第18話

 夏の合同練習開始から2週間。ショージとユウマは週5日行われる1日通しの練習に休まずに参加していた。『二日目から練習に来ないだろう』と部員達の小さな賭けの対象になっていたショージだったが、ランキング戦での三連敗で天性の負けず嫌いに火が着いたのか、部員達から技術を見て盗み、練習で足りないラケットタッチの部分を居残りで埋めようと明かりの消えた体育館で素振りを繰り返していたのを私は目撃した日もある。何より彼は昼に食べる弁当の量が増えた。決して表に出さなかったが今思えば中学生の彼らとの体格差を埋めようとショージも必死だったのかもしれない。


 ユウマの方は『厳しい練習についていけるか?』という件で別の賭けが行われていたが二日目以降、場の空気に馴染んだのか、他の部員達のペースを崩すことなく練習に入れるようになった。体幹の良さをキャプテンのヒューガに見いだされ、ラケットのスイングで悩む部員を指導した事もあった。


――ああ。賭けはめさせたよ。スポーツマンとして悪い癖を子供らに付けたくなかったし、内容が少し陰湿だったからね。まぁ、それだけ彼らも自分たちの評価を上げるためにあの子らの足を引くのに必死だったのかも。だとしたらそれは私の教育が間違っていたのかもしれない。



 話を戻そう。この頃から練習メニューは午前中は体造りの基礎連、午後は卓を使った実践的な練習に移行していった。だから午後になるとショージはある男について技術を学んだ。そう、のちに彼のサーブの師匠と呼ばれるヒガタシュンジにだ。


「サーブで有利な状況を作り出すのは近代卓球において重要な戦術タクティクスだ。ボクらのようなノンパワープレーヤーには必須項目と言っても良いだろう」


 卓の上に置いたピン球を両側から指で回転をかけて転がすシュンジを肩越しに眺めながらショージが声を張った。


「オマエと同じ非力のグループに入れんな!つかサーブなんて交互に打つから試合の半分しかやらねぇだろ。それよりドライブの精度を磨いた方が効率的だろうが」

「ちっ、ちっ、ちっ。分かってないなぁショージは。お勉強が苦手なグループだったりするのかな?実際見て覚えた方が良い。じゃ、反対側で構えて」


「一言多いんだよ」愚痴を言いながらショージが卓の反対側でラケットを構える。「行くよ。回転とコースに注目して」シュンジが独特なフォアサーブの構えで内側に曲げた手首を外側に弾きだすようにしてピン球に回転を加え、サーブを放つ。するとピン球は短く跳ねてネットを飛び越えるとミドルからストレートに変化する軌道を描いた。ショージが精一杯手を伸ばすが届かない。見ていた部員達がシュンジに拍手を打ち感嘆の言葉を並べる。


「すげー、サービスエース」

「相変わらずえぐいなシュンジのサーブは」

「ホント、ホント。卓球がバレーボールみたいに得点してる間ずっとサーブ権握れる競技だったらおまえ金メダル狙えるよ」

「いやぁ、それほどでも」


 みんなに持ち上げられ嬉しそうに頭を掻くシュンジを見てショージが悪態をつく。


「けっ、こんなサーブ。来るって分かってたら反応できらぁ。卓球は33点積み重ねなきゃ勝てないんだぜ?こんな初見殺しを延々やり続ける気か?」

「確かにそれは素敵なアイデアだ。それが出来れば金メダルとまではいかなくてもかなりいい線いけるかもね」


 シュンジが眼鏡を指で押し上げてシニカルに微笑んだ。


「毎日ネタを探して面白い動画を投稿するユーチューバーさながらに多種多様なサーブを繰り出して勝ちを手繰り寄せる……それも勝つための手段だけど、流石にそれはしんどいよ。ネタ切れ必至で手詰まりになるのが目に見えてる」


 ピン球をラケットで真上に跳ね、それを手の平で握り締めるとロゴに目を落としながらシュンジがこう言った。


「もし、リターン不可避な得点確実のサーブがあったとしたら。それがもし打てるようになったら」


 シュンジがゆっくりと息を吐き出すとラケットを構える。場の空気が冷たいものに変わった。まさか、ここでそれを打つのか。唾を呑み込む未発達のショージの喉仏が上下したのが見えた。


「その選手は間違いなく世界を獲るだろうね」


 そういうとシュンジは構えを解いてラケットを卓の上に投げ出した。


「なんだ、打たねぇのかよ」

「打てるわけないだろー。ボクまだ中学生だし。せっかく良い感覚で打ててたから今日は止めておくよ。さっき打ったの、YGサービス。出来るようになると前で打つ連中に効くから覚えておくように」


 そういうとシュンジはトイレに行くと合図を出し、体育館から消えた。「おい!オレの弱点こいつに教えんなよ!」と前陣速攻型の佐倉さくら健太が声を張り上げた。彼は桃井の仲の良い普段は明るい性格の部員だ。彼も桃井と同じようにレギュラー当落線上だったから毎日必死に練習していたのを覚えている。



「ショージ、おめえにお客さんだ」


 次の日の昼休憩。二つ目の弁当を平らげたショージをカイドウが呼びに来た。ランキング戦で対戦した事から彼らふたりの間には全力で戦った男同士の邂逅かいこうがあった。カイドウは4つ年下のショージにも分け隔てなく接していたが、その頬にはそれとは別のほころびがあった。


