第19話

ショーちゃんとコームインが『オイワ』に来なくなってから3週間目。オレはふたりが練習に参加しているという港内中学の体育館に訪れていた。練習の観覧希望の申請は少し面倒で、1週間前に受付をしたのに練習を見られるのは今日の午後のランキング戦だけだ。まどろっこしすぎる。係員に聞いたところ、夏の大会前最後の練習期間という事で他校からの偵察防止らしい。オレは二階の観客席に座り、ハーフコートに3台置かれた卓球台に目を落とした。


「しっかし、ショージの奴。あたしよりこんな球遊びを選びやがって。短パン中学生と一緒になって遊んで何が楽しいんだっつの。オメーもそう思うだろ?パコ」


オレの隣の席に座った稲毛屋くらげがスナック菓子をほおばりながら長い足を組み替えて愚痴とカスをこぼす。なんでコイツは顔パスでここに入ってこれたんだ?不平感を抱きながらオレは視線を下に戻す。腹の突き出た見覚えのあるオヤジが部員達の輪の中で号令をかけた。


「全員集合!……みんな今日まで厳しい練習によくぞ耐え抜いた。これから最後のランキング戦を行う。ルールはいつもと同じ。健闘を祈る!」

「ハイッ!!」


部員達の返事が重なり、試合を行う選手たちがテーブルに向って息を整えて歩いていく。目を凝らしてホワイトボードに書かれている事を読み取るとどうやら3グループに分かれたトーナメント戦らしく、ショーちゃんの初戦の相手は2年生部員であるらしい。


「モモ!小学生なんかに負けんなよ!」

「おう、あたぼうよ!こないだと同じように体力削って二戦目のおまえに渡してやるぜ!ジュースおごれよ!」


モモと呼ばれた能天気そうな部員がショーちゃんの待つテーブルに向う。あいつが桃井か。決戦が始まる独特の冷たい空気感の中、短いラリーを繰り返すとショーちゃんのサーブで戦いが始まった。


「おー!今の動きすげー!ショージかっけー!卓球ってこんな面白れースポーツだったのかよ!くー、あたしも降りてアイツらと打ちあいて~!!」


試合が始まるや否や、興奮した稲毛屋が立ち上がって手すりを掴みながらぎゃあぎゃあとわめきたてている。なんだ、コイツ。卓球観るのは初めてか?目線を切り替えるとレギュラーを決める最後の校内戦という事で卓上では部員達の気持ちのこもったプレーが展開されている。手の中に汗がじんわり浮かんできてオレも思わず拳を握り締める。


「体力がついたなショージ!でもこれで決まりだ!喰らえ!オレ様の必殺技!」


ショーちゃんと対戦している桃井が台から距離を取った位置で膝を深く沈めた。ロングの打球に照準を合わせるとピン球が地面に触れるスレスレのタイミングでロビングカットを打ち放った。


「オレが日々の床オナから発想を受けた秘技、『地ずり新月』!!」。


回転の掛かったピン球がまるで三日月のように宙に舞い浮かび、ネットを飛び越えてショーちゃんのコートに戻ってきた。強いバックスピンが掛かっていたらしく、伸びた打球をショーちゃんが追う形になる。「初動の回転に騙されたな!オレの新月は『二枚刃』よ!」桃井の決め台詞を背中に受けながら体育館の壁にショーちゃんが走る。誰もが桃井の得点を確信するような状況で得点係も数字に手を掛けた。


「パコ、見てな。返すぜ、アイツ」


稲毛屋があごをしゃくるとショーちゃんが左手を壁に突き、ダぁンと壁を蹴る。向ってくるボール見ずに反動を活かして空中でラケットを合わせるスカイラブ。テーブルに戻ってきた打球を桃井がミスショットすると周りの部員達のどよめきの声が広がった。


