第2話

「で、何ですか?話というのは」


薬葉氏による開会宣言が行われた直後、ぼくは彼から呼び出された中庭にて彼に問うた。深く組まれていた腕を解くと薬葉氏は樹にもたれ掛かりながらぼくに言った。


「んー、これから身の丈に合わない激戦を戦う事になったチキータ王子に対する激励、みたいな?」

「はぐらかさないでください。試合がすぐ控えている。手短にお願いします」

「もー、せっかちだなぁ。キミに用があるのはボクだけじゃない。…ほら、出てきていいよ」


薬葉氏が合図を出すと物陰から大きな影が伸びてぼくの影と交わった。顔を上げると隣県のライバル、山破ショージがその姿を現した。オーバーウェイトだった体のフォルムはいくらか引き締まり、顎のラインは以前と同じように一重に骨が張っている。


筋肉記憶マッスルメモリー。いくら体が太っても過去に鍛えた経験があれば体がそれを憶えている。絞るまでもう少し時間が掛かると思ったんだけど、やっぱ若さってのは眩しいね。羨ましいほどの代謝の早さだ」

「なにジロジロ見てんだ。気色悪ぃ」

「す、すまん。短期間に体形が変わったから少し驚いた」


近寄ったショージに謝ると並ぶ形になったぼくらに薬葉氏は笑いながら言った。


「ショージぃ、モリアとペア組んでた女の子もやっぱデブは嫌だってさ」


含み笑いをしたぼくを睨むと「ああ?あの稲毛屋の事か?」とショージが薬葉氏に問いただした。ぼくらをみて「はて?」と笑いが収まると体の前で図形を作ってその大人は訊いた。


「えっ?キミ達もしかして三角関係?」

「あっ、いや。その……」


面倒な事になった。不意の出来事とはいえ、ぼくが稲毛屋くらげにキスされた場面をこの人に目撃されているのだ。その事をショージに知られるのは嫌だった。ぼくが頭を掻いていると薬葉氏は長い右腕を天に突きあげるような勢いで伸ばしてこう叫んだ。


「せいしゅーーーーんっっ!!」

「何なんだ?うるせぇよ」


声を伸ばしている途中で遮るようにショージがいさめた。「ノリが悪いねぇ、青春少年」気分を少し害したのか、薬葉氏はショージに強い言葉をぶつけ始めた。


「体は痩せたようだけど、線の細さは相変わらずだな。これじゃただの無駄太りじゃないか。その内ダイエット本でも出すつもりかい?必要な筋肉が身に付いていない。

それにおまえ、地衣太との試合で何本サーブ外したよ?いくら手の内を隠した者同士の対決だったとしてもさすがに舐めプが過ぎ過ぎ杉の木ホテルだよ」

「舐めてたのは向こうも同じだろ」


ショージの証言を受けてぼくは大きくため息をつく。やはり手打ちだったのだ、あの試合は。しかし結果として勝利をつかみ取るために新技を披露してしまった地衣太が割を食う結果となってしまった。


「あっけなくストレート負けして興がそがれたかい?モリアくん。試合に負けて勝負に勝つ。大丈夫。ショージは地衣太には二度と負けない」


何を根拠に、と言葉が出かかったが逞しいショージの腕と脚を見てぼくは彼の次の言葉を待った。


「さて、モリアくん。なぜボクはこの場にキミを呼び出してショージに公開説教をかましたのでしょーか?」

「試合前の自分に発破をかけるためでしょうか?」

「同世代のライバルをけしかけてまで、ね。話というのは他ではない。キミ達二人にボクから提案がある」


ぼくとショージが顔を上げると薬葉氏は咳ばらいをひとつして言った。


「ボクはね、この国の卓球界をひっくり返したいと思っている。キミ達の知っての通り、卓球は超早熟のスポーツ。なのに代表選手は男女共に30近いベテランばかりだ。この国の傍観者リスナー達は結果リザルトより物語ストーリーを求める傾向が強すぎる。やれ大卒の補欠からの大抜擢だの、夢の四大会連続出場だの、意味不明な自己満足の押し付け。それを共有する時代はもうとっくに過ぎ去った」

