第32話

「どうしたの?モリアくん。さっきからずっと上の空みたいだけど?」


いすずの声でぼくは意識を正面の彼女に向ける。そうだ、ぼくは彼女であるいすずと放課後に駅前のドーナツショップにやってきたんだっけ。バツが悪くコーヒーをすすると「あ、もしかして別の女の事を考えているんじゃないでしょうね~?」といすずがむくれる。少し前だったら「恋人ヅラすんな」とか言ってあしらっていたんだろうけど、今のいすずは本当にぼくの恋人だから世の中何があるか分からない。しどろもどろになっていると助け舟を出すように知った顔のふたりがぼくらに話しかけてきた。


「おう、卓球部の部長とマネージャーじゃねぇか。今日も放課後にイチャコラやってんのか?」

「えへへっ、イチャコラさせて頂いてますっ!」

「モリアくん、ありがとね。私が怪我した時、バスケ部をサポートしてくれて」

「ああ、里奈だったら自分から助っ人を名乗り出たからさ。気にしないで良いよ」


練習終わりでジャージ姿のバスケ部員、神谷とマネージャーの七海さんが立ったままぼくらに微笑みかけてきた。ぼくらが座っていたテーブル席が4人掛けだったからぼくといすずが隣の席を引くが「いいから」と神谷が横に手を振った。


「まさか、モリア。お前が田中いすずと付き合うとはな。俺はてっきりミックスダブルスの大会で組んだあのお嬢様が本命なのかと思ったぜ」

「こら、神谷!デリカシーの無い事をいわない!」


七海さんが神谷を叱るといすずがフグのようにほっぺたを膨らませて神谷を睨んでいた。ぼくらは部活こそは違うが、同学年で部活道に身を捧げる競技者として高め合い、支え合ってここまでやってきた仲だ。ややキツめのジョークも笑って流せるほど培ってきた絆は深かった。ぼくらは二言、三言会話を交わすと七海さんが奥のテーブルにカバンを置きに行った。


「あ、俺達春の大会の打ち合わせがあるからよ。この辺で」

「おう、また学校でな」


ぼくが神谷と別れの挨拶をすると神谷がぼくの頭頂部が見える角度から覗き込んでいた。「なんだよ?」ぼくが目を向けると神谷は答えにくそうに言った。


「いや、モリア。お前なんか少し変わったなと思ってさ」


その言葉には少しの含みがあった。問い質すように「どういう風に?」と訊ねると神谷が頭を掻きながら続けた。


「前のお前だったら放課後にまったりと喫茶店のような場所に入るなんて事はありえなかっただろ?常に仲間と卓球の事ばっか考えてたお前がこんな風にリア充になるなんて考えた事もなかったからよ」

「あっ!もしかして神谷くん、モリアくんの事ひがんでるんですかぁ~?自分がモテなくて彼女がデキないからって!」


いすずが立ち上がって神谷を茶化すと「へへっ、そうかも知んねぇな」と鼻をさすって神谷は部活バッグを背負って七海さんが待つテーブルに向って行った。コーヒーを啜ろうとカップを口に向けると中身がすっかり空になっていた。カップをテーブルに置くといすずがアクリル板越しにぼくの顔を覗き込んできた。


「卓球、続けるんだよね?あんな変なオヤジに難癖つけられても辞めないよね?」

「ああ、辞めないよ。俺は穀山中卓球部の部長として皆を全国に…」

「おっ、カワイ子ちゃん発見!ねぇ、キミ!ここ空いてる?てか超かわいいねぇ~何年生?」


話の途中だというのに空気を読まずにチャラい男が乱入してきた。彼はいすずの彼氏であるぼくの存在を無いものとして、いすずの隣の席を引きスマホを片手に話しかけている。困った顔を向けるいすずをみてぼくは咳払いして男に声を向ける。


