Self Disclosure

 ある冬の昼下がり、家の中は穏やかな日差しに包まれていた。日の光が窓から柔らかく差し込み、部屋には暖かな光が満ちていた。

 今日は、姉の百子が家に遊びに来てくれている



「ふう、多分あんたたちにご飯作れるのもこれが最後かもねぇ。冷蔵庫の中身はっと……」



 百子は、お腹が大きく膨らんでいて、その妊婦特有の姿は何とも言えない温かみを放っていた。彼女はゆっくりと冷蔵庫のドアを開け、中の食材を丁寧に確認している。来月、彼女は出産のために入院する予定で、こうして気軽に一緒に時間を過ごすのも今回が最後になるかもしれないと思うと、貴重な時間に感じられる。



「だめだよ百ちゃん。妊婦さんは座ってて。僕がご飯作るから」


「え、やめて。俐一に作らせたらやばいもんが出来るだろうが」



 百子は僕の手を払いのけた。お腹は膨らんでいても性格は相変わらずだ。



「むー、ひどい。……お酒作るのならプロなんだけど」


「妊婦に酒のませんなっ」


「俺が飯作るよ」



 嘉一が横から顔を出した。



「鶏肉の気分じゃない」


「……」



 嘉一は、少し悲しい顔でその場に立ち尽くしている。僕たちはいくつになっても姉には適わないようだ。



「豚のひき肉なら冷凍庫にあるけど……」


「おー、まじか。これならミートボール作れるね。あとソーセージと卵と……ご飯も冷凍庫にあるし――」



 百子は手際よく料理の準備をしてくれている。



「何か手伝うことはある?」


「ご飯温めて。電子レンジで」


「……はい」



 電子レンジに冷凍ご飯を入れてスイッチを押した。僕は所詮、電子レンジ係にしかなれない。

 百子の手元をじっくり観察する。これからは僕は料理にも力を入れなくてはならないからだ。百子はまな板にソーセージを並べて包丁で切っている。昔から見てきたその姿、それは妊婦になっても変わらない。僕たちのためにご飯を作ってくれているのが、なんともすごくありがたいものに感じられた。



「百ちゃん、ありがとうね」


「いいよ。子供が生まれたら、子育てやなんやでもう頻繁には会えないしね」



 百子のお腹に目をやった。

 この中に生命がいる。もうすぐこの世に誕生するこの小さな命が、僕の心をわくわくさせる。甥っ子か姪っ子か、どちらにしても、家族が一人増えるという事実に、期待が高まる。



「百ちゃん、お腹の子の性別ってどっちか分かった?」


「あー、言ってなかったっけ。女の子」


「女の子かぁ……名前は決めた?」


「うーん……。めっちゃお腹蹴ってくるし、ぶっちゃけ男だと思ってたからさぁ……。女の子の名前はまだ考え中」



 男の子だと思って名前を考えていたが、実は女の子だった時の心境って……? 百子の目線はソーセージの方を向いていて、表情がよく分からない。



「男の子の方が良かった……?」


「どっちでも良い、生まれてきてくれさえすれば」



 どっちでも良いのか……そうか。僕の心は緊張で重くなる。もう良いだろうか、この長年抱えてきた秘密を打ち明けるのは。

 息を吞んで、百子に向き合う。



「実は……あのさ、百ちゃん」


「ん?」


「前から言いたかったんだけど、僕は女でもある、かもしれない」



 ぐっと閉じた唇に力がはいる。

 自分の中に存在する「女性」の部分について、これは長い間、自分自身でも受け入れがたいものだった。外見は男性で、しかし心の中には男性と女性の両方の性が同居している。その女性の側面を必死に隠して生きてきたが、それは僕にとって深い苦しみとなっていた。

 打ち明けるのは怖い。でも嘉一は受け入れてくれた。百子はどうだろうか。



「うん? 体は男だよね? ちんこついてたし」



 百子はソーセージを半分に切りながら言った。嘉一はその様子を見て、顔をしかめるとキッチンから離れてリビングの椅子に腰掛けた。



「いや、そうなんだけど……内面的な意味で。うまく言えないんだけど、女の自分も確かにいる、というか……」


「ふーん。そうなんだ。で?」



 百子は料理の手を止め、僕を見つめた。その表情は驚きや心配の色を微塵も含んでいなかった。彼女は日常的な会話を交わしているかのような様子だ。まるで、僕が今明かしたことが、平凡な日常の一片に過ぎないかのように。



「でって……」



 拍子抜けする。この瞬間を想像して、どれだけ不安に駆られていたことか。心の準備をしっかりしていたのに、百子の反応はあまりにも普通で、あっけなかった。



「ちんこ取りたいの? そのためのお金に困ってるとか?」


「いや、別に……そういうのでは……」


「ライスの味付け濃い目で良い?」


「あ、うん……」


「そこにいると邪魔だからリビング行ってて」


「はい……」



 僕はリビングに行き、嘉一の隣に腰かけた。なんとも軽いノリで流されてしまった感が否めない。真面目に向き合ってくれている感じがしない。

 同情を求めるように嘉一の顔を見ると、彼は首を一瞬かしげてドンマイと言った表情で浅く笑った。

 しばらくして、良い香りがしてきたと思ったら料理がテーブルに運ばれてきた。百子が作ってくれたのはオムライスで、皿の端には兄弟で均等に分けられたミートボールがあった。



