第33話

週末の体育館。世界中を囲い込む感染症に対する法案が可決され、静まり返っていたこの場所にも再び熱気が戻ってきた。意気込むいすずと共に玄関を抜け体育館の扉を開くと少しの埃臭さとラバークリーナーの匂いが漂う。この時代に卓球が出来る事を感謝し、係員のひとりに頭を下げるといすずがぼくの肩を揺らして正面を指さした。


「やぁ、逃げずにちゃんと来たんだ。負けると分かっていても勝負に挑むその姿勢だけは評価してあげるよ、キャロル・マンジェキッチの息子」


顔を上げると目の前に長身長髪の男、山中アヒトが腰に手を当てて佇んでいた。彼がぼく達をこの大会に呼び込んだ張本人。アヒトはぼくから視線をいすずに移すと卓球ウェアにスコート姿のいすずを舐めるように眺めはじめた。


「ほぅ、良いね~そのコーディネート。健康的な色気があって。オレはそういうの大好物だなー」

「……何ガン見してるんですか。嚙み千切りますよ」

「おっと、それは困る。オレは七大陸にガールフレンドを持つ人気者だからね」


ガルル、と唸るいすずを見て流石にアヒトが引っ込むとぼくは彼を見据えて言った。


「せっかくの休みに中学生カップルを呼びつけるなんて。あれだけ搔きまわしてぼくを焚きつけたんだから自分と当たる前に負けてもらったら困りますよ」

「ハハ、その心配は要らない。トーナメント表、見てみなよ」


アヒトが体育館の奥を指さすと本日のトーナメント表が張り出されていた。全年齢対象、そして久しぶりの卓球大会という事で参加者が多い事に驚く。いすずと共に自分の名前を探すとAブロックに最初と『本田モリア』の表記があった。そして同じブロックに『山中アヒト』の名前もあった。


「できれば観客が最高潮に盛り上がる決勝戦で当たりたかったんだけど。田舎の実行員は空気も読めないらしい。キャロルの息子に圧勝するというオレの目標は午前中で達成できそうだ」

「……オレになんの恨みがあるのか知らないけど。詳しくは卓の上で聞きます。行こう、いすず」

「あ、待ってよモリアくん!」


トーナメント表を確認した以上、この場でくだを巻く相手に構っている理由はない。出場者控室に入り、バッグからラケットとシューズを取り出すと見覚えのある黄色いジャージの集団がぼくらを取り囲んだ。


「よう、穀山中卓球部の本田くん」


ヘラヘラとした表情でぼくといすずの前に立つおかっぱの三人組を見てぼくは彼らの素性を思い出す。地域最強の江草地衣太対山破ショージの対戦を観覧した際に絡んできた無能力バニラを自称する右曲中卓球部の連中だ。右曲中うまがりちゅうはこの体育館のすぐ近くで、この場は彼らの陣地ホームと言って差し支えない。おかっぱの一人がいすずを見て冷やかすように顎をしゃくった。


「おい、こいつまた会場に女連れ込んでるよ。しかもこないだとは別の女だ。……舐めやがって。神聖な勝負の場所によ」

「モリア君。別の女の事、聞かせて?」

「ごほん!俺がキミたちの気分を害してしまったら申し訳ない。試合をすぐ控えてるんだ。言いたいことがあるんなら試合でピン球を介して伝えてくれ」


冷たい声で腕を掴んだいすずに目を合わせずに咳ばらいをしてこの場をやりすごそうとするぼくの様子を見て連中はせせら笑う。おかっばの一人がぼくの座るベンチの足をつま先で小突くと見下すようにして言った。


「何、武人ぶってんだよ。ウィルス野郎が。今世界がどういう状況か分かってんのか。女連れで遊びまわりやがって」

「待って!モリア君とお父さんが新型ウイルスに感染したのは結果論でしょ!?あんた達外野の人間が自分の都合を押し付けて!被害者はモリア君の方なんだから!」


輪の中でいすずが立ち上がりエスカレートしそうな連中をいさめた。ぼくはいすずにありがとう、と心の中で礼を言ってゆっくりと立ち上がる。ぼくらの口論を見てひとりの人物が歩み寄ってきた。


「若い人は元気があって良いねぇ。でもその元気はこの爺さんとやる時まで取っておくんだね」

「な、なんだこのじいさん」


黄色いジャージの間から現れた背の低い高齢の男性がぼくを見据えて自分を指さした。


「久しぶりだね、チキータ王子。あたしを覚えているかい?ほら、混合ダブルスの大会に居た爺さんさ」


混合ダブルス。ぼくは去年の秋にいすずとは別の女子とコンビを組んで出場したミックスダブルスの大会を思い出した。『卓球老婆』として知られている御年70歳のでぇベテラン、所沢キミ子のパートナーを務めていたのは目の前のこの人だ。


「あの大会では仮面の二人組に負けてあんたとは出来んかったが、この大会は別だ。一回戦、楽しみにしてますよ」


老人はそう言うとぼくらの輪の中から去っていった。呆気に取られている右曲中トリオを見ていすずが声を張った。


「ほら、あなた達も大会に出るんだったらウザ絡みしてないで試合の準備でもしたらどうですかっ?」

「ちっ、なんだよこの女。俺らはまだこいつに言いてぇ事があるんだよ」

「おーい、お前らその辺にしとけ」


後ろから間延びした声が響いて彼らがその列を開ける。……やれやれ、今日はやたらと声を掛けられる。うんざりとした気分で顔を上げると彼らと同じ色のジャージを羽織った緩いパーマの男がぼくをみてニッと笑った。


「久しぶりだな。チキータ王子。わざわざ俺とるために県を跨いで来てくれるなんて光栄だよー」


大袈裟に両手を広げて話しかける男は右曲中のエース、藤原。ぼくと同じチキータを武器に持つ実力者。かねてから彼が自分と対戦したいと発言していた事は知っていた。話題性ではなく実力による雌雄決定。その悲願がこの大会で果たせるかもしれないという空気を感じてか、周りがにわかに沸き立った。


「前にも言ったけどチキータ王子とは一度打ってみたかったんだ。今日は非公式戦だけど中学最終学年を迎える前にどっちが上か示しておきたい。俺と当たるまで負けんなよー。……ほら、おまえら行くぞ。いつまでリア充相手に睨んでんだ」


藤原がトリオの一人の肩を叩くと控室の外へ向かった藤原の後を着くように出て行った。べぇ、と彼らの背中に舌を出すいすずを見て、からかいながらぼくは柔軟を始めると、試合への集中を高めていった。


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