第23話
イギリス。レディング。ロンドンから鉄道で30分の自然豊かな地域にぼくの母、
「おーい、こっちこっち!」
メアリーが「向こうです。お兄様」と流ちょうな日本語を発し、ぼくの肩を叩くと一緒になって彼女の視線の先を見つめる。ニキビ顔で恰幅の良い少年がぼく達の方へ手を振りながら近寄ってくる。
「久しぶりだな。森一。少し太ったんじゃないか?」
「ハハハ。口の悪さは相変わらずだなモリア。お前とは双子だけど俺の方が兄さんなんだぜ。年上を敬えよ。ガハハハッ」
森一が仰け反りながら口を大きく開いて笑う。彼の言う通り、森一はぼくの双子の兄で訳あって別に暮らしている。ぼくらは再開のハグを交わすと母が車を停めているという駐車場へ向かった。
「それにしてもイギリスは寒いな。日暮れ前だって言うのに北海道並の寒さだ」
「アハハ、お前らそんな薄着で大丈夫か?ま、家に帰ったら俺の服を貸してやるよ。メアリーもママが用意した服があるだろうしな」
「お気遣いありがとうございます。森一兄さま」
「ダハハハハ!」
森一と言葉を交わしながら路地を曲がると駐車場に停められた車の中から黄色いビートルが目に飛び込んだ。母さんの車だ。はっとして息を呑むと電柱に並ぶようにして洋傘を差した藍色のワンピースを着た女性がハート形のサングラス越しにぼくを見つめていた。彼女がぼくを見て微笑むとぼくは足元に積もった雪を踏みしめながらその人の胸へと向かった。
すると彼女のすぐ近くにもう一人、別の女性が居るのが見えた。彼女はその外見から恐らく現地の住人で、その近くに見事な金髪碧眼の少女が駆け寄った。その天使が母の腕の中に納まって愛情を注がれている姿を見るとぼくは中学生である自分が母にそういった感情を向けるのが恥ずかしくなって、母の前に立つと中途半端に会釈をした。
「フン、甘え方まで日本式ね」
ぼくの母、アメが心の中を見透かしたように鼻で笑った。
「4か月見ない間に更に日本に染まったんじゃないの?モリア。でも、約束通りこっちへ帰ってきてくれて安心したわ。……ここは寒すぎる。早くみんな車に乗りなさい。貴方の部屋も用意しててあるわ」
ビートルの後ろに乗り込み、シートベルトを締めてバックミラー越しに母に声を返す。
「年末だから帰省したんだ。日本でいう三が日が過ぎたら日本へ帰国するよ」
「冗談よ。貴方にこっちで暮らしてもらおうと思って言った訳じゃないわ」
「ヤハハ、モリアお前、ママにイギリスで暮らせって言われたんじゃないかって勘違いしてたのか?日本人がこっちで暮らすのは大変なんだぜ。ビザだの学校の編入手続きだの」
「わーったよ。少しは浸らせてくれ。小学生ぶりのイギリスなんだ」
ぼくは狭い車内の窓に額を擦る様にして外の景色を眺めた。ぼくの暮らしている町も田舎にあたるが、ここレディングの空気は更に輪をかけて
「ナハハ、モリアお前、せっかくこっちに返ってきたんだから土産話のひとつでもしろってんだよ」
「うっせぇ。長旅で疲れてんだよ。明日にしてくれ」
森一をあしらうとぼくは再生ボタンを押す。流れてくるのは父がこっちに向う際にくれた桑田佳祐の『TOP OF THE POPS』。『白い恋人たち』のAメロが流れるとチラつく白雪も路肩で抱き合う老夫婦もドラマチックに映るから歌の力は偉大である。曲のボリュームを下げるとぼくは目を瞑って母の運転する車の車輪の動きに身を任せた。睡眠は飛行機の中で十分に取っていた。ならどうして家族再会のこの場で寝たふりをする必要があったのか。理由は自分でも分からないが、日本で暮らす父との繋がりを忘れなくなかったからかも知れない。
母と森一の住んでいる洋館は以前来た時と同じで、ツタが伝う外壁を見てノスタルジックな気持ちに陥った。ぼくらは暖炉のある部屋で体を温めると母の用意してくれた6畳ほどの部屋の隅に持ってきたカバンを下ろした。少しの間だけど、イギリスでの生活が始まる。息をつくとドアの向こうから騒々しく笑う森一の声が聞こえる。少しいびつな一家団欒を感じながら、ぼくは表情を作ってドアを開けるのだった。
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