第7話
その後の試合は一方的な展開になった。
理由としてはぼくが相手のサーブに終始手を焼いた事、ヒガタが次第にぼくの卓球に
――この日の事はハッキリと憶えている。最初はいつも通りラケットが振れていたハズだったのに、試合が続くにつれ体の動きが鈍くなった。腕の振りが小さくなり、呼吸が乱れ、汗をタオルで拭うとぼぅっとした微熱が体中を纏っていた。
この日のためにコンデションを整え、風邪をひいていたワケでもない。それなのにこの不調はなんだ?試合は終盤戦、ゲームカウント1-2で逆転され、第4ゲーム。得点は8-6でヒガタのサーブ手順。サーブのリターンに苦しんでいるぼくにとっては土俵際だ。
「どうしたモリア?これがキミの実力かい?」
ステージの上では繰り返し薬葉氏が不利な状況のぼくに煽るような励ますような声をマイク越しに送ってくる。2ゲーム目以降、対戦相手のヒガタは短長織り交ぜたサーブを多用するようになり、コートを広く使ってぼくを振り回した後に、逆を突いて仕留めるといった得点パターンで試合を優位に進めていた。今回もロングサーブ『飛燕』でぼくを台から離させると有無を言わさずに距離の長いラリーを始めさせた。ぼくを左右に動かしてスタミナを消費させる作戦だ。
「そうはさせるかっ!」
相手の企みを阻止するようにダン!と脚を踏み込み、渾身のジョルトチキータを放つ。強引な手段だがここで流れを返すしかない。ラリーのテンポをぶった切る超速球がミドルに飛ぶとヒガタは腰を落とし、冷静にラケットを振り払った。
「出た。瞬次の高速カウンター技『燕返し』」
ポン、と重力に逆らいながら斜め上に浮上したピン球は強烈なバックスピンが掛かり、ネットを飛び越えると急速に真下に飛び込んでくる。強打を放った反動の硬直を見逃さない狡猾な一撃。台の上で転々と跳ねるボールを眺めるぼくを見てヒガタが眼鏡を押し上げて言った。
「キミのそのパワーチキータ。あまり多用しない方が良い。流れを変えたい気持ちは分かるけど体に負担が掛かり過ぎに見える」
痛いところを突かれ、ぼくは苦笑いを浮かべる。…そんな事は分かってんだよ。それもお見通しといった感じでヒガタはステージの薬葉氏に目を向けながら続けた。
「確かにステアさんにはキミに勝つように言われた。でも未来ある若者の将来を潰せとまでは言われていないんでね。あと2点で終わりだ。スマートに行こう」
「ふざけんな。まだ試合は終わりじゃない」
声を張り、次のヒガタのサーブに備える。ヒガタはこの試合、不規則な回転が掛かったカットドライブ、超低空のロングサーブ『飛燕』を主に繰り出し、試合中盤からは横回転サーブも織り交ぜて使うようになった。同世代のぼくのライバル山破ショージの師匠を自称するのもうかがえる。次はどれで勝負する?体育館の時間が一瞬止まると驚きの一打がそのラケットから放たれた。
「必殺、『サークルジャイロ』だったっけ?なるほど、アイツが好きそうな技だ」
「そ、そんな事は…あり得ない」
テーブルにスッと着地したピン球を見て頬から脂汗が滴り落ちる。『サークルジャイロ』はショージが新技として開発したYGサーブのひとつ。高さを限界まで軽減したノーバウンドでの一撃だが、その成功率は低く、試合の緊張感では得点パターンとして計算できない事から一種の曲芸にも思えていたその一打が今、ぼくの目の前に実現された。
「モリアー?マッチポイントだよー?ダメだよ最後までボクを楽しまさせてくれなきゃさー」
ステージの上から声が聞こえたのに気付いたのはネットを挟んで闘っているヒガタが指をさして指摘してからだった。ステージの壇上を見上げると薬葉氏がパイプ椅子の上で頬杖を突いていた。まずい。あと1点で負ける。これまで漠然とした、形を持たない霧のような姿で足元に浮かんでいた『敗北』の2文字が質感を持って体にのしかかってきた。
なぜ?どうしてこんな状況に追い込まれた。本来同じ実力の選手8人で争う2勝すれば勝ち抜けるトーナメント戦だったはずだ。1回戦で目の前のヒガタに勝って2回戦で日向由太郎に勝利した伊林慶太を倒せば全日本選手権の出場権が得られる願ってもないチャンスだった。でもチャンスだと感じていたのはどの選手も同じだった。
「賞金が出るんだ。全日本で勝ち上がればね」
試合の中盤、タオル休憩中にヒガタがふっと言った言葉を思い出した。
「オレは自分の名が売れればなんだっていいんだ。卓球でもYouTubeでもね。でもさ、金が貰えるんだったら出たいよね、全日本」
――それがヒガタの本心だったのかは分からない。しかし、現状としてヒガタはその夢の実現である『全日本出場』に近づいている。対戦相手であるぼくをこの試合で退けて。
きっとそんな青写真を描いているんだろう。俺にだってプライドがある。状況は苦しいがデュースに持ち込めば相手のミスでこのゲームを取れる可能性だってある。そう、まだ試合はまだ終わっていない。
「早くサーブを打ちなよ。次がつかえてるんだ」
相手の煽りに屈する事無く、時間を掛けてサーブを打つタイミングを見計らう。これで終わりにしてたまるか。湧き上がる闘志とは逆に脚は震え、呼吸が乱れ、目の前の視点が砂嵐のようにチラついていく。この日のために用意したコンタクトレンズが目に合わなかったのか?答え合わせは後でいい。今は目の前の敵に集中しろ。
「…馬鹿が。あんな小手先のサーブに苦戦しやがって」
「モリア―。今のでレシーブミス何本目ー?そんなんじゃ勝ち上がっても全日本の出場権はあげられないよー?」
脳裏にショージと薬葉氏の言葉が浮かぶ。実際言われてはいないがこの試合を観て本心は似たような気持ちに違いない。観客席にはマネージャーの田中や来年入部予定のキオンやコーダイも駆けつけてくれている。穀山中卓球部の現部長として彼らに恥ずかしい姿は見せられない。
慎重に放ったロングサーブを鼻で笑い飛ばすようにヒガタがクロスに返す。緊張と焦りで自分の心臓の音が鼓膜にうるさいくらいに響いてくる。この試合を通して初めて知った事実がある。
目の前が次第に暗くなり、視点がゆっくりとしたに下がっていく。意識をすべて奪い去るように真っ白に世界が弾けていく。こめかみのあたりに鈍器で殴られたような痛みが伝わると体をよじる事も出来ずに全身に制御不能の痺れが襲い掛かってきた。
人は本当にパニックに陥ると呼吸ができなくなる。ぼくはラリー中に
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