第21話

「おい、お前ら!どういうつもりなんだ!?」


 全中予選大会翌日の放課後、3年生の引退式の途中で体育館の扉が蹴破られそうな勢いで開かれた。大音に振り返ると息を切らせたショージが警備員の制止を振り切りヅカヅカと土足のまま近寄ってくる。部員達が顔をしかめていると彼らの前でショージが声を張り上げた。


「お前ら、ズルをして優勝したのか!?あんなに喜んでたのに、俺たちを騙したのか!?」

「ショージ、その事なんだが」


 キャプテンを引退したばかりのヒューガがゆっくり諭すような目でショージに歩み寄った。事の成り行きを見守ろう。私は深く息を吐き、腕を組んでふたりを見つめた。ショージは依然、興奮した様子で目を血走らせている。ヒューガは少しの逡巡の後、顎に手を当ててこう言った。


「いや、これ以上罪を重ねてもしょうがないな」


 観念した様子でヒューガは手に持ったラケットを卓の上に投げて見せた。


「ブースターを使ってたんだ。ラバーに塗る事によって反発力を大きくする作用がある」


 列から離れたシュンジが説明をする。ヒューガがラケットを掴み上げてショージに向き直る。


「試合に出たメンバー5人。全員がこのブースターを使用していた」

「分かってたのかよ。それが規定違反だって」

「ああ。バレなければ良いと思っていた」

「てめぇ!」


 ショージがヒューガの胸倉に掴みかかった。「ふざけんじゃねぇぞ!この野郎!」拳を振り上げたショージを止めようと他の部員が駆け寄るが「来るな、問題ない」とヒューガが制した。落ち着いた、開き直りにも近い冷徹な空気を感じ取りショージが掴んでいた腕を振りほどいた。


「オレ達は夏の大会、絶対に優勝しなければならないと思っていた」


 俯いたまま、腕を組んで四街道が呟いた。その発言にショージが突っかかる。


「そんなの、どこの学校も同じじゃねぇか。そのために禁止されてる用具を使っても良いと思ってたのかよ」

「お前、オレ達と初めて会った時言ったよな?」


 桃井が一歩、ショージに歩み寄って言った。


「オレ達に指さして『お前ら全員見込みナシ』って。アレは効いたぜ。お前にとっては自己紹介の延長だったのかも知れねぇ。でもなぁ…お前みたいな小坊に言われなくても自分たちがカスだって事はオレらが一番分かってんだよ」


 目を潤ませて言葉に詰まった桃井の後を引き継ぐように佐倉が続けた。


「でもオレ達にだって意地はある。夏休みの間、猛特訓してお前みたいな生意気なガキを見返そうって頑張ってた。けど、ランキング戦でお前とクガヤマに負けてオレたちは決心したよ。どんな手を使ってでも試合に勝って全国に行こうって」


 目の前の視界が眩んだのか、フラフラと覚束ない足取りを踏ん張ってショージは声を張った。


「…いい加減にしろよ。全部俺のせいだって言いたいのかよ!」


 ショージは足元にあったピン球を掴んでヒューガの胸元に投げつけた。ヒューガがラケットで跳ね上げるとそれを受け止めるラケットの上にぴたり、とピン球が設置した。


「アンチ粘着かよ。ラバーも規定違反じゃねぇか。デスカットが打てたのはそいつのお陰か」

「1回戦でラケット交換をした時、バレるんじゃないかって心臓が張り裂けそうだった。でも勝ち上がる度にチェックがおざなりになり、すり抜けに成功した」


 深く溜息を吐くと空笑いを浮かべながらヒューガは遂にその言葉を口にした。


「オレ達は試合で勝つために悪魔に魂を売ったんだよ」


 部長として皆を先導し、人一番練習熱心だった男から発せられた声に体育館が静まり返る。性根の腐ったこんな連中を殴る価値もないと判断したのだろう。ショージが握っていた拳を解いた。私は申し訳ないという気持ちで胸がいっぱいだった。