「女だ。あんなカワイイコ引っ掛けるなんておめぇもやるじゃねぇか」

「まったく、あいつは」


 自分に会いに来た相手を思い浮かべながらショージは待ち合わせ場所の屋上に繋がる階段を上る。重いドアを開けると強い風に吹かれてなびく髪が目に映る。稲毛屋くらげが大きな竹カゴを持って待ち構えていた。


「おう、オメーが全然顔出さなくなっちまったからこっちから会いに来てやったぜ」


 右手をかざして挨拶をしたくらげからショージはうっとおそうに顔を背ける。よくある青春の一コマを期待して私が扉の影から覗き見ているとくらげが竹カゴの中から巾着で包んだ重箱を取り出してそれを見せた。


「ほらよ。練習でハラ減ってんだろ。これ、食えよ」


 強がった言葉ではあるがくらげの頬が紅潮していた。しかしタイミングが最高に悪い。昼食を済ませたばかりのショージはその箱を手で払いのけた。いいよ、と振った手が当たってしまったのかもしれない。床に落ちた弁当箱を見てくらげがその場にぺたん、と膝を付き、顔に手を当てておいおいと泣き始めた。


「ひどい!アナタのために5時起きで作ったのに!」

「す、すまん。悪かった。腹は減ってねぇんだよ。ごめんって。泣くなよ」


 くらげの様子を見て慌てるショージの姿は貴重だったから今でもその光景を思い出すと笑ってしまう。くらげは一通りショージから謝罪の言葉を聞き出すと、ふっと顔を上げ「じゃ~~ん!ウソ泣きでした~~!!」と子供じみたからかいを返した。それを見て呆れたように、ほっとしたようにショージが息を吐いた。


「で、前聞いた話だけどよ。そろそろ答えを聞かせてくれねえか?」


 立ち上がったくらげがショージに向き直って聞いた。「なんだか妙な空気になってきやしたね」いつも間にか隣にやってきた桃井が私にささやく。「なんの事だ?おぼえてねぇよ」視線を外したショージに「誤魔化すなよ」とくらげが体の位置を変え、視線を合わせる。


「ショージがアタシと付き合ってくれるって話」


 後ろで水を吹きだした音が響いた。振り返るとユウマが咳払いで今のそれを打ち消そうとしている。正面を向き直ってショージの回答を待つ。さぁ、どうする青春少年。しばらくの沈黙の後、ショージはくらげに告げた。


「おまえと付き合うという事が今の俺にはよくわからない。一緒に学校でバカやって、駄菓子屋行って面白おかしくやってればそれでいいじゃねぇか。なんで俺とおまえ二人きりで居る必要があんだよ?」

「もう!ダーリンの馬鹿!飛び降りてやる!」

「おい!やめろ!この馬鹿!」


 告白を断られたくらげがその場から奥へ全速力で駆け出した時は肝を冷やしたが、手すりの前で急展開して戻ってきたくらげを見て私たちは安堵の声を出した。稲毛屋くらげ。掴みようのない自由人である。


「じゃ、友達ゴーゾン-Goes On-って事で。でもあたしが常にオマエのくちびるを狙っている事を忘れんじゃねぇぞ」


 あぐらをかいて座るくらげが拳を伸ばすとショージもその拳にコツンと拳を合わせた。その表情にはどこか諦めの色があった。


「おまえ、もっと女らしくした方が良いぞ。それに」


 それに、なんだよ?という風にくらげがショージを見上げる。ショージは軽く咳ばらいをすると小さな声でこう言った。


「礼儀正しい女っぽい女の方が俺の好みだ」

「本当ッ!?じゃあ今日からくらげ、お嬢様になるわねッ!!これからよろしくお願いざますねッ!ショージぼっちゃまッ!ん~~ちゅっ」

「やめろ、絡むな!気色悪い!」


「あー!もう我慢できねー!」

「俺たちこの空気やめさせてきます!」


 ショージの体に腕を伸ばしたくらげを見て私の横からふたりの部員が飛び出した。彼らはふたりの前に出ると湧き上がる嫉妬心から痛々しい態度でくだを巻いた。


「オイオイオイ!おめぇらこんな日々悶悶と筋トレと卓球しかしてない運動部員の前でいちゃつくとは何事だ!ここは神聖な学び舎だぜっ!」

「こんなカワイイ彼女振るとか、見せつけてくれるじゃねーか山破ショージ。俺は今からお前を完全にエネミー認定した!お前の試合中、絶対球出ししてやんねーかんな!」


 桃井と佐倉が小学生カップル?相手に不平不満をグダグダと突き付けている。「ハイハイ!もうやめ!」手を叩いて私は彼らの前に出る。練習再開時間はもう過ぎている。監督として規律を正さなければならない。私は彼たちに外周の罰走を言い渡した。恋愛のムラムラはスポーツで昇華しろ。真っ赤に燃える太陽にダッシュという訳だ。まぁ、そういう甘い時間も当時のショージにはあったという事だ。こんな話をするのは次に続く辛い話の序章だというのを覚えておいて欲しい。


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