「命の音」


 命の音を聞いた。それは不意に訪れた。そして壮大でもなければ美しくもなかった。それはどろどろとした、顔を背けたくなるような腐臭を放つ、ひどく醜い音だった。

 私は彼を愛してはいなかった。彼は私を好きだったろうと思う。しかしそれは到底、愛と呼ぶには及ばないものだったろうし、私も期待はしていなかった。当たり前なのだ。彼と私は無関係な他人と言っても差し支えない、その気になれば関係を断つこともそう困難ではない程度の関係だったのだから。

 しかし私は、愛してもいない彼に多くを求めた。私が笑えば笑い、私が塞ぎ込めば彼が微笑むことすら許さなかった。彼の世界が私を中心に回らなければ気がすまなかった。彼が人であれものであれ、私以外の何かを私よりも優先するような事態が起こることは許されなかったのだ。

 感情とは恐ろしいもので、理性の声など届かない。私は自身の身勝手さに気が付いていた。制御できない、彼を絶対的に私という存在に服従させたいという欲望、その物狂おしさを宥める論理的な思考回路は押しやられ、機能することすら忘れていた。

 手に入ればつまらないものだと知りながら、どうしても彼が欲しかった。手に入れるというのは無論、精神をこの私の手中に収めるということであって、彼がどこにいようと何をしていようと興味のないことだった。その心さえ手に入るのなら。彼が私の一挙一動に心を乱し、応えてさえくれたらと。

 それは随分、醜い感情だった。愛には及ばず恋ですらない。そうした大層な感情にも至らない、ただ彼を自分の一部と錯覚しているような自分の意識の動きに、己すら唖然とするばかりである。しかし確かに、私は命の音をそこに見出したのだ。

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