第34話

「それでは今から予選ブロック第一試合を始めます。出場者と審判の準備が整い次第、始めてください」


大会実行員の開会宣言が済むと体育館を大きく4つにフェンスで区分したその一角にぼくは足を踏み入れた。大勢の参加者が集う試合を捌くため、A~Dブロックの試合が同時刻に行われ、負けたら終わりのノックアウト方式でトーナメントが始まる。大会ルールは11点先取の3ゲームマッチ。運による相手への不幸な加点を防ぐ為に序盤で試合の流れを決める必要がある。そう頭に入れているとさっき控室で会話をした老人がフェンスを跨いで姿を現した。老木のように茶色く、水分を失った腕に筋張った筋肉と青いウェアが映えている。ラケットを握り、鋭い素振りを繰り返すその人に挨拶として頭を下げると得点板を持った審判が近づいてきてコールした。


「Aブロック第一試合、本田選手対、高榎たかえのき選手の試合を始めます。本人で間違いないですね?……ではラケットを確認します。問題ありません。サーブ権は……本田選手のサーブで始めてください」


じゃんけんに勝ち、審判からピン球を受け取り卓球台を周りこむ。対戦相手は70歳をゆうに超えているであろういわゆる卓球好きの『健康老人』。様々な年齢の相手と対戦できるのが全年齢大会の醍醐味であり、その健康老人が現役卓球部の14歳と戦う図式が観客の興味を惹いたのか、ぼくの頭上の二階観客席から試合に対する熱を感じた。


「ははは、あたしの事ならお気になさらずに。若い人の卓球、思いっきりぶつけてくれれば問題ありませんから」


自分から見て孫の歳にあたるぼくに対しても敬語を崩さない高榎さんにぼくは敬意を払って鋭いサーブを打ち込む。「ちょあ!」長いボールの勢いを消さずに打ち返してきた高榎さんの本気をラケット越しに感じながらぼくはストレートに打ち返す。


「待ってました、その一球!ちょあぁぁーー!」


気合の入った掛け声と共に高榎さんの腰が回ると強烈なスマッシュが卓上を飛び跳ねた。得点板の数字が向こうに上がると客席が「おおっ!」とどよめき立った。


――この試合を見届けるいわゆる『中立の立場』と呼ばれる観客達の誰もが卓球老人、高榎さんの勝利を望んでいる。言い換えれば問題児であるぼく、本田モリアの敗戦を望んでいる。チキータ王子としてもてはやされる中学生の傍若無人な振る舞い、未知のウィルスを国内に持ち込んだ重大な失態エラー。そう、この闘いは孫ほど年の離れた対戦相手に対するしつけにも似た『鬼退治』。試合を見届ける観客達がそんな風に話を描き始めたその時だった。


「ぐっ!また長い打球かい?あんたも老人をいたぶるのが好きだねぇ、チキータ王子」


1ゲーム目の終盤、高榎さんが膝に手を突いてこめかみから流れる大粒の汗を首を振って払う。彼の言う通り、ぼくは試合開始からテーブルに長い打球を放り込み、相手のスタミナを奪う試合展開を仕掛けた。観客席からは「頑張れ、爺さん!まだ一回戦だぞ!」とか「老人相手に走らせるなんて汚ねぇぞ!」とぼくに対する野次が飛んでいる。ぼくはふぅ、と息を吐くと素早くサーブを打ち込んで試合を再開させた。


確かに年齢を重ねても健康を維持し続けるのは素晴らしい事だ。しかし、その心がけが勝負の掛かった舞台で意味を成すかは別の話。自分を追い込み、体を鍛え上げたとしてもその尽力が、研ぎ澄ませた刃が、現役で卓球を続ける中学生じぶんに届く事は決して無い。これは年齢や性別の違いによる“区別”ではなく、闘いにおける方向性ジャンルが違うのだ。その事実は対戦を通して高榎さんも感じ取ったのか、ぼくがリードする2ゲーム目の途中でその枯れた手が天井に向って差し向けられた。


「高榎重蔵、棄権します。頭では分かっていたけど、ここまで体が動かないとはね。これ以上恥をさらす前においぼれは失礼しやす」


高榎さんがこの試合の棄権を申し出ると観客席からその挑戦トライを讃える暖かい拍手が鳴り響いた。ぼくもラケットの背を叩きながらフェンスを跨ぎ、戦いの場を後にする。ぼくが今回初めて体現した、先に相手を下ろす戦い。綺麗な戦い方ではないが、多くの試合を消化しなければならないワンデーマッチにとっては最適解に思えた。



二回戦。相手はぼくに絡んできた右曲中の連中の一人だった。試合の流れをもぎ取ろうと大きな掛け声と共に強打を打ち込んできたが、その分正直で分かりやすい打球を冷静に捌きながら自分の代名詞ともいえるチキータを的確に打ち込んで得点を重ねる。こっちが1ゲームを先制すると相手の勢いは徐々に消え始め、相手の逆を突いたドライブが決まると「くそっ!」と悪態をついて相手は両方の膝の上に手を置いた。


「2-0!ゲームウィン、本田選手!両選手、握手を」


審判がぼくと対戦相手に握手を求めると相手が右手を差し出してきた。てっきり握手を拒否されると思っていたから、急いで短パンの袖で汗を拭ってこちらの手を差し出す。すると彼がぼくの目を見て言った。


「やっぱ強ぇな、穀山中の本田くん。全国で当たる時には藤原じゃなくて俺が相手してやるからよ。それまで負けんじゃねぇぞ」


試合を通して感じた相手の卓球への熱と人間性に対しての邂逅。彼は自分の取り巻きの輪に戻ると仲間に申し訳なさそうに右手を上げた。


「おい、なに負けてんだよ。あのスカシ野郎に」

「ちょっと腹の具合が悪かったんだよ。…次やったら負けねぇよ」

「覚えとけよチキータ王子!俺らの代わりに藤原がお前を成敗してやるからな!首洗って待っとけ!」

「うわ、絵に描いたような負け犬ムーブ。お疲れ、モリア君。二回戦突破だね」


歩み寄ってきたいすずからタオルとドリンクボトルを受け取ってぼくはトーナメント表に目をやる。宣言通り、アヒトと藤原が勝ち上がってきている。今日は体の調子も良く、思考も切れている。あの日、公式の場で出場停止処分を言い渡されて、自分でも知らないうちに吹っ切れたものがあったのかもしれない。


「さ、次が本番だよ。本田モリア」


優男を繕ったアヒトの声が観客席から降り注いだ。ぼくといすずは彼を睨むとその本番に備え、体育館から控室に続く道を歩いて行った。


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