第43話 綾小路 side

「私……健とは結婚したくありません」


 場が一瞬にして凍りつく。

 あれだけ和気あいあいとしていた雰囲気も今となってはどこにもない。


「姫花……本気で言っているのか?」


 どのくらいかして父が絞り出すような口調で私に問い詰めてくる。

 その表情は怒りが篭っており、眉間にはシワが深く刻み込まれていた。


「はい」

「この婚約が何を意味しているのか、わかっているのか?」

「はい。承知の上での発言です」


 どうなってしまうのかはわからない。膝が小刻みに震え、今にでも腰が抜けてしまいそうで怖い……。

 自分の口で正直な気持ちを言ってしまった手前、もう後戻りや今後の処遇については考えてもいない。どうにでもなってしまえ。


「健が何か失礼なことでもしたかな? もし、そうであれば――」


 健の父が優しく私に話しかけてくる。

 だが、私は発言の途中で首を横に振る。


「いいえ、健は何も悪くありません。これは……私自身の問題だと思っています」

「それはどういう……?」

「……私、好きな人がいるんです。小学生の時からずっと想い焦がれていた人が……」


 両親の前で初めて話す。

 あの夏のひと時の間だけではあったけど、時間なんていうものは関係ない。付き合いが長いからとかではなく、その人のことが好きかどうかだけが大切だと思う。

 田代くん……裕太くんが言っていたように親の言いなりなんてもうこりごり。これは私の人生であって親や誰からにも好き勝手できない私だけが決めてもいい特権。私が誰と付き合おうが誰と結婚しようが、親に邪魔されて溜まるものか……。


「そいつは一体誰なんだ?」


 父の威圧がさらに強まる。

 怖気つきそうになりながらも私は深い息を吐く。


「その人は――っ?!」


 名前を口に出そうとした瞬間だった。

 バンッ!

 と、個室の扉が開くと同時に一人の青年が入ってきた。

 身なりはこの場とは決して見合わない私服姿で……。


「裕太くん?! なんでここに……?」

「お義父様、ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません」


 裕太くんは一度深々と頭を下げると、私の隣まで歩み寄ってくる。

 そして、私の肩を抱き寄せるなり、


「僕がその“約束をした相手”です」

「え……え?」


 何がどうなって……?

 もしかして、私のことを思い出してくれた、とか……?


「き、君が私の大事な娘をたぶらかした相手だと言うのか?」


 剣幕に満ちた表情で父は裕太くんを睨みつける。


「大事、ですか……。お言葉ですが、激昂なさるくらいに大切だと思っているのであれば、なおさら姫花の意思を尊重するのが当然だと思いますが?」


 一方で裕太くんは父に対して怯む様子を見せることなく、淡々と自論を述べていく。


「何を言っている。どこぞの馬の骨ともつかんやつに、娘をやるわけないだろ。それに姫花にとっても健くんと結婚した方が幸せになれるって決まっている!」

「気持ちがないのに結婚したところで幸せになんてなれないでしょ? 好きでもない人と一緒の空間で暮らす日常を想像したことありますか?」

「私がそうだった」

「じゃあ、お義父様はお義母様と結婚された当初は本当に幸せだと感じていたのですか? 自分がそうだったから娘にもそうさせるのは当たり前だという風潮はもう古いかと思います」


 裕太くんの正論に父は一瞬、言葉を詰まらせる。


「っ……だがな!」

「もういいでしょ?」


 再び父の反論を制したのは裕太くん……ではなく、意外にも健だった。

 健は席から立つなり、自分の前髪を掻き上げ、


「姫花ちゃんの気持ちが僕にないことくらい最初からわかっていましたし、この婚約には正直乗り気ではなかったんですよね。好きでもない子を嫁として迎えるのは。やっぱりいくらあなたたちが親であり、お世話になっていたとしても、僕たちの人生までには干渉してほしくない、というのが本音です」

「健、お前……」

「父さんには悪いですけどね。でも、いずれ会社は継ぐつもりですよ? それに婚約しなければ業務提携やら協定を結ぶことはできないんですかね? 婚約しなくたって、できると思いますけど?」


 再度、場が静まり返る。


「健、お前はそれでいいのか?」

「はい。それに僕にも好きな人がたった今できましたので」

「……そうか」


 父と母は健の両親に一度会釈をした後、無言のまま個室を出て行ってしまった。

 それからすぐ後に健の両親も何も口にすることなく、その場を後にする。

 婚約は無事に破棄することができた。その現実にホッと胸を撫で下ろしている自分もいれば、これからについての不安を背負っている自分もいる。

 両親とはもう決別状態になってしまうのだろうか……?

 こうなることを望んでいただけにどっと疲労感が波のように押し寄せてくる。


「じゃあ、姫花ちゃん。今日のところは僕も帰るね」


 健はそう言い残すと、個室から立ち去ってしまう。

 あっという間に二人だけとなってしまった空間の中で、今なお肩に置かれたままの裕太くんの手の温もりをしみじみと感じていた。


【あとがき】

 頭が働かない…。眠い。

 もしかしたら内容は変わらないと思うけど、この話だけ大幅改稿するかも…? その時はごめんなさい。

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