦笑しながら毒を吐きつつ、集めた埃をちりとりで集める夜凪だった。


 ――陸は、とても仲の良い彼女が居る。


 なんでも小学校の時、空手教室に通っていた時に隣で行われていた剣道教室に通っていたその彼女と出会ったらしい。

 その後、中学生の頃に夜凪が仲介となって二人は想いを伝え、以来付き合っている。

 それ以降、感謝した陸は夜凪を親友と呼ぶようになり、こちらも今に至る。


 余談ではあるが、彼に憧れて夜凪も帰宅後にランニングや筋トレを行い始めたのだが……残念ながら、体質なのかその成果はあまり芳しくはなかったりする。


「そういえば……美少女といや、彼女がこの前、去年の冬あたりに騒ぎになった小学生モデルらしき女の子を街で見たって興奮気味に騒いでたなあ」

「へぇ……あのS市にあるロリータファッションの会社の? 一時はCGじゃないかって言われてたよね、あの子」

「相方の黒髪の子は聖薇せいらの子らしいぜ、あいつの情報によれば。多分そこの附属小なんじゃないか?」

「うわ、本物のお嬢様だ……」


 そんな感じに駄弁だべりながら、掃除に勤しんでいた二人だったが……気がつけば、結構な時間が経過していた。


「……あ、悪い! 部活に遅れそうだから、あとは任せていいか!?」


 ふと時計に視線を滑らせた陸が、慌てて掃除用具をロッカーに仕舞い始める。


「あ……うん、あとはごみ捨てだけだから大丈夫。また明日ね」

「すまん、助かる! この礼はまた今度、精神的にな!」

「あはは、もともと期待してないよ、部活頑張って」


 そう調子の良い事を言って自分の鞄を引っ掴む陸に、笑って返事をする。最後にもう一度頭を下げて、彼は教室を飛び出して行った。


 一人になり、すっかり静かになった教室の中……


「高嶺の花、かぁ……そうだよね……」


 夜凪は一人、先程の会話を反芻し呟いた。


 手が届かないのであれば、せめて鑑賞できる位置だけでも確保していたい。


 その想いは、夜凪が彼女を一目見た時からずっと抱えていたものだ。

 そして……やがて、そんな想いも風化し別の恋を見つけ出して、つつがない人生を歩んでいくのだ。



 ――本当に、それで良いのだろうか。



 突如、胸に湧き上がる寂寥感。

 それを首を振り追い出して、塵取りに集めた塵をゴミ箱へと落とす。


「……遅くならないうちに捨てて来よう」


 そう何となく呟いた独り言は……果たして、何の事だったのか、夜凪にも分からなかった。






 焼却炉にゴミ箱の中身を捨て、教室に帰ろうとした時……ふと視線を上げた先で「それ」に気付いたのは、ただの偶然だった。


「あれは……」


 小柄な女生徒が、人目につきにくい位置にある窓をひらりと乗り越えて、屋根伝いにどこかへ歩いていく。あれは……


「……屋上?」


 外壁に沿って設置された非常階段を、カン、カンと軽やかな金属音を上げて登っていく女生徒。その姿は……すぐに、校舎の上へと消えていった。


 ……あんな場所から登れたのか。


 普段は鍵をかけられていて立ち入りできないその場所。そこに消えていった女生徒に興味が湧いた夜凪は……しばらく悩んだ末に、手にしたゴミ箱を元の場所へと戻すと、その後を追ったのだった。





「へぇ……こんな風になってたんだ」


 はじめて足を踏み入れた校舎の屋上は、予想していた殺風景な光景とは異なり……ちょっとした庭園になっていた。


 木板を張り巡らされた床の上にはいくつか転々と観葉植物が植えられ、その鉢と一体化する形で設けられているベンチ。

 今日は良く晴れていて、まだ初夏ということでそこまで暑くない中、良い風が吹いている。


「……こんな整備されてるなら、開放すれば良いのに。勿体無いなぁ」


 なんとなしに呟いた、その時。


「――なんでだと思う?」

「うわぁああ!?」


 突然背後から聞こえて来た少女の声に、咄嗟に振り向きつつ後ずさろうと欲張りな行動をとろうとした結果……


「うわっ!?」


 夜凪は足がもつれ、バランスを崩してフェンスにもたれるようにして尻餅をついてしまった。


「……ったぁ」


 強かに尾骶骨を打ち、痛みに身動きが取れず座り込む。そんな夜凪の前から、陽の光が遮られた。


「……何、やっているんですか、あなたは」


 そう言って、僅かに驚いた表情で座り込む夜凪を覗き込むのは……まさについ先程話題にしていた少女、星那。

 さすがに驚かせてしまった事に対する自責の気持ちがあったのか、心配そうにして間近で顔を突き合わせるその美しい少女に、夜凪の顔がみるみる真っ赤になる。


 星那は、小柄ではあるものの、身体の起伏は豊かな少女だ。


 そんな彼女が屈みこんでこちらを見ている今……夜凪の眼前には、その制服を押し上げ膨らんでいる胸が間近に映っているのだ。


 これを慌てるなというのは……少々、思春期の男子高校生には酷というものだろう。


 結局、夜凪が落ち着くまでには、打ったお尻から痛みが退くのと同じくらいの時間を要するのだった。


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