Fading Trails Of Smoke
月曜日。週に1度、必修授業の関係で嘉一と一緒に家を出なければならない日がある。それが今日だ。嘉一との関係はあの日以来、相変わらずで、言葉は交わすもののどこかぎこちのない空気感だ。
「じゃ、僕喫煙所でタバコ吸ってから行くから」
曲がり角――病院へ続く道の方に身体を向けた。
「駅まで我慢できないのかよ」
「車がガソリンないと走れないのと同じことだよ」
「なんでこのタイミングで急にガソリン切れ起こすんだよ。……エバに会いに行くのか」
嘉一は呆れ顔で僕に尋ねた。
西村君が言ったのか、僕が言ったのかは覚えていないが、嘉一は希翼が入院していることを把握していた。
「タバコって言ってんじゃん」
この先は病院に向かう方向だ。希翼に会いたくないと言ったら嘘になる。でも、自分から会いに行くのは勇気がいるし、行く行かないは今はさほど重要ではない。
僕は今、1人になりたいという気持ちで動いている。毎週の習慣で、一緒に家を出たものの、彼女を狙っているかもしれない男と並んで歩くのが不快だったのだ。
「それなら駅の喫煙所で良いだろ、ここからそんな距離変わんないんだから」
「あそこタバコ臭くて無理」
「喫煙所なんてどこもタバコ臭いだろうが。……そんなにエバに会いに行きたいわけ?」
「は? 違うし。カイこそなんなの、僕がいないと一人で駅にも行けないわけ? メンヘラ?」
「はぁ……もう面倒くせぇ。勝手にしろよ」
「そうさせてもらう。ついてこないでね」
嘉一に背を向けて歩き出す。彼がついて来ていないことを確認して、短く息を吐きし、軽やかな気分で残酷な天使のテーゼを心の中で歌いながら目的地を目指した。
喫煙所に着き、タバコに火をつけた。立ち上っていく煙の先を追いかける――ふと希翼のいる病室の方を見てみた。窓から彼の姿は見えないが、彼は今何をしているんだろうか。……せっかくここまで来たんだし、少しだけ顔を出しても良いんじゃないか、と思えてくるがまたあの時のように煙たがられるのではと思うとやはり勇気が出せない。別れ間際に「また来るよ」と言ったものの、彼の表情は少し曇っていたような気がして……。
タバコを吸いたくてここに来たわけではない。結局、こんなものは口実のために過ぎなかった。灰皿にタバコの灰を落としたところで、目の前に人影が現れた。
「おー、やっほ!」
高めの少し聞き覚えのある声。声の主は希翼の姉だった。
「あ……こんにちは」
希翼のことを考えていた矢先、希翼と血を分けたお姉さんに会えたことで少し心が躍った。
「コーヒー一気飲み男!」
「はは、そんな覚え方。でも一気飲みは得意ですよ、お酒でも何でも」
「まーじ? それめっちゃすごい。今度やってよ」
「今何か飲み物を持ってるならやってあげますよ」
「一応水があるけど……ちょっとこれは飲まれたくなーい!」
「あらら、それは残念」
「ところで……どうしてここにいるの?」
きょとんとした顔で尋ねられて言葉に詰まる。
「それは……」
「ふふ。ねーね、連絡先交換しようよ」
希翼のお姉さんはスマホを片手に顔を覗き込んできた。
「え?」
「希翼、携帯解約しちゃったみたいだから、もしなにかあれば私が連絡係になるよって意味で」
「そうですか……えっと、はい、じゃあ」
QRコードを読み取って連絡先を交換する。
「名前、俐一っていうんだ! なんかカッコ良いね!」
「そうですかね……。ビンゴ大会なんかあるとその場に居づらくなるのが難点です。あなたは……これなんて読むんですか?」
「
希翼のお姉さんはニコッと笑った。その顔はどこか希翼と似ていて、親近感が湧いてくる。
「えぇ、素敵。名前覚えるの苦手なんですけど、これはすぐ覚えられそうです」
「やったー! 覚えて覚えて」
芯珠さんはおどけたように笑った。
話を聞くところによると、芯珠さんは展覧会などを運営する会社で働いていて、職場がここから近く、仕事を抜け出しては希翼の見舞いに行っているようだ。
