第20話
話の舞台は戻り、『オイワ』の卓球道場。1番の卓でクガヤマと稲毛屋が打ち合っている。「見切った!喰らえっ!」ロブに浮いたピン球をパチィン!と上から稲毛屋がラケットで叩き落とす。良いコースに決まって「ほーう」と横から見ていたショーちゃんが声を伸ばす。
「それにしても、笑えたよなぁ。あの卓球部の連中」
壁際に転がったピン球を卓越しに投げて渡すとそれを受け取って稲毛屋は話を続けた。
「ショージにビビッて練習から追放しやがって。小学生相手にマジになって大人げないっつの!」
怒りのこもったスマッシュを対面のクガヤマがブロックで弾き返す。「もう別に気にしてねえよ」ショーちゃんは椅子に座り卓球雑誌を広げた。
――港内中の練習から外されて一週間。練習場を失ったショーちゃんとクガヤマはこの『オイワ』に戻って卓球に取り組んでいた。でも、おそらく中学の体育館でやっていたような真剣さは無く、お互い軽く打ち合ったり、銭湯のついでにやってきたお客を相手に手を抜いた熱戦を演じて小銭を巻き上げたりしていた。
「なぁ、チバコ」アクビのこもった声でショーちゃんがオレに聞いた。
「相手に合わせた卓球ってなんなんだろうな」
オレはあの日、体育館でショーちゃんに掴みかかった卓球部の部長の姿を思い出した。夏の大会を前に部員を怪我とスランプから守ろうとした大人びた態度。ショーちゃんの言葉でオレも『相手に合わせた卓球』について考える。あの日からはショーちゃんは空気の抜けた風船のように覇気がなく、行動に一貫性が無い。答えが出ずにいると足元にピン球が転がってきてそれをそばに居るクガヤマに手渡した。
「オメーも災難だったよなぁ。まさか言うに事を欠いてアイツらにスパイだなんて言われるんだからな。あんな雑魚中の潜入捜査なんてやる意味ねーつの」
稲毛屋の言葉を受けてクガヤマは素早くサーブを打った。
「疑いを持たれてしまったのは残念でしたが、自分の言葉が足りなかったのが悪かったのだと思います。もっと皆と分かり合えたら。あんな事にはならずに済んだのかもしれません」
稲毛屋の緩いドライブが壁に跳ね返る音が響くとショーちゃんが雑誌から顔を上げた。クガヤマが顔に手を当てて鼻をすすった。卓を周って歩み寄ってきた稲毛屋が悪い顔をしてクガヤマの顔を覗き込んだ。
「あれ?オマエ~アイツらに言われた事、思い出して泣いてんの?」
「い、いえ。目にゴミが入っただけですので」
濡れた拳で目元を拭うクガヤマの姿を見て稲毛屋が「あっはっは!」と笑い飛ばす。
ショックだったんだ。普段感情を表に出さないクガヤマだったとしても。「おい、初心者」「なぁに?ダーリン」ショーちゃんに声を掛けられて稲毛屋が両手を合わせて髪をふわりと振り返る。
「さっき打ったサーブやってみろよ」
「ええ?いいけど」
そう言うと稲毛屋は手首を内側に返してそこから捻るようにラケットを振ってピン球をはじき出した。ピン球は短くネットを超え、真ん中から逆方向にてん、てんと転がった。
「物覚えが良いタチでな。一度見たワザはだいたい覚えちまうんだ」
稲毛屋が対面のオレに「にしし」と歯を見せて笑う。「何言ってんだ。回転も緩いし俺の見よう見まねじゃねーか」ショーちゃんが言うと「えへへ」と稲毛屋が頭を掻いて振り返る。口は悪いが笑顔は可愛いな、とオレはしばらく稲毛屋の姿に見とれていた。
「この不良共。なに優等生に悪事を吹き込んでるんだい」
入口からトミ婆がくわえタバコでゆっくりと姿を現した。涙の収まったクガヤマが毅然とした声でトミ婆に答えた。
「いえ、ここで練習させて頂いているのは自分の意思ですので」
「そうかい。こんな吹き溜まりで打ってても何のタシにもならんと思うけどね」
そういうとトミ婆は手に持っていた地方新聞をパン、とショーちゃんの前の机に投げた。
「今日だろ?全中予選大会。短い間だったが同じ釜の飯を食った関係だ。色々あったかも知れないが、兄貴分たちが
トミ婆にそういわれるとショーちゃんはゆっくりと椅子から体を起こしてオレ達に言った。
「行ってみっか。アイツらの試合を観に」
