第36話

 まさか綾小路に婚約者がいた上に、そのご本人が登場してくるとは……。

 別荘の中へと上がり込んだ俺たちはリビングの方へと移動していた。

 荷物は林田さんが各部屋に持っていくということだったのでひとまずお願いして、相変わらずのふかふかなソファーに腰を預けているわけなのだが、


「先ほどはみっともないところを見せたわね」


 キッチンの方から飲み物を持参してくるなり、俺の前にそっと置いてくれた。

 綾小路は向かい側のソファーに座るも、どことなく元気がない。そう言えば、今朝からなんだか様子がおかしかったような節はあった。例えば、普段よりも対応というか、表情が冷たいような……そんな感じだ。

 今回の旅行も単なる楽しい宿泊ではないことは部外者である俺にも理解できる。ついさっきの有栖川との会話も思い返すに明日、両家との面談か何かがあるのだろう。

 だからと言って、邪魔をしようだなんていう愚行は微塵も思ってもいない。それに関しては何度も言っている通り、当人同士の問題。俺がどうこうできるものでもないからな。

 けど、綾小路自身は本当にこのままでもいいのだろうか? 俺に対して、言っていた許婚の相手はどうなる? あれは嘘だったのか?

 人間というものは本当に不思議だ。どうでもいいと思っていても、やはり目の前で起こっていることはどうしても気になってしまう。決して良心からくるものでもない。なのにお節介をつい妬きたくなってしまう。

 目の前のテーブルに置かれたお茶をひと口飲んだところで俺は咳払いをする。


「綾小路はどう思ってるんだ?」

「どうって、なんのこと?」


 綾小路は俯き加減だった顔を上げ、じっと見つめてくる。


「あの金髪イケメン……じゃなくて、有栖川のことだよ。親同士が勝手に決めた婚約者なんだろ? でも、お前には別に許婚がいるって前に言ってたよな?」


 いつの日だったか、綾小路は再会を待ち遠しそうな表情で俺に語ってくれた。

 あんな顔を見せておいて、結局は別の男とくっつくなんて、恋愛ドラマや漫画だったら、ものすごい批評を食うぞ? 俺としてもそんな結末は見たくはないね。部外者ではあるけれど、ハッピーエンドにはなってほしいとは思っている。


「田代くんには関係ないわ」

「関係ないって……そんな悲しい顔で言われてはいそうですかって言えるかよ!」

「ほっといてよ! こんな話はしたくない……私、部屋に行くから」


 綾小路は若干投げやりな感じになりながらもソファーから立ち上がり、リビングを出て行こうとする。

 俺は咄嗟的に綾小路の腕を掴んでしまう。


「離して!」

「いや、ダメだ! 逃げるつもりだろ?」


 親に歯向かうのが怖いという気持ちは誰よりもわかっていると思う。家庭環境が違っても根本的な部分は同じだ。

 俺がこんなにもお節介を焼きたいと思ったのもたぶんだが、自分と少し似ていたのかもしれない。自分と重ね合わせた上での行動。上手く表現はできないけれども。


「ちゃんと現実と向き合って、そして正直な思いをクソ親どもにぶつけてみろよ!」

「そんなこと……できるわけないじゃない!」


 腕を振り切られた瞬間、手首に付けていたミサンガが切れてしまった。


「……え?」


 綾小路は床に落ちたピンク色のミサンガを目にするなり、すぐさま拾い上げる。


「これって……?」

「え、ああ、七年くらい前に女の子からもらったんだよ。夏休みの間、当時住んでいた近所の公園で毎日のように一緒に遊んでた子だったんだけど」


 いつもは学校やらバイトやらで失くしてしまいそうなため、財布の中に仕舞い込んでいる。今日はたまたま身につけていたんだけど、このタイミングで切れてしまうとは……不幸への前兆か?


「……その子の名前は?」

「えーっと……すまん。覚えてない」

「その子は今、どこにいるの?」

「どこって言われても……夏休みの間だけだったし、そのミサンガをもらったのも別れの品みたいな感じだったからなぁ。いつかはまた再会しようね的な話をしたのは覚えているけど……」


 あの子は今、何をしてどう生活をしているのだろうか? 年齢もたしか俺と同い年だったから大学受験に向けての勉強でもしているのか、はたまたギャルにでも変身して、彼氏とイチャイチャデートでも楽しんでいるのか……おそらくもう出会うことはないのだろうと半ば諦めかけている。一応、俺の初恋の相手でもあったんだけどね。他の男とキスとかしている場面を想像するだけで胸が張り裂けそうな思いで気持ち悪い。ミサンガも切れてしまったことだし、この際あの子のことは忘れよう。


「そういや、やたらとこのミサンガについて訊いてくるけど、もしかして何か知っているのか?」


 ちょっとした淡い期待も込めて、綾小路に訊ねてみたが、静かに首を振られてしまった。


「……なんでもないわ。忘れて」

「お、おい……」


 綾小路はミサンガを俺に手渡すと、そのままリビングを後にしてしまった。

 一人取り残された室内にはまだ重苦しい空気が張り詰めている。

 ミサンガの件についてはともかくとして、俺自身は思っていることをすべて正直に吐き出したつもりだ。他人事にはあまり突っ込みたくはないが、こればかりは突っ込まざるを得ない。

 ――後はあいつ次第……。

 綾小路がそれでもというのであれば、俺は何も口を挟まない。だが、本当の気持ちを打ち明けようとするのであれば、家庭教師として微力ではあるが、援護でもしてやるか……。その上で縁談がなくなった時は夏のボーナスでもせびってやろ。


【あとがき】

 昨日の投稿時点でブクマ数が10以上剥がれて多少驚いている我氏。

 昨日の投稿話ダメだったかなぁ……。


 後ほどおそらくではあるのですが、重大な発表があるのかもしれません。

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