その場でしばらく談笑していたが、僕がタバコの煙を大きく吐き出したところで芯珠さんは軽くせき込んだ。
「あ……煙、ごめんなさい。消します」
灰皿にタバコを押し付けて火を消した。
「いいよ、ここ喫煙所だし吸ってても……ってもう消してるし! ……まぁ、でも目の前で吸われるとちょっとソワソワしちゃうのが正直なとこではあるんだけどねぇ」
煙にソワソワ……
「……芯珠さんも吸ってたんですか?」
「うん……まあね。最近辞めた」
「よく辞められましたね」
「弟があぁだからさ……吸う度に罪悪感みたいなの感じちゃって……」
芯珠さんは希翼の病室の方を見た後、こちらを見て苦笑いした。
「……」
タバコに関する器官といったら真っ先に思い浮かぶのが――肺。このまま、話の流れで芯珠さんに希翼の病名を聞いてしまおうかと喉から言葉が出かけるが、それはやめておいた方が良いんじゃないかともう1人の自分が制御してしまっている。聞くか、聞くまいか――。
そんな中、芯珠さんはこちらを見て言った。
「ねぇ、俐一は希翼に会いにきたの?」
「いや、えっと……」
「会ってあげて欲しいな。きっと喜ぶと思うから」
「……」
「お願い、俐一」
「……はい」
懇願されるような言い方に僕は頷くしかなかった。
芯珠さんがそう言うなら。時計を確認する。少しの時間なら大丈夫だ。促されるまま、僕は1人希翼の病室を訪ねた。
「俐一……」
何かをノートに書いていた希翼はノートを閉じて横に置き、僕を見て微笑んだ。
歓迎、されている。僕は嬉しくなった。
「さっきお姉さんに会ったよ。芯珠さんに」
「そっか、何か変なこと言ってなかった?」
「何も。なんか……天真爛漫な感じだね、お姉さん」
「うん……ボクとは正反対な性格してる。なんでだろうね、姉弟なのに」
「はは、僕もカイと正反対ってよく言われるから気持ち分かるよ」
「確かにね。……嘉一はもう退院したの?」
「うん。もう包帯も取れたよ。全治3か月って言われてたのに、アホみたいな回復力で笑っちゃうよ」
「はは、嘉一はそういうところあるよね。そういえば体育の授業でさ、嘉一が――」
僕たちはなんてことない思い出話に花を咲かせた。
青色の光が差し込む朝の病室は静かだった。遠くの廊下からは、看護師の足音や、他の患者との静かな会話の断片が聞こえてきた。空調の音とそれらの音が組み合わさって、安定したリズムを奏でているようだ。
希翼との何でもない時間、何でもない会話だがこうして一緒の空間を共有できていることで僕の心は満たされているということに気がつく。
時計を確認すると、もう出なくてはならない時間になっていた。あまりにも速すぎる時間の経過だった。
「……大学の講義があるからもう行かなくちゃ。顔見れて良かったよ」
「そっか。頑張ってね」
「ありがとう、じゃあまたね」
「ねぇ、俐一」
名前を呼ばれ、僕は足を止めて振り返った。
「……もう来てくれないんじゃないかと思ってたから……嬉しかった」
彼の瞳は涙で揺れていた。胸がきゅっと締めつけられる感覚に襲われた。こんなんだったら迷うんじゃなかった。
今度は自分の意思でちゃんとここに来る。決意を固くした。
「また来るよ」
「うん」
病室を出た直後、咳き込んだ音が背後から聞こえた。それは希翼によるものだと容易に分かった。病院の廊下を歩きながら、自分の無力さと直面する。
病院の外に出て眠い目を擦りながらぼんやりと、しばらく遠くを見つめるように空を見上げていた。今日の出来事が頭の中を巡る。芯珠さんとの会話、希翼の微笑み、そして彼の涙に濡れた瞳……。
「タバコなんて……」と独り言をつぶやいた。
ポケットからタバコの箱を取り出す。箱を開け、中のタバコを数える――残りは僅かだ。現実逃避には良いアイテムだった。でも僕はもう十分、肺を汚した。
意を決してゴミ箱にタバコの箱を投げ入れた。
もうこんなもの、必要ない。
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