「そろそろ終わりましたかね?引退式は」


 聞き覚えのある声が扉の方からして私たちは顔を上げる。「オマエは、あの時の!」ショージに続いて私もその長身の男の顔を思い出した。初めてショージと卓球道場で会った時、打ち合ったあの男だ。


「私の名前は干潟隼人ひがたはやと。そこに居る干潟瞬二の兄です」


 シュンジが居心地悪そうに眼鏡のつるを押し上げた。ハヤトは不敵な笑みを浮かべながら話を続けた。


「私は大学で機械工学を専攻している。いい機会だ。まだ隠している罪があるのなら自白した方が良い」


 ハヤトが憎らしい目を向けるとシュンジがぐっと、歯を食いしばった。最悪の予感が頭をよぎり、私は視界を宙に逃がした。


「監督、ショージ、そしてレギュラーに成れなかったみんな。黙っててごめん。実はラケット自体も違反のモノを使ってたんだ」


 シュンジの言葉で部員達に動揺が走る。私の隣に居た女子マネージャーが泣きながらうずくまるとハヤトが自慢げに胸を張った。


「ラケットは私が大学で制作した特注品です。独自の研究により、既製品では不可能な高反発を実現。開発者として私は夏の大会に挑む弟がこのラケットでどこまで挑戦できるか確かめたかった。しかし、まさかこの中から大会委員に不正を自白する裏切り者が居るとは思いもしませんでしたけどね」


 ケタケタと笑いだすハヤトを見て私は自分の管理能力の無さを恥じた。不正が発覚したのは大会の後で、ひとりの部員の告発によって今回の事件が発覚した。今からその『犯人捜し』をしようというのだろう。部員達の顔をひとりずつ覗き込むように練り歩き始めたハヤトにショージが呼び留めた。


「おい、誰がチクったとか、もうどうでもいい。お前らは真剣マジで卓球やってる奴らに対して絶対に許されない事をやったんだ。そのラケットで俺と勝負しろ」

「おやおや、妙な事になりましたね」


 ハヤトが立ち止まり、ショージをからかうように両手を広げて肩をすくめた。


「構いませんよ。そういえば依然、キミに寂れた道場で敗れた事がありましたね。あの時の屈辱を果たす良い機会だ」


 笑いながらハヤトは台に周りこみながら言う。


「ああ、そうだ。キミの道場ではローカルルールで賭けが張られていましたね。私が勝ったらキミはこの忌まわしき港内中卓球部に入部しない。そんな条件はどうです?」

「良いぜ、だけど俺が勝ったら」


 ショージは私と部員達の方を振り向いて言った。


「夏の大会に出て不正行為をやったヤツら全員、今日この場で引退しろ。もう二度と卓球の表舞台に姿を現すな」


 視線を合わせずに俯く部員達に叫ぶような声で再び問いただす。


「文句ある奴、居ねぇよなぁ!?最後の最後まで黙ったまんまかよ!この卑怯者共が!俺とこいつ、どっちが勝つか、振れよ、お前ら!!」



――その後の事はよく覚えていない。私自身部員達の行いにショックが大きかったのもあるが、その後の展開があまりにも早く感じたからだ。ショージのハヤトとの戦いはショージが圧勝した。決勝点が放たれると同時に卓を飛び越えて二度、三度ハヤトの頬を張ると部員達に捨て台詞を吐いてショージは体育館から去っていった。


 一時は全国での活躍が有力視されていた二年生のシュンジ、そして桃井と佐倉のダブルスペアも三年の先輩達と一緒にその日の内に退部した。ショージの言った賭けの内容なんてどうでも良かった。あれだけの罪を重ねたうえでこれ以上卓球部で活動していく事は困難だっただろう。こうして太陽の子らは私の下を去った。


……1日にして優勝トロフィーと有力部員の大半、そして卓球部顧問としてのメンツを失ったのだ。私はその後も部の顧問を続けたがほとんど放心状態に近い容態で1年、また1年と呆けた態度で職務を続けた。教師という仕事は1年に100人以上の新たな生徒と授業や部活動で関わりを持つ。小学校から進学してきたショージや稲毛屋くらげの顔を思い出せなかったのも仕方のない事だったのかも知れない。