「すげー、ショージの奴あの位置から返すのかよ!」

「アイツ、卓で弾んでから一度もボール見てねぇ。感覚センスで打ってるよ」


「背面打ちかよ…舐めやがって」


ネット越しに睨む桃井にショーちゃんは余裕の表情で白い歯を見せて微笑んで見せる。その後、必殺技を破られた桃井はなすすべもなく敗北。一戦目はショーちゃんが勝利した。



「ちっ、桃井の奴。まさか小坊に負けるとはな」


二戦目の相手、佐倉がテーブルに着く。ラリーを交わすと佐倉はオレ達の居る観客席を睨みながらショーちゃんにこう言った。


「この大事なランキング戦にダチと女連れ込みやがって。どこまでオレ達を馬鹿にしたら気が済むんだぁ?ああ!?」

「別にオマエらの努力を踏みにじる気は微塵もねぇよ」


ショーちゃんはピン球を構え、呼吸を整えている。中学生の奴らはレギュラーが懸かってるかもしれないけどショーちゃんだってこいつらに勝つために必死だ。


「なんだかアタシら、あいつら目の敵にされてやがんな。ちょっと黙っとこ」


稲毛屋がひょこっと頭を下げてオレの隣の席に座るとショーちゃんが腕を大きく回した後、右手の手首を内側に引いてピン球を宙に投げた。


「なんだアレ。変な打ち方だな」

「あれは、まさか…!」


ショーちゃんがサーブを打ち込むとピン球が低い位置でネットを飛び越えて打った方向とは逆方向にぐるり、と曲がった。「なっ!?」急展開に反応できなかった佐倉が空振りをかますとどよめきの声は一段と大きくなった。


「まさか、ショージの奴。もう、シュンジのサーブをマスターしたのか!」

「今のYGサーブか?シュンジの奴より回転多くね!?」

「あちゃー。敵に塩送っちゃったかも。佐倉くん、ご愁傷様です」

「おい!どうしてくれんだ!今すぐコイツの対策法を教えろ!」


手を合わせて拝む眼鏡の部員を佐倉が声を張り上げて振り返る。前陣速攻型だった佐倉はショーちゃんの前に落とすボール、強打を封じる長いロビング、そして『魔球』YGサーブでエースを重ね、圧勝。ショーちゃんが二勝目を挙げた。



「三本目は俺だ。手加減はしねぇからな」


最終戦、ショーちゃんの前に大人と見間違うほどの大きな体格の部員が姿を現した。「ああ、こっちも手加減はしねぇよ」同じ言葉を返すとショーちゃんの視線が相手の右足に向う。ヨツカイドウという名の男の膝にはテーピングが巻かれていた。


「おい、パコ。あいつアレ狙うかな?」


稲毛屋に聞かれ「わかんない」と首を振る。どうやら相手は膝に故障を抱えているらしい。頭の中で勝ち筋をシミュレートしてみる。フォアに短く出してクロスに長いリターン。それを繰り返せばおのずと目の前の巨人は崩れ落ちる。TVゲームであれば攻略の定石だ。


でも、ショーちゃんがソレを狙うのか?相手はこの三週間、一緒に練習に励んだ相手だ。おそらく同じ飯を食い、練習後に馬鹿話を交わした親しい“戦友”であるに間違いない。そう考えていた矢先だった。


ショーちゃんがバックハンドでショートに出す。ヨツカイドウが突っかけるように前に出てピン球を押し返す。嫌な予感がした。ショーちゃんが腕を振り上げてコーナーの厳しいコースにドライブを放つ。ヨツカイドウが長い腕を伸ばすが追いつけずに得点。どしん、と物が沈む音が響くとひとりの男がガッツポーズを握るショーちゃんの右腕を掴んだ。