「さ、食べよ」


「「いただきます」」



 僕たちはその場で手を合わせて、料理に手を付けた。



「そういえばさ、俐一。私の化粧道具勝手に使ってたりした?」



 げ。スプーンを持つ手が止まる。



「えっ……いや、あの……ごめん……」


「やっぱなぁ、減りが早いと思ったんだよなぁ。言ってくれればあんたの分、買ってきたのに。あ、水入れてくるの忘れた」


「……」



 百子はキッチンに戻り人数分のコップを準備している。僕はその姿を唖然としながら見ていた。



「姉ちゃんは、雑だけど懐の広い人だよな」



 横で嘉一が言った。

 さっき会話を流されたと思ったけど、一応僕の心に女性が存在しているという話はちゃんと聞いてくれていたようだ。しかも僕に化粧品を買ってくれるって……。認められている……? 少なくとも今のやり取りで幾分が僕の気持ちは楽になった。



「言うまで……すごく怖かったのに、なんか拍子抜けしちゃった」


「そんな深刻になること? 別にあんたらがどうだろうと、私の家族には変わらないから。そういう意味でどうでも良いって言ってんの。元気でいてくれたらそれで十分だよ」



 百子は戻ってくると、僕たちに水を持ってきてくれた。すかさずお礼を言って、仕切りお直しと言わんばかりに椅子に座り直した。



「……そういう意味でどうでも良かったんだな」


「ん?」


「あ、いや……」



 嘉一は咳払いをして、一呼吸してから僕たちを見た。



「俐一が言うなら俺も報告しておくか……姉ちゃん。俺は、今付き合ってる人がいる」


「うん。……男と?」


「は、え、違うって! 俺はそっちじゃっ――」


「あたしの知ってる人?」



 百子の問いかけに嘉一は一瞬、間を置いた後、静かに言った。



「……秋」


「「えっ!!」」



 僕と百子はその場で凍り付いた。前に言ってた守りたい人って秋のことだったの……? 想像もつかなかった答えに僕のスプーンを持つ手は完全に止まっていた。



「いや……さすがに人妻はやめとけ?」



 百子は困り顔で、諭すように言った。

 そうだ、秋は新婚だ。それなのに人妻と付き合ってるなんて嘉一の倫理観を疑ってしまう。まさかそういう性癖……? だとしたらとんでもない爆弾だ。



「今、離婚調停中だよ」


「略奪したってこと……? あんた本気なの?」


「たまたま、散歩してて秋の家の近くを通ったんだけど、その時に秋が旦那にDVされてるって分かって。だから……」


「え、DV? ……まじか。知らなかった」



 百子は顔面蒼白している。



「ねぇ、守りたい人って秋ちゃんのことだったの?」


「まぁ……」



 話を聞くところによると、秋は一時的にDV被害者を匿う施設に泊めてもらい、その期間に引っ越し準備を済ませて今は夫とは別居しているそう。離婚届を郵送で出したが夫からは音信不通。弁護士を雇って裁判をすることになった。その間、秋をずっと支えていたのは嘉一だったということが分かった。



「ねぇ、たまたま散歩してたんじゃなくて、最初から秋ちゃんの家の方狙って歩いてたんでしょ? カイってそういうところあるよね」


「ちがっ……そんなんじゃねぇって!」



 嘉一は顔を赤くしながら、むきになっている。



「嘉一、秋と結婚するの?」


「分からない。俺も働き始めてまだ1年経ってないし……。でもそのつもりで付き合ってる」



 嘉一はそう言うと、ミートボールを口に入れた。

 本気なんだ……。何かと双子というのはタイミングが重なるものだ。



「はぁ……。秋が義理の妹になるの気持ち悪いから拒否したいところだけど……でも、あんたよくやったね。私の親友を救ってくれてありがとう、嘉一」


「うん……」


「よしよし、いい子だ」



 百子は身を乗り出して嘉一の頭を撫でた。彼は照れくさそうにしながら、でもそれをごまかすようにして口いっぱいにオムライスを運んで咀嚼している



「僕も撫でて」


「俐一は何かしたの?」


「してないけど……」



 しゅんとなって下を向く。



「冗談だよ、今年は色々あったのによく頑張った。あと、さっき正直に言ってくれてありがとう、いい子いい子」



 心がぱあっと明るくなる。百子に撫でてもらい僕も笑顔になった。

 撫で終わると百子は、「ったくなんであいつ私に黙ってたんだ」とブツブツ言いながら料理を食べ進めたので、僕も続いて自分の皿の料理を食べた。



 満腹になり、食器を洗い終わったところで嘉一が本を僕に差し出してきた。



「地蔵大百科、これ返す」


「返す? これはあげたものだよ」


「じゃあ、あげる」


「いらない」



 笑いながらそのまま突き返した。

 僕なら間違いなく売るか捨てるかしていたところだ。こんなものをまだ持っていたところが、嘉一は義理堅い人物なんだとつくづく思うが、いらないものはいらない。



「最近、リーは笑うようになったよな」



 突然、思ってもいないことを言われて、ぽかんとする。



「なによ急に……」


「一時期に比べてたら、だいぶ変わったと思って」



 思い返してふっと息を吐きだした。

 確かにそうかもしれない。自分が受け入れられないを、大事な人たちは受けれてくれた、くれていたと分かった。そう思うと自分自身を許す気持ちが現れ始め、自分の絵にも最近自信が持てるようになってきた。これで良いんだって。

 少しずつ、僕は「自分」を出して生きていけている気がする。



「確かに……ありのままの自分で生きていこうって最近は思えてるかもしれないわ」


「ふっ……。そのまんまでいろよ。地蔵みたいに」



 嘉一は地蔵大百科を再度、僕の膝に押し付けて背を向けた。



「ちょっと……それっぽい良いこと言って、擦り付けようとするのやめてくれる?」



 それは実に平和な日常の一コマだった。

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