「なにが言いたいんです?」


気持ちよさそうに持論を語る薬葉氏にぼくは訊ねる。彼がいう選出されたベテラン選手にだって彼らにしかわからない苦悩や葛藤があったはずだ。それをないがしろにされているようでぼくは少し怒りがこみ上げてきた。そんな気持ちを汲み取ったのか薬葉氏は「よっ」と体を起こして本題をぶつけた。


「ボクのマニフェストはね、人生の中で一番卓球に触れる時間の長い、本来最も才能の有る10代の若手を駆使して世界の頂点を奪う事だ。目指すではなく、奪う。この意味がキミ達なら理解できるだろう?五輪種目のローラースケートだって今や10代が中心だ。球技になぜそういったムーブメントが起きないか理解に苦しむよ。ボクの采配によって出場機会が得られるとなれば、キミ達にもとっても悪い話じゃないはずだ。どう?ボクと一緒に学生時代の青春全部懸けて、この国の卓球をぶっ壊してみる気はない?」


子供じみた稚拙で場当たり的な提案。しかしその言葉がぼくの衝動を揺り動かしたのは試合前だったからじゃない。当時のぼくは彼と同じように席の埋まったマンネリ化した卓球界に閉塞感を抱えていたし、公式戦でまともな成績を残せていない自分自身の立場向上のチャンスを求めていた。この男にこのトーナメントに出場を提案されたときは怪しいと感じたが、気が付くと体が新しい挑戦を、戦いを求めていた。


「左に偏った思想だな。具体的な展望ビジョンはあるのかよ?」


ぼくの隣でショージが鼻で笑うように訪ねると微笑みながら薬葉氏が指を一本立てて言った。


「龍神メソッド。ボクが選りすぐりした卓球史30年分を数時間に短縮した動画の編集が完了した。選抜選手は移動時間にこれを見て歴戦の記憶を脳裏に刻み込んでもらう」

「…動画を見ただけで強くなれるなら苦労はしねぇよ。ネットで教材売って儲けてろ」

「ああ、資金繰りにその手があったか。ナイスアイデア、ショージ!」


明るい口調で親指を立てる薬葉氏を見て「調子狂うぜ」と頭を掻くショージを見てぼくは疑問が沸き出てきた。それを言い当てるように薬葉氏はぼくらに微笑みかけた。


「新しい時代を創るには古い時代から学ぶのが一番だ。新時代の一歩がこの大会から生まれる事をボクは期待しているよ。と、言う事でモリア。参加チケット獲得よろしく」


話を締めくくる薬葉氏を横目にぼくはショージに訊ねた。


「そっちは全日本に出場するのか?」

「誰にモノ言ってんだ。当の昔に参加資格は満たしている」


短く、不愛想な返答を受けてぼくは「よし」と拳を握り締める。勝ち上がれば本戦でショージと戦える。公式の場で同世代のライバルとの真剣勝負。ぼくのモチベーションは否が応でもあがった。


「それで、一回戦の相手は?」

「ああ、それでショージを呼んだんだった」


訊ねるぼくに薬葉氏は持たれてていた樹から体を起こして言った。


「モリアの1回戦の相手は港内中OBの干潟瞬次ひがたしゅんじ。ショージの師匠だよ」


驚いてショージの顔を見上げる。彼はフン、と顔を背ける。体育館から試合終了を告げる審判の笛が響いた。1試合目が終わり、次はぼくが出場する2試合目だ。


「じゃ、そういう事だから。頑張って」


軽薄な口調を浮かべて立ち去る薬葉氏の背中を見つめているとショージがぼくに短く呟いた。


「負けんなよ。あんな卑怯な奴なんかに」


彼の言う『卑怯な奴』が誰を指しているのか、当時は分からなかった。ただ戦いに向うアドレナリンと夢の全日本選手権出場という『人権獲得』への野心がぼくの体を体育館への突き動かしていた。

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