第24話

「被告人は英国へ来訪後、年末から年明けの帰省するまでの間、母である里中雨が所有する自宅で過ごした。そう解釈して宜しいでしょうか?」


ロングコートの若い裁判官が手元の書類から視線を外し、机のマイク越しにぼくに訊ねた。「あの、その事について付け足しなんですが」裁判所の中心でおずおずと手を上げるようにしてぼくは発言した。


「クリスマスに兄の友人のホームパーティーに参加しました」


傍聴席がにわかにざわめき立つ。「あ、日帰り参加です。もちろん飲酒や喫煙、ドラッグの類はやってません!」「さー、どうだかね」ぼくの主張を聞いて薬葉氏が雰囲気を作って眉をひそめた。


「海外のそういったパーチーは不特定多数の人間が出入りするもんだ。ティーンエイジャーが数多く集まれば、自然にそういった輩も現れるさ。特に日本人は誘惑行為への押しに弱い。モリア君、キミもその場の空気にほだされて一杯ひっかけたんじゃないのかね?」

「原告、被告への仮定での尋問を控えるように」

「はいはい、すいませんね」


裁判官になだめられると薬葉氏は子供のように拗ねて頭の後ろで手を組んでプイ、と横を向いた。裁判官がぼくの方に向き直る。


「新たな供述として参考とさせて頂きます。被告はその集会の話をどうぞ」



――クリスマスイブの夜。ぼくは兄の森一が通う学校のパーティーに参加した。イギリスの中等教育は中高一貫の為、彼の友人が主催したその催しには高い声のぼくの肩ぐらいしかない小柄な少年や、大人と見間違うほどの風格を持った学生が数多く参加していた。ぼくは母が用意してくれた正装、きっちりとしたワイシャツにブランド物のカーディガンを羽織って彼らの輪の中に参加していた。所在なくグラスの氷に口を付けてると森一がぼくに話しかけてきた。


「カハハ、モリア楽しんでるか?」

「……楽しめる訳ないだろ。知り合いが一人も居ないんだから」

「キハハ、日本人はコミュ症国家だからな。その辺の女の子に話しかけてみたらどうだ。欧州ではレディを退屈させるのは重罪だぜ」


気障きざなセリフを述べながら森一はぼくと同じテーブルに着き、グラスに注がれた炭酸ジュースを一気に喉に流し込んだ。


「いや、俺日本に彼女居るから」


森一は驚いたように仰け反った体を起こすと大きな音でゲップを響かせた。


「えっ!?モリアおまえ彼女居んの?まだ中2なのに!?」

「笑い方のクセ、忘れてるぞ。おまえの方こそどうなんだよ?これだけ周りに美女が居るにも関わらず」


森一が「彼女の顔、見せて」とぼくにせがむのでぼくは仕方なくスマホのロック画面を見せた。放課後に良く行くドーナツ屋で彼女の田中いすずとピースで写っている待ち受けを見ると森一は興奮気味に鼻を膨らませた。


「く、ハハハ。なかなか上玉じゃねぇか」


森一はスマホから顔を離すと、カゴに入った脂ぎったポテトを乱暴に握って口に放り込み始めた。秋に付き合い始めた卓球部のマネージャーのいすずは中身は重度の腐女子でオタクだが、黙っていれば男子高校生に声を掛けられるほどのルックスの持ち主だ。彼女の内面を知らない森一からしたら、いすずと交際しているぼくが羨ましく思えたのかもしれない。ポテトを飲み込むと思い立ったように森一がぼくに訊ねた。


「で?もうヤった?」

「ヤるわけねーだろ。中2だぞ」

「そうかー?アレ、見て見ろよ。目の前のカップル」


森一が正面をあごでしゃくると、一つ奥のテーブルで成人のような美男美女のカップルがまるでダンスを踊る様に手を組み合わせていた。ふたりはお互いを見つめ合い、誰も彼らの世界に入り込む余地を与えない。冷えたマダラのフライを新しく手に掴むと森一はそれを口に放りながら話し始めた。


「あのふたり、俺達の2個上だってさ。先月フットボール観戦の後につき合い始めたみたいだけど、まるで長年寄り添って来た夫婦みたいだ。あの年でAからZまでヤりつくしてんだろうよ」

「下品な総評なよせよ。……マジかよ。あのふたり、子供たちの父母だと思ってた」


ぼくが驚くと森一が「イギリスは良いぞ。モリア」と告げて口の中のフライを炭酸で胃へ流し込んだ。ぼくは正面を向いて彼から目を背けた。堰を切ったように森一が言葉をぶつけてきた。


「日本の中学に入ってお前が帰国子女だって、からかわれたってママから聞いた。卓球の大会だってくだらねぇ年齢序列のせいで、ついこないだまで公式戦に出られなかったそうじゃねぇか。こっちは良くも悪くも実力主義の国風だ。強ければ年齢も肌の色も関係ねぇ。……モリア。お前が居るべきなのは日本じゃなくてこっちだ。春になったらイギリスに戻ってこいよ。今度は俺がパーティを主催して歓迎してやる」

「……森一は日本での俺の暮らしを知らないからそんな事が言えんだよ」


ぼくはグラスに残った水を飲み干して言った。確かに中学に入学した時にタクにイギリスから来たことをからかわれたけど、その後和解して親友として完全に打ち解けた。部活だって試合に出られなかったのは完全にぼくの実力不足だ。一つ上の偉大な先輩、松田部長と初台さんを無意識に思い出していた。すると壇上に上がったドレスの女の子がマイクを持って皆に話始めた。


「中学組はここでお開きだってさ。高校組にウザ絡みされる前に帰ろうぜ」


森一がぼくの背中を叩き、ぞろぞろと学生達が出口へ向かっていく。大きな家だと思っていたこの会場は貸切った商業施設だったようで、ぼくは一階に向うエレベーターの扉の前に立ち、機体が一階に着くと扉が開くボタンを押して学生たちを先に下ろした。すると一番最後に降りた金髪碧眼の少女がぼくを見てありがとう、という風にウィンクを残して去っていった。茶化すように森一がぼくの肩を小突く。


「な?いいだろ、イギリスは」

「けはは、森一は単純だな……おっと」



「以上が、英国でのホームパーティの出来事になります」


舞台は日本の法廷に戻り、ぼくが着席すると裁判官が「ふむ」とメガネを押し上げた。数秒の沈黙に傍聴席から唾を呑み込む音が響いた。


「実に健全で中学生らしい会合の過ごし方だと私は思いますが」

「待って。根拠がなぁイ!モリアが飲酒、喫煙、ドラッグ、不純異性交遊をヤってない疑惑が解消していなぁイ!」


原告側の薬葉氏が子供のように大人げない態度でその高い声を上げると「ヤった証拠を突き止める事も出来ません。会合の日から時間が経ってます」と冷静に裁判官が告げた。……やれやれ、罪状疑惑が一つ増えただけかよ。ぼくが額の汗を拭うと裁判官が再び薬葉氏に目を向けた。


「原告は被告の濃厚接触者でもなければ教育者でもない。何故貴方が中学生の彼を訴えたのでしょう?」

「……このツッコミ所満載の学生裁判に確信を突く質問が来たね~。良いだろう。話してもらおうかモリアくん。卓球界を揺るがすあの日の夜の事を」


薄く色の付いたサングラスを外して薬葉氏がぼくを見つめる。ぼくは深く息を吸い込んで、吐くとその“事件”が起きた夜を思い起こした。


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