「いい加減にしろよ。この野郎」


ブーイングが止み、体育館の一角にしんとした沈黙がやってくる。男の表情は微笑んではいたが毅然としたその声は冷えた空気を真っすぐ貫くように体育館中に響いた。


「夏の大会を直前に控えてるんだ。相手の戦型を崩すような打ち方や怪我を狙う姑息な戦いは止めろ。相手に合わせて打つやり方を覚えろ」

「相手に会わせろだって?冗談じゃない」


手を振りほどいたショーちゃんが怒って声を張り上げた。


「こっちは勝つためにやってんだ。仲良しクラブのメンバーじゃねぇんだよ」

「そうか、お前の言う仲良しクラブには相手の怪我や弱点を執拗に狙う卑怯者は一人もいないがな」

「なんだと、この野郎!」


「得点!11-8!ゲームカウント3-2!ウォンバイ、クガヤマユウマ!」


ショーちゃん達が居る前のテーブルである試合の勝敗が決した。「対戦、ありがとうございました」礼儀正しく頭をさげるコームイン、クガヤマに驚きの声が沸き上がる。


「まさか、シュンジが負けるなんて…」

「あいつ、ちょっと前まで三戦全部ストレート負けだったじゃねぇか」

「たはは。オレのサーブを二球目でゴリ押し返すとはね」


敗北を喫したシュンジと呼ばれた男が汗まみれの眼鏡をウェアで拭いながら言った。


「ユウマ。キミが台に着いて積極的に打ち合うとは思わなかった。オレもチキータへの対策が取れてなかった。たく、神戸の小学生は進んでるねぇ~」

「クガヤマ、キミもだ」


ショーちゃんに絡んだ男がクガヤマに歩み寄って睨みを利かせた。


「練習に着いていけない劣等生は偽りの姿だ。出来の悪いフリをして俺たちをからかって楽しんでたんだろ?」

「そんな事は…」

「てかさ、こいつ普通にスパイじゃね?神戸の学校の」


部員のひとりが強い口調でクガヤマに絡んでくる。


「ネットで調べたけどよ。こいつの卓球スクール、徹底したデータ卓球を取り入れてるらしい。以前ボロ負けした俺らに勝ったのもコンピューターで俺たちの弱点を分析したんだろ?」

「それは違います…!」

「じゃあなんで、ウチのガッコなんだよ」


別の部員がクガヤマに問い詰める。


「お前のオヤジが間借りしてる宿舎のそばには右曲うまがり中があんだろ。橋を一本超えたら全国常連の双峰中だってある。ウチを練習場に選んだのは伝統にとらわれない色んな戦型のプレーヤーのデータを取る為だったんだろ?違うかよ!?」


打ち立てた仮説を合図に部員達が口々に思いの丈を言葉にして投げつけてくる。


「最初からあやしいと思ってたんだよな」

「本気で打ってない奴が練習にいると目障りなんだよ」

「俺たちに舐めプで勝って何が楽しいんだよ」

「小坊が俺たちの卓球をバカにしやがって」


衝突。それはあまりにもくだらない不平不満の集合体だった。人は自分と違う人を見つけると全力で相手を排除しようとする。フィリピン人の母ちゃんを持つオレはショーちゃんの今の気持ちが痛いほど伝わってきた。


「おい、おまえたちどうした?試合は全部終わったのか?」


無神経に水の着いた手を振りながら現れた監督のオヤジを睨むとショージはカバンを持ってその場から歩き出した。


「今日限りだ。オマエらのヘタレたやり方には心底うんざりした。全中予選、楽しみにしてるぜ」

「ああ、そうしてくれるとこっちも助かるよ。二度と我々の邪魔をしないで頂きたい」

「お、おい!ヒューガ、どういう事だ!?戻ってこい!ショージ!」

「短い間ではありますが、お世話になりました。失礼します」


慌てるオヤジの後ろをすっとクガヤマが通り抜けた。静まり返る体育館を見下ろして後に続くように稲毛屋も立ち上がった。決して相容れぬモノ同士の喧嘩別れ。こうしてふたりの黒豹の荒野には大きな水引幕が引かれたのだった。


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