第27話

「さぁー!本日のメインイベント!赤コーナーに鎮座するは、我が賭博場いちのエース『Jack』!対するは日本からやってきた現役プロ、キャロル・マンジェキッチの隠し子!オッズは当然のごとく10-1だ~!さぁー、お前たち一儲けする大チャンスだ、張った、張った!」


リング上で胴元のレッドスキンがリングを取り囲む観衆達の射幸心を煽っている。部屋の奥のモニターにはぼくと対戦相手の彼、『ジャック』の顔写真と賭けのオッズが表示されている。札を握る観客の一人がレッドスキンをからかうように声を飛ばした。


「オイー!こんなオッズじゃギャンブルになんねーよー!」

「ハハ、まあいいじゃないか。銀行に預けた貯金の利子だと思えば」

「貯金だぁ!?俺達から一番遠い言葉が胴元の口から飛び出したぞぉー!」


下卑た笑い声がリングのぼく達を取り囲む。……確かにこのオッズはひどい。ぼくの勝利はほぼあり得ないと考えられていて、仮に『ジャック』に10万円を賭けても11万円にしかならない。だというのにフロントには『ジャック』に掛ける連中が大挙している。ぼくの隣に立つキャロルがタバコを吸い終えるとレッドスキンのマイクにこう告げた。


「息子に6400ポンド(100万円)。それにこれまでの勝ち金も上乗せだ」


金を数えていた全身にタトゥーをいれたフロントの女がぎょっとした顔でキャロルの顔を見上げる。たじろいだレッドスキンと観客達にキャロルは再度告げた。


「この条件、受けてもらえるかね?これが私の覚悟だ」

「……いいだろう。6400ポンド。この賭博場の最大掛け額だ」

「ぎゃはは!聞いたかよ!あいつトチ狂いやがった!」

「良かったな!胴元ー!2号店のオープン、楽しみにしてるぜー!」


観客達のバカ騒ぎをBGMにキャロルはカバンから現ナマの6400ポンドを取り出してそれをフロントに投げ込んだ。餌を池に投げ込んだ鯉の群れのように周りにいた連中がそれをキャッチしようとして手を伸ばした。ぼくにはその光景が千手観音像の腕、もしくは仏様が地獄に落とした一本の蜘蛛の糸に救いを求める罪人達の腕に見えた。


「ラケットはこれを使え。モリア」


場の空気に呑まれかけていたぼくにキャロルがラケットを差し出した。面の部分を握ると指先にじょりん、とした感覚。はっとしてラバーを見るとぼくはそれと彼の顔を見比べた。


「このラケット、粒高じゃないか!粒高なんて使った事がないよ!」

「問題ない。表も裏も粒高も全部同じ卓球のラバーだ。弘法筆を選ばず、だ」

「そんな!ラケットぐらい選ばせてくれよ!」


ぼくの声を受けながらも、キャロルはリングの下へ降りていく。振り向かずに彼はぼくに言った。


「案ずるな。キミの成長に必要なものがそこには在る」

「お、おい!ちょっと待てって!」

「さぁー!みんな張ったな!?それではメインイベントのワンゲームマッチ、初めぇ!!」


レッドスキンがぼくにピン球を手渡して試合を仕切ろうとテーブルの横に立つ。くそ、こうなってしまった以上、やるしかない。粒高ラバーで打ち合った事はないけれど、なんとかゲーム前のラリー練で感覚を掴むしかない。そう思って対面の『ジャック』に目を向けた矢先だった。


『ジャック』が静かに目を閉じて体の横で手を広げて精神を集中させている。口元が小さく揺れてこの勝負を司る神への祈りを告げている。……ダメだ。とてもラリー練を言い出せる空気じゃない。祈りが終わり、『ジャック』が地毛の黒が混じった金髪をカチューシャでかき上げるとこの日最大のメインイベントが開始の合図を告げた。


ぼくのサーブ。クロスへのロングサーブを狙ったが打球を抑える粒高の特性に威力が吸い取られ、ミドルの中途半端な場所にピン球が跳ねる。「あっ、ごめっ」無意識に謝ろうと思ったが、『ジャック』はこのイレギュラーに反応し下から振り上げるようにして打球を返した。体の正面にリターンされたその球には強力なドライブ回転が掛かっていて、憶測を誤ったぼくが空振り。モニターの得点が1-0に切り替わると観客達がワッと歓声をあげた。


「おまえ、卓球経験は?」


対面の『ジャック』がラケットに息を吐いてぼくに訊ねた。「日本で一年半。中学に入ってから」短く、分かりやすい言葉で答えると彼はぼくを見てニっと笑った。


「えっと、俺は日本に居た小4の時からだから日本とこっちとで5年か。俺の方が経験者ベテランだから負ける訳にはいかないな」


同年代らしい幼い笑顔を見てぼくの頭に疑念がよぎる。こんな好青年がなぜこんな薄汚い賭博場で打っている?しかも14歳でここの大将キングを任せられている。……得体が知れない。相手の出方を図る様にラリーに持ち込むがぼくがミスを犯して相手の得点。点差が次第に離れていくとリングの下からキャロルが上がってきた。


「タイムアウトだ。息子に話がある」

「おい!アンタをベンチコーチにした覚えはない!」


しっしとキャロルを追い払うが彼にも6400ポンドが懸かっている。彼はぼくに耳打ちするようにアドバイスを始めた。


「打球の回転を意識しろ。そのための粒高ラバーだ」

「そんな事言ったって……」


口答えしようにも上手く言葉が出てこない。すると助け舟を出すようににキャロルはぼくの背を軽く叩いて言った。


「ボールを自分の意のままに操れ。それが出来ればおまえは卓上の悪魔マジェスタだ」


リングを下りていく彼を見てぼくはハっと意識を集中させる。――マジェスティ。ぼくが編み出した状況に応じてストレートとクロスのドライブを使い分ける卓上戦術。それに新たな回転を加える事が出来れば……!


「へぇ、面白くなりそうじゃん」


頭の中に浮かべた設計図を呟くぼくをみて『ジャック』が舌で唇を湿らせた。まだ勝負は始まったばかりだ。ぼくは相手のサーブを待って出方を伺った。


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