第35話

「それでは、Aブロック三回戦を始めます。出場者、前へ」


体育館に実行員のアナウンスが響き、ぼくはラケットを握りフェンスを跨ぐ。いすずの「頑張ってね!」という声が背中に届き「ああ、勝ってくる」と観客席を振り返って答える。すると正面から強者特有の異質な覇気が漂ってくる。スタイルの良い色男が銀色の髪をなびかせて現れると会場に女子の黄色い声援が起こり始めた。……気に入らない。この男は他の男の彼女に手を出そうとする最低の下種野郎だ。どうにかしてこいつの鼻をあかしてやりたい。そんな事を思っているとテーブルを挟んでこの試合の対戦相手、山中アヒトが笑いかけてきた。


「本番弱いって聞いてたからさ。ここまでキミが勝ち上がってきてくれてほっとしてる。……どうした?怖い顔して。こないだ言ったとおりだ。オレが勝ったら彼女を頂く」

「あ、その件なんですけど」


審判にラケットをチェックさせながらぼくはアヒトに声を張った。


「俺の方からも提案していいですか?俺が勝ったらいう事をひとつ聞いてください」


アヒトは二重瞼の瞳を少し大きく開くと口をニッと横に開いて首を縦に振った。その態度には年上である事とは別の、試合に対しての余裕があった。


「ああ、いいよ。負けないから。……ああ!楽しみだなぁ。現役中学生の柔肌。ぷるぷるですべすべなんだろうなぁ……闘いの前から興奮が止まらないよ!」

「本気で気持ちが悪い。あんたにいすずは渡さない。……そっちのサーブだ。早く始めてくれ」


審判が短く笛を吹き、アヒトの手順で試合開始。アヒトは長く手の平でボールを持ちこっちの集中力が削ぐタイミングを待っている。そうはいくか、とじっと捕球態勢で待っているとアヒトがやっとサーブを打ってきた。ミドルからフォアに変化する短いサーブ。そのままミドルに押し返すとアヒトが腰を据えたまま、ラケットの裏を見せた。


「行くよ。これが世界基準ワールドスタンダードの卓球だ」


アヒトが向ってくるピン球に対してラケットを横に一閃。ピン球はネットを飛び越えるとミドルで小さく飛び跳ねた。……ぼくはこの回転を知っている!テーブルから逃げるように横に跳ねた打球に手を伸ばすが届かず、相手の得点に。アヒトがこのゲームの先制点を奪った。


「ほう、初見でよく反応したね。褒めてあげるよ。現役中学生」


アヒトの軽口を受けながらテーブルの下を転がるピン球を掴もうと手を伸ばす。するとピン球が火を着けたねずみ花火のように未だ横回転を繰り返している。……間違いない。この人もぼくの義理の父、キャロル・マンジェキッチと同じ『回転の使い手』。廻るピン球を手の中に納めるとゆっくりと立ち上がってアヒトを見据えた。


「初見じゃない。あんた、ただの素人じゃないな。誰の指示で俺に勝負を挑んだ?」

「オレに勝つことが出来たら教えてあげるよ。それでさっき言ったキミの希望が叶えられるだろう?」

「いや、答えられないんだったらそれで良い」


頭を振り、気持ちを切り替えて捕球態勢を取る。卓球賭博に無理やり参加させられたあの夜、キャロルは耳にタコができるくらい同じ言葉をぼくに繰り返した。


『打球の回転を意識しろ』。チキータというラケットとラバーの反発力を武器に戦うぼくからしてみれば全く別の戦い方。しかしアヒトが言うように世界のトップランカーはすべからずピン球に回転を付加した打球を有効的に使いこなしている。ニンゲンとしては最低だがプロの卓球選手としての実績を持つキャロルの言う通り、ぼくがこの先上を目指す以上、回転の習得は避けては通れない。


なら、この試合で回転を自分のものとして完全に習得してみせる!そう決意してからは卓上戦線はこれまでのぼくの打ち方から大きく変わった。鋭いドライブは姿を消し、代わりに円弧を描くような大きくゆったりとした横に流れるような打球がテーブルを飛び回っている。フォアに来た打球に大きく腰を捻ってラケットの面を合わせるようにして、手繰り出す。ドライブ回転が付与された打球だったが、事前にアヒトが掛けていた回転が勝ったのか、ピン球は空中でブレながらネットに吸い込まれた。息を呑んでいた観客の口から大きく息を吐く音が聞こえるとアヒトがぼくを見て微笑んだ。


「どうした?失点したのに満足そうな顔をして」


アヒトに指摘され、ぼくは緩んだ頬の表情をきっ、と引き締める。アヒトと対戦する事によって回転の楽しさに気づいてきたところだった。しかし、ここはお互いの希望とプライドを賭けた闘いの場。先生になんでも質問して回答が返ってくるような授業の場所じゃない。汗を拭い、審判が持つ得点板の数字に目を落とす。7-10で相手のゲームポイントにリーチが掛かっている。


「フン、確かに筋が良い事は認めるけど」


アヒトが鼻をならした音で正面に向き直る。ぼくを讃える言葉を述べたのち、アヒトは自慢の長い髪を掻きむしるようにして声を荒げた。


「おまえは全っ然ッ!回転のある卓球というものを理解していないッ!おまえは目の前に来たピン球に悪戯に回転を付与する事に満足してしまっている!……サッカーでもベースボールでも同じだ。小手先の技術を披露したいんだったら自分の動画チャンネルで披露してろ」

「そうさせてもらうよ」

「馬鹿、真に受けるなよ。回転の先に何があるか考えろ。手本を見せてやる。サーブを打ってこい」


勝負のテイストが変わり始め、観客がどよめくなか、ぼくは横回転のサーブを放つ。相手の捕球態勢を崩し三球目攻撃を狙うのが目的だが、相手のレシーブミスも狙える攻撃的なサーブ。しかしアヒトはぼくのそんな意図を知ってか知らないでか、前に体を突っ込んできた。そしてラケットをテーブルに擦るような低さでピン球を押し返した。


「あっ、その打球はまさか!?」


放たれた瞬間、一歩も動けない様な卓球台に描かれた美しい放物線。ピン球はテーブルの横でネットを支えるポールに向って飛んでいく。まさか、ミドルからのポール回し!?観客の予測と願望を実現するようにピン球はポールの横を通るとテーブルのエッジに当たって思い切り横に飛び跳ねた。審判の得点板が相手に上がり、アヒトがラケットに手を合わせるとぼくは両ひざに手を置いた。


「『円弧の魔術師』。地元オーストラリアではそう言われている」


アヒトの名乗り口上を受けてぼくは苦笑いを浮かべるほか、無かった。








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