第3話
玄関で靴を履き替え、体育館の続く廊下を歩く。試合が始まる前の緊張感というのはどうにも慣れない。負けるかも知れないという
「久しぶりだな。穀山中の本田モリア君」
立派な造りのスーツにスキンヘッドが夕焼けに照らされて光輝く。彼は全日本卓球強化委員の
「先日のミックスダブルス大会を映像で見た。ペアの特徴を活かしたエレガントな卓球での優勝。キミにあのような素質があった事は驚いた。あの日、勤労者体育館でキミがダブルスの練習をした際に不遜な態度を取ったことを謝罪しよう」
白い地肌が透ける頭が下げられて、「いやいや、頭を上げてください」と慌ててぼくは芦沢さんに体を起こさせる。確かに彼の言う通り、隣町のハロウィン大会で催されたミックスダブルスの大会でぼくは優勝した。でも優勝した理由の半分はパートナーとなってくれた稲毛屋くらげの実力と運と采配による点が大きかった。結果は残したが自分の力で勝ち取った優勝とは言い難い。実力者に勝利し、本当の力を示したい。それが今日、ぼくがこの闘いに参加する理由のひとつでもあった。
「私の見立て違いだった。優れた設備と指導者が居なくても良い選手は環境から卓球を学び、成長する。キミは長年卓球を見てきた私の予想を覆したんだ。今日の試合も期待している」
ぼくの挑戦を疑問視していた人から最大限のお褒めの言葉を貰い、頬が緩みそうになるのを堪えながら彼の前を通りすぎる。嬉しいが、次の戦いはもう始まっている。
廊下の角を曲がり、体育館の扉をくぐる。僅かに人の入りがある観客席からの熱を感じるとぼくはコート中央に設営された卓球台に向い、横に置かれた得点板に目を向けた。1試合目の対戦カードは地方新人戦優勝者の日向由太郎VS怪我からの再起をかける高校3年生プレーヤーの
全日本出場権をかけた夕暮れのトーナメント1試合目の勝者は伊林慶太。年齢差5歳による二人の
「トーナメントの対戦カードはボクが熟考の末、決定した」
パイプ椅子に座り、ケースからラケットを取り出すぼくの肩を後ろから揉みながら薬葉氏がぼくに告げる。
「キミ達には対戦相手を通して『超えるべき壁』をボクの方から用意した。伊林VS日向のカードは『年齢差』。若さと勢いの日向由太郎を経験と体格で勝る伊林慶太が制したという形かな。結果は妥当だが、由太郎のドーナツ3つはいただけない」
薄く舌打ちを浮かべる薬葉氏に「俺の試合のキーワードは?」と訊ねるが「さぁ?自分で探し出してみて」とはぐらかされる。会場スタッフによる清掃が終わり、試合開始の準備が整うとぼくは椅子から立ち上がって卓球台の四方を囲うフェンスを乗り越えた。「頑張ってー!モリアさーん!」聞きなれた声援が飛んできてぼくは観客席にラケットを掲げてその声に応答した。
「今日の放課後、この体育館で全日本選手権の選手権が行われるって聞きつけて、応援に来ちゃいました!」
「頑張ってくださいっす、モリア先輩!」
「健闘を祈る」
――薬葉氏の開会宣言が終わり、中庭に向う前。観客席に同学年の女子マネージャー、田中の姿を見つけて歩み寄ると緊張感のない、あっけらかんとした声がぼくに向けられた。彼女の隣には先日ぼく達が勧誘に出向いた小学生コンビ、
「コンタクトにしたんですね」
まじまじとぼくの顔を見つめる田中に「ああ」と返答する。「良い感じですよ」ふぅ、と息を吐いて背もたれに体を預けた田中を尻目に天才卓球少年のひとり、キオンが同い年の相方に声を向けた。
「モリア先輩、コンタクトデビューだって。せっかくメガネ対決がみられると思ったのに~」
「モリア先輩の対戦相手は眼鏡着用だった」
やや思慮深い喋り方をするコーダイに「俺の相手を知ってるのか?」と訊ねると「薬葉さんの演説、ウケましたよね~」と横からキオンが口を挟んだ。
「頭良さげに確率のハナシ、持ち出してましたけど気にしない方が良いっすよ。イマドキ協会に登録するなんてネットから身分証提出して経歴書くだけで出来るのに」
「えっ、そうなのか?」
「後でモリアさんも登録しておきますね。アハ!マネージャー権限!」
「なんだ、田中も知らなかったんじゃないかよ」
「あっ、そんな事よりご報告!実はこの二人、全日本の出場権を持ってるんですよ!ヤバイですよねっ!?」
驚いて顔を向けると「ま、ジュニアの部門っすけど」とキオンが鼻を擦る。「本選はくじ運が悪かったな」とコーダイが不敵に微笑むと「あーあー」と不満げにキオンが唇を突き出す。「凄いな…」とぼくが身構えると田中から更に驚きの言葉が飛び出した。
「コーダイ君は本選の出場権をゲット済みです。つまり現状、このトーナメントの参加者より『卓球力』が上という事になります。衝撃の事実です」
「くっそー、コーダイに先を行かれるなんてー」
「フフ、『上』で待っているぞ」
自慢げに胸を張るコーダイを見て「来年は絶対勝ち上がってプロから勝ち星奪って新聞に載ったる!」とキオンは意思を固めている。小学6年生コンビによるハイレベルの競争を垣間見てぼくは田中と顔を見合わせた。
来年ぼく達の卓球部に入部予定の彼らはぼく達の住む世界が違うのかもしれない。でも部長であるぼくが彼らと同じように全日本の出場権をゲットできたなら…彼らが誇りをもって我が穀山中卓球部として活動できるようにぼくは決意を新たにこの戦いに身を投じたのだった。
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