――去年の梅雨時期。私はあの日と同じように町はずれの温泉卓球道場に訪れた。いや、正確には温泉でなく銭湯である事は皆が分かってる。『ウチの湯質は温泉だよ』と会う度に執拗に私に言うトミ婆さんの姿はその日に無かった。代わりにあったのは変わり果てたショージの姿だった。


「はい。オレの勝ち。初めの通り2000円頂きますね」

「くっそ~今のは惜しかったよな~」


 笑顔で札を受け取る褐色の背の高い男の子。もう20年は運動習慣が無いような一目で成人病と分かる中年男性。そのふたりがほぼ互角に近いスコアで競っていたのだ。白い歯を見せて笑い、わざと大きなフォームでラケットを素振りする少年が中年に訊ねている。


「こっちもあと一歩で負けるようなギリギリの熱い戦いでした。次やったら俺、負けてしまうかも知れません。そうだ、もう一度やりません?」

「ああ!やってやるとも!ダブルアップだ!4000円振ってやる!」

「おお、課長さん太っ腹!こっちも本気を出させてもらいますよ」

「ははは、腹は出ているがまだまだ若いモンには負けん!じゃあ第二ラウンドいくぞ!」


 中年の打ったピン球がショージのラケットに当たる事は無かった。私はショージに近寄ると思わずその体を抱きしめていた。あんな思いをさせて申し訳ない。こんなくだらない卓球を打たせて申し訳ない。そして今日までキミを見つけ出せずにいて申し訳ない。ショージは全てを分かっているような素振りで私の耳元でささやいた。


「遅かったじゃねぇか。ダメ監督」


 私はその言葉で自分の中で失われていた空白の2年間が繋がった。彼はずっと探し求めていたのだ。自分が再び全力で駆けられる勝負の舞台を。もう私の手元から離さない。この子を日本一の卓球少年に育ててやる。この生意気な天才児に一生付いていくと言わせてやる。



「そうして君の前に立ちはだかったのがご存じの通り、山破ショージだ」


 茸村の回想が終わり、景色は河川敷の河の流れに。既に辺りは暗くなり、モリアは肌寒さで腕を摩った。


「まさか、初めから天才だと思っていたショージにもそんな過去があったなんて」


 気が付くと体にじんわりとした暑さがまとわりついている。震えていたのは寒さではなく、強敵ともの知られざる過去を知ってしまった背徳感からだった。何故、茸村監督はショージの事をここまで包み隠さず話してくれたのか。当の本人は嬉しそうな表情を浮かべたままモリアに告げた。


「2回目にキミと対戦した際、ショージは明らかに卓球に対する態度を改めた。卓球道場という賭博場から彼を連れ出したが卓球部に刺激が無く、ただ練習をこなすだけだった日々にキミというひとつの指標が出来た。自分の能力を過信し、周りを見下し続けていたあの子がキミをライバルと認めた瞬間だった」


 対戦を通して感じた、ショージの内なる熱さと卓球への想い。それを知る相手から好敵手として認められ、モリアの胸に嬉しさがこみ上げてくる。ここに来て話を聞くまでは心のどこかで自分一人が闘っているのだと思っていた。しかし、今は違う。


 みんな、闘っている。卓球という競技を通して、夢を実現する為、荒野の途中で。


 その事実を理解した今。モリアの心に迷いは無かった。「ありがとうございました」と茸村に短く頭を下げるとモリアは再び河川敷の道を走り出した。茸村はその姿をある少年と重ねていた。あの日、中学の体育館の扉を叩いた小学生を。一回り上の部員達に対して罪を糾弾した勇敢な戦士の姿と。


「頑張れ。どんな事があろうと大人は君たちの味方だ」


 過ぎていく風景。遠くなる影法師。茸村は小高い歩道の上から卓球をする歓びに目覚めたもうひとりの獣が無限の荒野を目指して駆けて行く姿を見送っていた。



~番外編 黒豹は荒野を目指す 完

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