第26話
「ウィナー、赤コーナー!謎の浮浪者が接戦を制しましたー!」
「おぅー!やるじゃねぇか、物乞いのおっさん!」
「くぁー!こんなオヤジに負けるなんて俺もヤキが回ったなー!」
「おいおいしっかりしてくれよジャスティン!おまえに60ポンド(1万円)も賭けてたんだからよー!」
試合が終わるとリングを観客達の野次が取り囲んだ。ぼくは赤コーナーの浮浪者のような男、キャロル・マンジェキッチのプレーに心を奪われていた。試合開始直後から相手の力量を読み、相手に気持ちよく点を取らせながら要所で自分で点を取ってシーソーゲームを演出し、己の力を明かすことなく(多少の幸運があったように演技し)ゲームポイントを得る。接待を含んだ余裕のある大人のプレー。その男はテーブルの横で疲れた、というふうに体を屈めて呼吸を整えるフリを繰り返している。胴元のレッドスキンがマイクを片手にキャロルに話しかけてきた。
「まさかの勝利を収めた浮浪者のおっさん!ダブルアップは、もちろん、やるよな!?」
「ダブルアップだって?」
「今の勝利の売上金を次の試合に持ち越す事だ。勝てばあの男は更に金を得られ、負けた場合、胴元は今の損失を取り返す事が可能となる」
後ろから日本語が聞こえて驚いて振り向くと筋骨隆々とした腕が現れてその持ち主がぼくの隣に並んだ。男は長身で肌は浅黒く、頭には
「失礼、私の名はレビー。香港出身のしがない卓球家だ。まさかこんな所でプロの技術が観られるとはな」
レビーと名乗った男は噛みタバコを口に含むとダブルアップに挑むキャロルの姿を見上げていた。「キミは彼の連れだね?」訊ねられて頷くとぼくとレビーはキャロルの二戦目を見守った。
キャロルの戦型は右シェーク・オールラウンド型。サーブ、ドライブ、カットといった基本技術の水準が高く、相手によって様々なプレーが展開可能。相手の素人特有のラッキーショットにも瞬時に対応できるのは長年プロとして活動してきた場数の多さか。腕っぷしが自慢の黒人相手のスマッシュも臆することなく、コースを読み切りブロックを張ってロビングを宙に上げると「おおっ」と観客のボルテージが沸き上がる。
「フフ、今のは色気が出たな。キャロル・マンジェキッチ」
「知ってたんですか。彼の正体を」
含み笑いを浮かべたレビーにぼくが訊ねると彼は正面を見据えたまま言った。
「ここに来る前は半信半疑だったんだがな。キャロル・マンジェキッチはプロでの高額の報酬に飽き足らず、イギリス中の賭けピンポン会場に頻出しているらしい。君たちの国で言うところの道場破りと言ったところだな」
強面の表情を緩めたレビーの横顔を見てぼくはため息をついた。……あの男はもう終わりだ。現役のプロ選手がこんなところを荒らしまわって金に工面するはずなんてあり得ない。彼を突き動かしているのは賭け事へのWin or Loseのスリル感。そして勝ったとしてもこの低所得者の観客から巻き上げた金なんてたかが知れている。理論性を度外視してこんな得のない勝負に挑むのはギャンブル狂と同じだ。彼を母の近くに置いておく訳にはいかない。ぼくは彼の敗北を強く願った。
「赤コーナー!なんと三度目のダブルアップ成功ー!飛び入り参加の
ぼくの祈りもむなしく、キャロルは危なげない試合運びで勝利を重ねていった。観客が彼の素性についてざわめきだすとキャロルはレッドスキンのマイクにしわがれた声を作ってこう言った。
「そろそろ子供に子守唄を歌ってやる時間なんでな。じいさんはこの辺りで失礼するよ」
「オイー!じじい、勝ち逃げかよー!?」
「まぁいいじゃねぇか!面白れぇもん見せてもらったぜー!」
「今夜は長い事生きてきて最高の夜だったな、じいさん!」
「おい、お前たち。この老人は今回の賭博場の勝者だ。失礼な言葉を向けるのは止せ」
仕切りのレッドスキンが「今回だけだからな」という風に優しく背中を叩くのが見えた。……気に入らない。ぼくはこっそりリングに上がり、キャロルの背後に周りこんでその顔に手を回した。
「えい」
「あっ、ちょ、なにをする」
「ん?……お前は?」
「その顔には覚えがあるぞ!」
上半身裸の男がキャロルを指さして声を張った。
「この辺の場を荒しまわってるキャロル・マンジェキッチだ!」
「なに!?こいつプロのクセに俺達から金巻き上げてやがったのかよ!」
「舐めやがって!金返せコラァ!」
リングにビール瓶が投げ込まれ、ありとあらゆる罵詈雑言がキャロルを取り囲む。いい気味だ。群衆を欺いて金儲けをしようとした罪だ。せせら笑うぼくを見て素顔を現したキャロルが呆れたような声で呟いた。
「やってくれたな。アメの息子」
「おい、このガキこいつの連れか!?」
「許さねぇ!男娼に売り飛ばしちまえ!」
「ええっ!ちょっと待って!」
無意識に尻を守ろうと後ろに手を回すと、後ろからリングに上がってきた人物をぶつかった。振り返るとそこには肌の白い長身の少年が真っ黒なロングコートを羽織って立っていた。彼の姿を見て群衆達の声が止んだ。
「で?どうするの、この騒ぎ。俺が打つ前に客の射幸心が醒め切ってんだけど」
「そ、それは……ぐふっ!」
レッドスキンの体が後ろに飛び、フェンスに膨らんだ体が激突する。少年が男に回し蹴りを放った事実を受け入れると「怖ー!」と冷たい汗が背筋を伝った。少年がぼくに顔を向けてくる。彼はぼくを見ると日本語でこう訊ねてきた。
「おまえ、歳いくつ」
「じゅ、14歳です」
「いいね。俺と同い年だ」
ぼくが「ええっ!?」と驚くと少年はリングに転がったマイクを掴んで群衆に告げた。
「これから俺とキャロルの息子で勝負する。同じ日本人のよしみだ。こいつが勝ったらこの2人を無条件で解放しろ。でも、もし。おまえが負けるような事があったら」
少年は目が消えるほど顔をほころばせて笑顔を作るとぽん、とぼくの肩に手を置いて言った。
「分かってるよね?」
身が凍えるほどの冷たい声色。彼の演説に観客達の射幸心が奮い立つ。なんだ、こいつ。本当にぼくと同じ14歳か?リングの下のレビーに目線を向けると「やっかいな事になったな」というふうに首を振った。
「フッ、見学させるだけのつもりだったが、まさか実地で真剣勝負をしたいとはな。さすがアメの息子。仕事に対して情熱的だ」
キャロルが馴れ馴れしく背中に手を当ててきた。……どっちにしろ、タダでは家に帰れない。地下の賭博場でここを仕切る同い年のギャングとの勝負が始まろうとしていた。
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