Misplaced Suspicions
週末がやってきた。僕は詩音に会うため、彼女の家の近くまで電車で足を運んだ。街中をぶらぶらした後、僕たちは駅地下のカフェに入って2人だけの時間を過ごすことになった。この日は大学がない日だったから、夜までゆっくりとした時間を心ゆくまで楽しむことができる。
向かいに座っている詩音は、先ほど一緒に撮ったプリクラを嬉しそうに見ていた。彼女の表情はその写真を見るたびに明るく輝き、僕の心も温かくなる。しかし、その幸せな雰囲気の中で、僕の心には小さな不安がひっかかっていた。
「あの……さ、カイからアプローチを受けたりは……」
「え?」
詩音はぽかんとこちらを見た。
「いや、なんでもない。ごめん……」
咳ばらいをして椅子に座り直した。
僕の中である仮説――それは嘉一が詩音のことが好きだということだ。嘉一は今までそんなそぶりを見せていなかったがファミレスの一見を経て、今まで僕がそれに気が付いていなかっただけではないか、と思った。だとしたら、詩音に個別にアプローチがあってもおかしくはないと、少し探りを入れてみたが……この問いかけは、詩音にとっても、そして僕にとっても良くないと気が付いてすぐに取り払った。
詩音は何かを思い出したようにバッグから袋を取り出して、僕に差し出した。
「俐一君、これ」
「なにこれ」
袋の中を覗くと、太めのサイズの筆が出てきた。
「俐一君は水彩画だよね。最近ボロボロって言ってたから……」
「えぇ、いいの……?」
うん、と詩音はにっこりとして言った。
筆を手に取ると、その重量と質感がその高級さを物語っていた。筆の柔らかく滑らかな毛質は、絹のように手触りが良い。軸は上質な木材で作られ、深い色合いの漆仕上げが施されていた。軸の中心部分に横に入っている細い線は独特なデザインだが、筆の美しさを損なわず、良い意味でのアクセントとなっている。
「こんな高級そうなもの……」
「今月は残業頑張ったから。……それにこの前ファミレス、ご馳走してくれたし」
詩音は少し恥ずかしそうに言った。
「ありがとう、大事にするね」
僕が前に言った些細なことを聞き漏らさずにこんな風にプレゼントをしてくれる。最高の彼女だと思う。でもこの筆はどちらかというと、使うというよりは観賞用になるだろう。そっと自分のバッグにしまい、残りの時間を詩音と過ごした。
そして時間になる。夜に入れていた僕のバイトの時間。時計が迫り、そろそろお開きの時間だ。
「そろそろバイトの時間だから行かなきゃ」
「あっ……もうこんな時間」
詩音の声はどこか不安げに響いた。
「僕と離れたくない?」
「……もう子供じゃないんだよ。そんなわがまま言ってられないよ」
「僕のバイト先にお酒飲みに来る?」
「……」
冗談交じりに言ったが、詩音は目を伏せてしまった。
「……どうしたの?」
「ううん、ごめんね。俐一君と一緒にいるとあっという間だって思って……。バイトの邪魔したくないし大丈夫。こっちまで来てくれてありがとうね」
詩音がそう言ったその時、テーブルに置かれた詩音の携帯が微かに振動した。ギラリと見えた携帯画面には「非通知」の文字があった。詩音は一瞬瞳を細め、そそくさと携帯を自分のバッグへとしまい込んだ。
「……出なくて良いの?」
「あ……うん、大丈夫」
「非通知だったけど……」
詩音は一瞬、言葉を失ったように見えた。唇が固まっている。
「ねぇ、その電話、出ても良い?」
詩音は何も言わずに顔を伏せた。僕は詩音の沈黙を許可ととらえ、彼女のバッグから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。しかし、僕の指がボタンに触れる寸前、電話は切れてしまった。
「切れちゃった」
「……」
詩音は不安と恐怖の入り混じった表情をしていた。何かいやな予感がする。
「詩音。僕に何か隠してる?」
彼女は少し考えた後、口を開いた。
「あの……最近非通知で、無言電話が最近かかってきて……」
「いつから?」
「今週の月曜日、から……」
月曜日というと、僕たちが4人で一緒にファミレスで食事をしていた日だ。詩音に絡んできた俊介という男が頭に浮かんだ。
「ファミレス行った日だね。……ねぇ、俊介って奴いたよね? 連絡先交換してた。そいつじゃないの」
「いや、俊介君は……」
何か言いたげにもごもごとしているが、詩音はそういう子だ。優しさゆえに、いつも人を庇う。
「……ちょっと携帯借りるね」
「え、待って、俊介君はっ――!」
遮られる前に連絡先から俊介と思われる連絡先を見つけ、僕はその番号に電話をかけた。通信音の後、電話の先で、若干驚いた声が聞こえてきた。
『もしもし!?』
「こんばんは」
淡々と挨拶をすると、電話の向こうの「俊介」は男の声に混乱している様子だった。
『え……誰? 男? 詩音……じゃないっすよね?』
あぁ、イラつく。このヘラヘラした態度で詩音に近づいてきたこの男が非通知の犯人だとしても、そうじゃなくても嫌いだ。この際、もう言いたいことを言う。
「陰湿で姑息な奴はモテないよ」
『え……? え、まじで誰? 詩音の……彼氏?』
電話口の相手の声が明らかに困惑していることが分かった。確信に近い疑念が頭をよぎる。やっぱり犯人はこいつだ。僕は、彼が詩音をこれ以上困らせないように、きっぱりと宣言した。
「詩音のこと困らせるようなことは今後絶対しないでね。ケツの穴にテキーラ突っ込むよ」
言い終わると同時に僕は電話を切った。心臓がドキドキと速く鳴っているのを感じながら、彼を着信拒否のリストに入れた後、携帯を返した。
「ごめんね、携帯返す」
「俐一君……」
「またかかってきたら言って」
詩音の顔を直視せず、小さなため息を漏らした。「俊介」という男にはもとから不快感があったし、ガツンと言えたのは満足だった。しかし、これから先を考えると……否応なく不安が募る。詩音の親が彼の家族と仲が良いことを考えると、彼が強力なバックボーンを持っていて、何かしてくるかもしれないという不安がある。正直、詩音の前で無理に背伸びをしてしまった感じがする。僕は嘉一に比べ、力もなければ将来の展望も不透明だ。そんな僕より勝る嘉一が詩音に興味を持っているかもしれないと考えると、焦りもある。
詩音を僕は守れるのか。男なら守るべきだ。……僕はこの先も詩音と付き合う資格があるのか。
手放したくは――ない。苦しい。
ぼんやりと流していたことと、本格的に向き合わなければならない時が来てしまった、と思う。僕はバイト中、ずっとこのことについて考えていた。
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