第28話

Bar Wembleyの地下賭博場で行われる卓球の試合は1ゲーム21点先取のクラシカルスタイル。ピン球は旧ルールに乗っ取ってオレンジボールが使われ、公式球より一回り小さい大きさに設計されたピン球による高速ラリーのやり取りは素人お断りの空気感を漂わせている。


もっともスピード感のあるゲームは観客の立場からすれば見応えがあるし、選手としても実力差がはっきりと出て、なおかつ勝てばギャラも貰えるから気分が良い。実際に自分が卓上で打ち合って良く出来たルールだな、と感心した。


さて、試合展開は中盤戦。対戦相手の『ジャック』が10-4で大量リードしている。ぼくはキャロルに言われた通り、打球の回転を意識したショットを続けて放つが付け焼き刃では卓球経験の長いベテラン相手には通用せず、キレの良いリターンで失点を重ねていた。ぼくがミスをする度、観客達が「男娼送り!男娼送り!」と野次を飛ばしてくる。都会に生きている大人は特殊なストレスを抱えているんだな、と同情した。



「おい、なにボーっとしてんだ」


対面から聞こえる声でぼくは神経を尖らせる。『ジャック』がぼくに声を掛けて「ほら、おまえのサーブ」と試合再開を促してくる。ぼくはモニターのスコアに目を落とした。……これ以上相手にリードを許す訳にはいかない。ギアを入れ直すように軽く柔軟を済ませるとぼくは短くサーブを打ちだした。


『ジャック』が前に出て、ツッツキでこの打球をリターン。ぼくは相手の動きをよく見て逆方向にバックハンドショット。得意のチキータを相手のコートに突き刺したつもりだった。


「モリア、油断するな!」


キャロルの声が耳に届くと、キワのコースを突いたはずの打球に『ジャック』が追いついている。粒高ラバーが打球の勢いを奪ったのか。ぼくの気落ちに付け入る様にクロスへのカウンタードライブが放たれる。これには反応できず相手の得点。差が更に開いた。


「なんだおまえ、裏使いか。今のは良いショットだったけど一歩、思い切りが足りなかったな」


『ジャック』がぼくのチャレンジを労う。確かに彼の言う通り、踏み込みが足りなかったのかも知れないが、それ以上に彼の反応速度と反射神経にぼくは手を焼いていた。彼の戦型は右ペンの前陣速攻。似たような戦型である、親友で同じ卓球部に所属するタクの戦い方をぼくは無意識に思い浮かべていた。


「おい、あと半分でキングの勝ちだ!」

「キーング!キーング!キーング!」


リングの下から沸き起こるキングコール。英国では最大の栄誉と呼ばれている強者への賛辞の言葉。しかし、それを受けて当の本人は歯ぎしりするように舌打ちをすると短い言葉を吐き捨てた。


「キングは止めろって言ってんだろ!」


場を支配する『ジャック』の声で空気が張りつめる。彼はズレたカチューシャを直すと深く呼吸を繰り返しながらぼくに告げた。


「悪いな、早く試合を続けてくれ」


ぼくはピン球を握り、サーブの体制を取る。……待て。相手の様子がおかしい。『ジャック』は肩で大きく呼吸を繰り返し、頬には脂汗が浮かんでいる。なんらかの体調不良を抱えている。ぼくが体を起こしてピン球をズボンにねじ込むと観客達の汚い野次が一斉に飛んだ。


「話してくれないか。君の異常な代謝とその運動神経について」


英語でのスラングが飛び交う中、相手に聞こえるように声を張り上げる。彼はなんらかのドーピングをやっている。ルール無用のこの賭博場でその反則事項が咎められるとは思えないが真相は知っておきたい。すると『ジャック』は汗を拭ってぼくを見据えて言った。


「まぁ、同じ日本人相手だしな。いいだろう。俺の名は枕木蓮まくらぎれん。常人を上回る反射神経を持つ純白筋じゅんぱくきんの持ち主だ」



――純白筋。あるスポーツ医学者がその名前を出した時、世の中が彼に対する嘲笑に包まれたのを思い出した。筋肉には瞬発性を司る白筋と持続性を保持する赤筋が存在し、純白筋とはその白筋が先天性に多い体質を呼ぶ。瞬発性が最優先される卓球という競技において純白筋所持者はもはや憧れの領域であり、その存在はファンタジーの中によるものだと考えられていた。


「『ジャック』の言う事はマジだぜ。坊や」

「待て、俺に話させてくれ」


体を気遣ったレッドスキンの声を跳ね除けるようにして『ジャック』、枕木蓮は語り始めた。



――5年前の事だ。俺は日本の小学校に通い、その大半を保健室で過ごした。俺は産まれつき心臓に病気を抱えていた。教室で学び、体育館やグラウンドで遊ぶ同世代の子供たちを見て羨ましくてたまらなかった。それでも俺には唯一の友人が隣のベッドに居た。彼もまた、先天性の白血病だった。


体が動ける日にオレは体育館で卓球ラケットを振るう彼の姿を見た。彼は健常の子供たちを相手にしても比肩出来ないレベルで卓球が上手く、一日3分ワンゲームという制限付きでも敗戦を喫する事はなかったという。その日からオレの憧れが彼になり、彼に卓球に勝つことがオレの人生の目標になった。


そして6年生の春。心臓の病が完治し、練習に打ち込んだオレは彼に卓球で勝利した。彼の動き、戦型を徹底的に分析し、効果的に相手を揺さぶり、得点を重ね、計算の上で勝ち取った勝利だった。全身で喜びを表すオレを見て彼は「よくここまで頑張った」と悔しそうに首を捻った。


次の日、彼は首を吊って命を絶った。彼にとって卓球での敗北は文字通り、己の死だった。人より卓球が強いという長所は病魔に侵される彼が生きる唯一の生きる理由だった。それをオレが摘み取ってしまった。「よくここまで頑張った」という言葉はオレではなく自分自身に向けられた言葉だったんだ。


自責の念に囚われたオレと両親はその折に、ある医学者との出会いを果たす。死んだ彼は世にも珍しい純白筋の持ち主でその筋肉には一切の外傷が無く、他人の体に移植可能だと。迷わずオレはその人体実験の誘いに乗っかった。命を懸けた大手術の上、オレは彼の純白筋を自分の体に取り込む事に成功した。当然、臓器等の移植を行った選手の登録は日本国の卓球連から禁止されている。法に弾かれるように日本から追い出されたオレはここイギリスで彼と共に戦っているという訳だ。



「ちょっと待て!話がファンタジーすぎて付いていけない。血液や臓器はともかく、筋肉を他人に移植するなんて可能なのか?」


話の折を折る様にぼくが声を上げると枕木蓮がうっとうしそうに舌打ちを浮かべた。


「物分かりが悪ぃなぁ。相手はヤミ医者に決まってんだろ。可能か不可能かは俺の経過にかかってる。スポーツ医学の発展として、モルモットになる事をオレは受け入れたんだよ」

「話は終わりだ。さっさと試合を再開しろ」


レッドスキンが長い試合中断を咎める口ぶりでぼくにサーブを促した。レンは汗を拭いながら苦しさを跳ね除けるように笑顔を作って呟いた。


「いい気分だぜ。一生涯を懸けてお前と一緒に戦えるなんてな」


ピン球を宙に浮かべてネット越しにぼくはレンの顔を眺める。彼もまた、事情を抱えてこの場に立っている。でもこっちにも負けられない理由が有る。ぼくはオレンジに集中する。


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