「あの、俺の彼女になんか用ですか?お兄さん」


お兄さん、と呼び掛けたその男は肩まで伸びた長い銀色の髪の間からぼくを見つめた。長い睫毛に彫りの深い二重瞼。左の頬には女泣かせの涙ぼくろ。街を歩く女性達からの基準で言えばイケメンと言って良い部類だろう。そんな色男が何故中学生であるいすずを口説いているのか。再び男がいすずに目をやるといすずが呆れたようにぼくに言った。


「モリアくん、この人もしかしてロリコンなのかもしれません」

「ああ、いすずはロリじゃないけど、制服を着たいたいけな女子中学生をナンパするのは素質がある。ちょっと店員さん。この男をつまみ出してもらえませんか」

「まぁ、そんなにいきるなよ中坊……あ、店員さんコーヒーひとつ」


やってきた店員に厚かましくコーヒーを注文したその男を睨みながら、「何か用ですか?」と問いかける。「いやぁ、用も何も。店の外から見てたら可愛い女の子がいたから声を掛けただけ。ヨーロッパでは普通だろ?本田モリア君」


……彼はぼくを知っている。もしかして賭博の負けを取り返しに来たロンドンマフィアの刺客か?いや、そんなスパイ映画のような展開、ありえない。邪推が混じった隙を突かれて男がいすずの肩に手を回した。「や、止めてくださいっ!」強張るいすずの声を受けてぼくは席を立ち上がった。


「キミ、本当に可愛いね。グロスは流行りのを塗ってるね。香水はママのモノを使ってるのかな?もっと爽やかな匂いの方が男子にはウケが良い」

「おい、止めろ!何をするんだ!」


ぼくが席を周りこむが間に合わず、男がいすずの唇にキスをした。時間にしてほんの数秒、接地した唇同士が離れるとぼくは絶句して男の顔を見つめるしかなかった。


「オレの名前は山中アヒト。本田モリア、キミから卓球、そして女を奪う男だ」


アヒトと名乗ったその男は立ち上がると満足した表情でその場から立ち上がって店の入り口に向った。


「ま、待てっ!」

「来週末に全年齢対象の卓球大会が隣町で開催される」


アヒトの言葉で追いかけようとした足を止める。アヒトは半身のまま話を続けた。


「オレはその大会に出場する。そこで圧倒的な実力差を魅せて優勝し、この国の競技レベルの低さを思い知らせてやる」

「こいつ……言わせておけば好き勝手言いやがって!ふざけんなよ!」

「良いね。地が出てきたな。キャロル・マンジェキッチの息子。キミもその大会に出場して漢を見せてくれ。さもなければいかなる卑劣な手を用いてでも、その女を頂く」


ぼくは振り返ってぐったりとした様子のいすずを見つめた。「そう言う事だ。じゃあね、現役ジェーシーのお嬢さん♪」空笑いを浮かべながら立ち去るアヒトから踵を返していすずが座るテーブル席に戻る。「いすず!いすず、大丈夫か?」心配して肩に手を置いて体を揺らすといすずはパチッと目を開いて、小動物のような仕草で薄板を出してぼくに向けた。


「…じゃん!下敷きでガードしましたっ!なのであの男の初接吻強奪バージンブレイクは失敗です!」

「ほっ、良かった。って!なんで安心してるんだぼくは!……特訓だ。明日から練習再開だ。田中マネージャー、体育館の使用許可をお願いする」

「はいっ!かしこまりました本田キャプテン!……って、これじゃいつもの部活の時と同じじゃないですかっ!許すまじ、恋人同士の貴重な時間を奪い去り、乙女の唇を奪わんとしたいけ好かないチャラ男!すずの中の闘争本能がメラメラと湧き上がって決ましたよ!ヤッてやりましょう!モリアさん!」

「ああ、あんな奴、観客の前で公開処刑してやる!」


こうしてぼくは打倒山中アヒトに向け、体育館での練習を再開した。消えかけていた卓球への火は強引な男の手引きによって再び再点火された。部長として、ひとりの女子の彼氏として、負けられない戦いのゴングが鳴った。


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