大会の行われている体育館のドアを開けると中は真剣勝負を繰り広げる卓球部員達の熱気で盛り上がっていた。オレ達は全体が見渡せる観客席の一角に座ると試合が行われている卓に目を落とした。ショーちゃんの隣に座った稲毛屋が更に隣のオレに耳打ちをした。
「まさかショージが自分を追放した連中の試合を観にいくなんて言い出すとはな」
「もう、関係ねーからだよ」
筒抜けだったようでショーちゃんが後に続く声を伸ばす。
「あのヘタクソ連中が試合で大負けして恥じかくとこを見に来たんだよ」
「本心とは思えません。ショージくんも自分と同じように彼らが気になっていたはずでは?」
クガヤマがそう問いかけるとショーちゃんが「けっ!」とそっぽを向いた。
「選手入場だ!アイツらだろ?港内中卓球部」
腹の突き出た監督を先頭に5人のゼッケンを背中に付けた部員が卓の周りに集まり、円陣を組んだ。「アイツらがレギュラーかよ」ショーちゃんが呆れたように仰け反ると「妥当な判断だと思います。彼らは人一倍練習に励み、ランキング戦でも結果を残しましたから」とクガヤマが彼らを注視した。
港内中卓球部シングルスワン、先鋒は部長のヒューガ。安定感のある危なげのない試合展開で優勢に進めているとロングのボールに意表を突いた打球を繰り出した。
「あれは…オマエが俺に使ったデスカットじゃねぇか」
不規則に揺れる打球を相手が空振りするとヒューガが「シャア!」と拳を握り締める。
「あの方にああいった遊び心があっただなんて、思いもしませんでした」
「ふたりと練習して頭の固そうなキャプテンも考えを改めたんじゃないのかなぁ?」
冗談のつもりで言ったオレの言葉にふたりが真剣な顔をして首を捻った。1本目はストレートでヒューガが勝利を収めた。
シングルツーは二年生のサーブマン、ヒガタシュンジ。ヒガタは得意のサーブで相手を手玉に取ると、打ち合いに持ち込もうとする相手の思惑を避けるように短い手順で得点を積み重ねていった。相手が三年生ということもあって危ない場面もあったがゲームカウント3-1で押し切った。
「ドライブの打球が早くなってる。アイツ、この短期間で何をしたんだ?」
「男子三日会わざれば刮目して見よ。自分達が去ってから特訓を重ねたに違いありません」
ショーちゃんとクガヤマが笑顔で部員達をハイタッチを交わす眼鏡の男を見て自分達のチームメイトであるように誇らしげに試合を振り返っている。オレと稲毛屋はそれを見てふたりと連中との信頼関係が少し見えたような気がして嬉しい気持ちになった。
ダブルスは桃井と佐倉の二年生コンビ。桃井が豊富な運動量で打球を拾い、台に着く佐倉が得点を重ねていく…という作戦らしかったが、どちらもダブルスに慣れていないようで細かいミスやお互いの足を引っ張るようなプレーが出ると最初の勢いはトーンダウン。相手に主導権を握られゲームカウント1-3で敗戦となった。
「やっぱりアイツらはさきの二人と比べると一枚落ちるな」
「レギュラーに入る事を目的とし、ダブルスの練習をしていなかったので仕方ありません。気になっていた所でしたが自分の事で精一杯で監督に言い出せませんでした」
うなだれるダブルスチームを見下ろしてショーちゃんとクガヤマが残念そうに首を振った。
シングルスリーは三年の四街道が担当。以前ショーちゃんと打った時に巻いていた右ひざのテーピングが消えていて、試合でも下半身に重心を掛けた重いスマッシュを連発し、試合の流れを手繰り寄せるとそのままの勢いで相手を押し切った。
マッチポイントを取った瞬間、ベンチに座る選手が歓声を挙げて立ち上がると三勝した港内中卓球部が一回戦勝ち抜き。その後も巧みなラケットタッチや中学生とは思えない強烈なドライブで試合を勝ち進めていく。港内中の快挙は体育館中に広がり、その波は他校の勢いを呑み込んでいく。勝利の度に部員達の顔には自信と余裕の表情が浮かび、午後の決勝戦を迎えるとあれよ、あれよというまに優勝を成し遂げた。
「おい、オマエら観に来てやったぜ」
