番外編 黒豹は荒野を目指す

第12話

 県境の河川敷。白い息を吐きながら走るひとりの少年の姿があった。彼の名は本田モリア。夏の地方大会団体戦であと一歩のところで全国出場を逃した穀山中卓球部の現部長。先日、とある実力者の集うトーナメント大会で敗北を喫した彼は本当の強さを見つめ直す為、研鑽を積んでいた。舗装された歩道の向かいに見覚えのある人物を見かけて彼は立ち止まった。その人物もモリアに気づいて「よっ」と右手を挙げた。


「お久しぶりです。茸村監督」


――茸村昌蔵たけむらしょうぞう。穀山中のあるT県と隣接したS県の港内こうない中卓球部の監督を務める人物。表向きはひょうきんで掴みどころの無さを感じさせる中年男性だが、試合中の重要な局面でのアドバイスに見られるような選手の指導力に長け、部員達の父母からも支持も厚いひとつ芯の通った男であった。


 モリアがランニングを止め、茸村と横に並ぶと眼下に流れる河の動きを見つめた。ふたりのとってはまったくの偶然による遭遇だったが、何かが示しあせたかのようにこの場で会った感覚が噴出し、しばしの沈黙ののち、モリアが口を開いた。


「先日、俺の中で卓球人生を左右するような出来事があり、俺はその戦いに負けました」


 はっきりとした、どこか吹っ切れた気持ちの感じる発声に茸村は目を向けると何も言わずに視線を清流に戻した。するとしばらくしてモリアが言葉を続けた。


「対戦した相手は俺より年上でしたが彼は俺のような中学生相手でも前準備をしっかりと用意していました」


 その当時の熱戦を振り返るようにモリアは眼鏡越しの瞳の奥から静かな炎を浮かべた。


「対策をとられていたんです」


 ほう、と茸村が顔をあげるとモリアは両拳を強く握って言葉を振り絞った。


「彼との試合で思い知らされました。ひとつの勝負の重さ。勝利を手にするための終わりなき努力。俺が彼に負けたのは必然で、今の俺には彼らに何一つ勝てないと思い知らさせた。俺はもっと強くなりたい。茸村監督、俺に本当の強さを教えてください」


 モリアの熱意の籠った懇願を受け流すように茸村は視線を宙に流す。


「それは無理だ。本田くん」


 どうして、と訊ねそうになるがモリアは先に自分でその解を頭で探した。その答えが纏まる前に茸村が口を開いた。


「私は一応、中学卓球部の指導者だがいわゆる精神面での教育、オーダーメイドの指導は受け付けていなくてね」


 指導を断られた、と判断したモリアが視線を落とすと居心地が悪くなった茸村は頭を捻った。この少年が自分に求めているのは何か。他校の卓球部員ではあるが、春から様々な場面で接点のある、迷える彼の力になってやりたい。モリアが茸村と話をする時、いつも共通言語のようにある人物の名前がやり取りされた。彼のためになるかどうかはわからないが、頭の中でひとつ前置きをして茸村は話を切り出した。


「ウチの卓球部員でキミのライバルである山破ショージの話をしよう。今でこそ奴は個人戦で全国上位に入賞する程の腕前になったが、最初から才能の塊といったわけではなかった。優れた技術を持った人物、支柱となる強い精神を持った人物。彼らの中で卓球を学ぶことで奴はひとりの卓球プレーヤーとして成長していった」


 モリアが眼鏡のつるを押し上げて茸村を見つめる。茸村は平たい顔の窪んだ目を小さくして地平線に沈もうとする太陽を細目で眺め、懐かしそうに語った。


「ショージに卓球を教えた港内中のOB達。彼らが現役として所属していた3年間はあまりにも眩しい季節だった。でも思い出そうとしても大きな影ができ、ぼんやりと視界がにぶってしまうんだ」


 モリアも茸村と同じように美しく沈め始めた夕日を見つめた。そして静かに息を吐いて神経を集中させ、茸村の次の言葉を待った。


「わたしは彼らを太陽の子ら、と呼んでいる」


 穏やかな口調で茸村が話を切り出した。





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