第2話

 泣きそうな私の顔を見ていた男性は「明日も仕事なんだけどな。」と呟きながら、「ちょっと待ってて。」と言い残してコンビニに入って行きました。そして、コンビニから出てきた男性の手には紙のコップが二つ。


「……戻ってあげるから、もう少し乗ってな。」


――えっ?いいんですか?……明日、仕事って。


「このまま放っておいて、祟られたくないからね。」


 幽霊である私に下心を持っても全く意味のないことなので、好意には素直に甘えることにしました。元々、勝手に乗り込んだのは私の方なので、男性のことを疑うのも失礼な話かもしれません。

 そして、買ってきたばかりの紙コップを後部座席のホルダーに置いてくれました。


――あのー、せっかく買っていただいたんですが飲めないですよ。


「……気分の問題だよ。俺だけ飲んでるのは気が引ける。」


――すいません。ありがとうございます。


「でも、お線香が仏様に香りを楽しんでもらう物だったら、幽霊でも匂いくらい分かるんじゃないかと思うんだけど?」


 そう言われると、気のせいかもしれませんがコーヒーの匂いが漂っている気がしました。

 生きていた時の私がコーヒーを好きだったのか、嫌いだったのかは思い出せずにいましたが、いい香りだと感じます。



「ずっと後ろの席でいいのか?」


――幽霊は基本的に後ろの席から驚かすって言われました。


 これは先輩からの指導内容でした。


「もう驚かされた後なんだけどね。」


 本当は驚かするつもりはなく声をかけただけだったんですが、親切にしてくれている人に「あなたが勝手に驚いただけですよね。」とは言えません。


――それに助手席に座っても、シートベルトが着けられないから、隠れておいた方がいいですよね?


 その言葉を聞いた男性は、「お気遣い、ありがとう。」と短く答えてくれました。



 あの場所からコンビニまで1時間くらいは乗っていたので、往復すると2時間はかかってしまいます。既に日付が変わるくらいの時間になっていたので申し訳ない気持ちで一杯でした。


――本当にすいませんでした。……今回が初めてだったんです。


 私としても恥ずかしいことでしたが、謝罪は大切です。


「まぁ、いいよ。運転中に声かけられなくて良かった。」


――ですよね。すごく驚いてました。


 男性の答えを聞いて納得のあまり正直すぎる感想が漏れてしまいました。

 ちょっとだけ驚いてくれたことが嬉しかったのかもしれません。


「当り前だろ。あんな場所で女の人の幽霊を見た直後に、後ろから声をかけられたら誰でも驚くに決まってる。」


 男性は少し照れたように言い訳をしましたが、その発現で不安になってしまいます。


――あの先輩、すごく雰囲気ありますよね。……やっぱり幽霊って、黒髪ロングなんでしょうか?


 次回からは自力で車を止めなければならないので、私にもできるか心配になってしまいました。


「すぐに車を止めたのにいなくなってたから、すごい怖かったな。……黒髪ロングだけが幽霊じゃないと思うけど、君はセミロングってところか?」


――はい。……幽霊になってから髪の毛って伸びるんでしょうか?


 幽霊として驚かすために乗り込んだ車で、こんな雑談をしてしまう前例があったのか考えてしまいます。


「それは分からないな。……俺も幽霊と出会ったのは初めてなんだ。霊感なんてない人間でも幽霊がハッキリ見えてることに驚いてるよ。」


――あっ!霊感はあまり関係ないみたいです。幽霊側の意思で見えるようにしたり、見えなくしたりできるんですよ。


 これは私も幽霊になってからの新発見でした。

 いつの間にか私も会話を楽しんで、車の中で流れている曲にも聞き入ってしまっていました。


――良い曲、ですね。


「あぁ、あまり有名な曲じゃないけどね。」


――はい。初めて聞いた曲です。


「まだ君が知らない良い曲なんて、沢山あるさ。」


――そうだと思います。……生きていたら沢山知ることが出来たんですよね。


 曲だけに限ったことではなくて、私には知らないことばかりでした。たぶん、男の人とこんな会話をした経験も少なかったんだと思います。




「君が幽霊で、あの場所にいたってことは……。」


――たぶん、そうだと思います……。


 この男性が考えていた通り、私は自らで命を断ってしまったんです。幽霊になった私が最初にいた場所は、そんなことで有名になった場所なので理解することができました。


 あの場所の近くにある林で、私と同じような選択をしてしまう人が多かったことが心霊スポットになっている原因でした。おそらくは先輩たちも同じだと思います。


 生きていたら、もっと沢山のことを知る機会があったのかもしれません。それでも、生きていくことが辛いとしか感じられなかった記憶だけが残っていて、そんな愚かな選択しかできませんでした。


「……やっぱり。」


――はい。すいませんでした。


「俺に謝る必要なんてないよ。……いつ、あの場所で?」


――分かりません。でも、つい最近だと思います。


 運転席から「まだ若いのに……。」と囁く声が聞こえてきました。幽霊になった自分の姿を見ることはできませんが、辛い記憶を抱えている私は大学生でした。


――でも、幽霊になるとは思っていなかったので戸惑ってるんです。


「成仏できなかったんだ……。そりゃぁ、恨み事もあるか。」


――いえ、特に恨んでいたりとかはないですよ。


 それは本心です。辛かった記憶はありましたが、誰かを恨んでいるとか、そんな感情はありませんでした。ただ、心にあったのは寂しさだけです。


――辛かった記憶だけはあるんです。……ただ、死ぬ瞬間の私が何を考えていたのかは思い出せません。


「そっか。」


――気付いたら、こんな状態になっていたんです。だから、恨みはありませんよ。


「それなら、どうして俺の車に乗り込んで、驚かしてきたんだ?」


――そういうものだって、言われました。


「幽霊の先輩に?」


――はい。みんな、そうやってきたんだって言われたんです。


 ただ、驚かすはずの人に送り届けてもらう醜態をさらした幽霊は、私が初めてではないかと思うと少し恥ずかしいです。

 ぶっきらぼうな話し方でしたが、最初に通りかかってくれた人が、この男性で良かったかもしれません。


――この車、ガコガコと忙しそうですよね。


「ガコガコって……、マニュアル車ね。」


――運転好きなんですか?


「まぁ、仕事のストレス発散かな?」


――そんな時にすいませんでした。……明日も仕事なんですよね?


「今日は用事で出かけてただけ。……仕事も少しくらい寝不足でも問題はないよ。」


 きっと問題はあるはずです。

 あれだけ驚かされたにも関わらず、こんなに親切にしてくれることに嬉しさを感じていました。

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