表彰式の後、廊下で歓喜の雄たけびをあげる港内中卓球部の輪にショーちゃんを先頭にオレ達は顔を出した。「ああ、キミ達も来てくれたのか。ありがとう」先鋒を務めたキャプテン、ヒューガが輪の奥から現れて礼を言った。真っすぐに向き合うとショーちゃんが問い質した。
「俺らが抜けた1週間であそこまで出来るようになるとはよ。抜いて打ってたのはそっちの方だろ」
「いや、こっちもキミ達小学生に蹂躙されて必死に練習に取り組んだんだ。キミ達にはその」
「ねぇ、キャプテン!記念撮影!」
言葉に詰まったヒューガを部員のひとりが呼びつける。ヒューガは「よし」と気合を入れると後ろを振り返って声を張った。
「みんな集まってくれ。ショージとユウマが来ている」
キャプテン、ヒューガの号令を受けてはしゃいでいた部員達が口を噤んで集まってきた。ヒューガを中心に横並びに立つと連中はオレらに向って頭を下げた。
「夏の合同練習、自分たちの偏見でキミ達を練習から追い出してしまって本当にすまなかった!言い訳になるが俺たちも大会を前にして怪我やレギュラー争いで他人への思いやりが欠けていた。許してくれとは思わない。しかしもう一度言わせてくれ。本当にすまなかった!」
「ま、悪い気はしねぇかな」
ショーちゃんがいたずらっぽい表情でこっちを振り返る。「この体育館で一番強ぇ奴らに頭下げさせてんだから」続いた言葉でオレ達はほっと息を吐き出した。
「クガヤマ、お前をスパイだなんて根拠のない理由で追い出して悪かったな」
部員のひとりがクガヤマに近づいて謝罪した。「オレもお前の卓球スクールを悪く言ってごめんな。お前も親の都合でこっちに来て大変だったのに」他の部員も同じように頭を下げると「いいえ。誤解を招くような態度をとってしまい、こちらこそすみませんでした」とクガヤマが歯を食いしばった。
「みんな頭を上げろ。チャンピオンは胸を張って誇るべきだぜ」
茶化すようなショーちゃんの声が輪に広がると部員達は胸のつかえが落ちたように歓声を張り上げた。和解成立。するとクガヤマが出口の前に進んでこっちを振り返った。
「皆さん、今日で自分は神戸に帰ります。夏休みの間でしたがお世話になりました」
「おいおい、急すぎんだろ。こんな祝いの席だってのに空気の読めねぇ奴だぜ」
深くお辞儀をしたクガヤマに稲毛屋がツッコミを入れる。「話す機会はあったのですが…皆さんが集まるこの場をお借りして告げた方が良いと判断したので」部員達の視線が集まると「それでは皆さん、お達者で!」とカバンを担いでその場からドアを開けてクガヤマが走り去ってしまった。
「不器用な奴だぜ。前もって言ってくれればお別れ会のひとつでも開催してやったのに」
「いや、アイツにそんな水っぽい催しは要らねぇよ」
夕日に駆けていくクガヤマの姿を眺める稲毛屋にショーちゃんが言葉を続けた。
「アイツの道はまだ続いてんだ。この次に会う時はもっと大きな獣になってるに違いねぇ」
「おーい、ショージ集まれ!お前も集合写真に入れ!」
「なんでだよ!関係ねぇだろ!」
文句を言いながらも監督が音頭を取る撮影に収まるショーちゃんとオレ達。優勝を祝うバカ騒ぎが夜遅くまで続いた。そして夜が明けた!
「このパコ!会場で何を観てきたんだい!?」
番台の仕事につこうとするとトミ婆が大声でオレを道場に呼びつけた。どうしたんだろう。トミ婆の読び方がいつもと違う。ショーちゃんに聞いたんだけど、パコは昔の人の言葉で『大馬鹿野郎』という意味で、自分の愛する子が悪魔にさらわれない様に愛情を込めてパコと呼ぶのだという。でも今のトミ婆の呼び方はまるでオレに馬鹿と言い放つような厳しさだ。トミ婆はパン!と新聞を机に叩きつけると「読みな」と冷たい声を出してタバコを取り出して火を着けた。
『港内中卓球部、予選大会で優勝も用具規定違反で全国出場取り消し。関係者各位、責任対応に追われる』
地元新聞のスポーツ欄に小さく書かれた見出しに目を奪われるとオレはびっくりして電話でショーちゃんを呼び出した。
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