第29話

 ロッカーに荷物を預けてからが本当の地獄だった。

 女性用下着を主に取り扱っているランジェリーショップ。ここには水着もどうやら販売しているらしく、それを買いにやってきたのだが……場違い感がハンパねぇ〜。

 店内を見渡せば、従業員、お客さんともに女性しかいない。

 周りはいろんな種類やデザインを模した下着がずらりと並び、目のやり場に困る。しかも内装がピンク一色だからなおさら落ち着かないし……やはり外で待っていた方がいい。どことなく他の女性客から警戒されているような節もあるしな。

 そう思い立ち、店から出ようとしたのだが、


「どこに行くつもり?」


 隣で水着を選んでいた綾小路に腕を掴まれてしまった。


「いや、その……やっぱり男である俺がこの場にいるのもなんだかな〜っと思いまして」

「別に気にすることないじゃない。要は他のお客さんの目が気になるってことでしょ?」

「まぁそうなんだけど……だからこそ、その方たちのためも思って配慮しようかな〜って」

「しなくていいわ。そもそも“男性は入店禁止”みたいな張り紙とかなかったでしょ? 一応、店からしてみればあなたも立派なお客さんよ?」


 そう言われるとなんだか俺があっちの方みたいじゃないか。


「でも……」

「あーもういいから! それに田代くんは私の彼氏でしょ? 恋人を連れてランジェリーショップに行くことなんて珍しいことでもないから。何か言われたら、彼氏に水着を選んでもらってますって私からも伝えるし」

「わかった……」


 納得はできていないが、綾小路からここまで引き止められては無理に出ていくこともできない。

 特に邪な気持ちなんて一つも抱いてはいないが、俺の中にはちょっとした罪悪感が生まれていた。女性用下着を目にしてしまったからだろうか? 俺ってもしかすると純粋だったりする?


「じゃあ、私試着してくるから田代くんも念の為、試着室の前まで来てくれない? あ、感想も聞きたいし」


 綾小路は何着か手にしたところで俺の手を握って、店内端の方にある試着室へと向かった。

 そういや、綾小路と手を握ったのはこれが初めてだっけ?

 ちょっと意識してしまった自分を殴りたい。



 綾小路が試着室に入ってから数分。

 店内にBGMが流れている中で、微かにではあるが、衣擦れの音が微かに漏れ聞こえていた。

 カーテン一枚を挟んだ向こう側には今、水着に着替えている美少女がいる。そう考えると、顔が熱くなってしまうくらいに妄想が膨らんでいく。

 ――いかんいかん。こんなところで何を考えてんだよ。

 俺は煩悩から逃げるようにスマホを取り出す。

 そして、適当にソシャゲにでもうつつを抜かしておこうと思った矢先だった。

 カシャンッ。

 綾小路が入っている隣の試着室のカーテンが勢いよく開いたかと思えば、そこにいたのはくだもの柄の可愛らしいスポブラタイプの水着を着用した本田さん。

 やはりすっとんとんの幼児体型か……いや、微かにほんのちょっぴりではあるが、胸の膨らみが確認できる。

 どのくらいか見つめ合ったまま、無言の時が流れていく。

 本田さんもいつものようにベタベタくっついてくることもなく、ただじぃ〜っと俺のことを見るばかり。これ、どういう反応をすれば正解なの?


「って、え? ちょっ!?」


 しばらくして先に動き出したのは本田さんだった。俺の腕をガシっと掴むなり、強引にも試着室の中へと引き込まれていく。

 最後にカーテンを再びピシャリッと閉めたところで本田さんは俺の胸の中に飛び込んできた。


「やっぱりたしろん。これって運命? ぎゅっとして?」

「いや、できるかッ! というか、運命でもなんでもない。綾小路の付き添いでやってきただけだ」

「じゃあ、やっぱり運命だね♪」

「いや、だから……」


 本田さんは嬉しそうな笑みを見せながら俺の胸に頬擦りをしてくる。

 うっ……可愛すぎる。

 いろいろと心臓に悪すぎて、なんなら尊死するんじゃないかってくらいに鼓動がうるさい。

 隣には綾小路がいるし、あまり大きな声も出せない。この場面をもしバレてしまえば、どうなることやら……。想像もしたくない。

 ひとまず本田さんを宥めよう。二人っきりの空間ということもあって、いつも以上にスキンシップが激しいような気がする。このままでは俺の理性が……っ!


「そういえば、本田さんは誰と一緒に来たの? やっぱりご両親とか?」

「うん、ママと一緒に来てる」

「な、なら、今すぐお母さんのところに戻った方がいいんじゃないかな? あまり遅いと心配かけちゃうと思うし……」

「それは大丈夫。ママよりたしろんの方が大事だし、なんなら今連絡する」


 本田さんはそう言うなり、一旦離れると、脇に置かれていたカバンの中身を探る。


「あ、ああ、連絡しなくても大丈夫だよ。ほんと大丈夫だから」


 こんな時に本田ママまで現れてはさらにややこしくなってしまう。ただでさえ、俺のことを本気で婚約者と思い込んでいるくらいだ。これ以上、場が乱れては収拾がつかなくなってしまうかもしれない。

 本田さんは不思議そうな表情をしながらも「そう?」と小首を傾げて、スマホを再度カバンの中へと仕舞い込む。


「ちょ、ちょっと俺、急用を思い出したからそろそろ出てもいいかな?」


 さりげなくがダメなら最終手段。強引的な理由をつけて逃げるしかない。


「それってボクより大切な用事?」

「え、まぁ……うん」


 一応は綾小路の連れでもある。

 大切かどうかなどと聞かれるとまったくもってそうではないが、連れの方を優先するのは当たり前。それに俺がいないことに対しての心配もかけられないし。

 本田さんはどのくらいか俺のことをじぃ〜っと見つめた後、また俺の胸の中に収まってくる。


「わかった……。ボク、いい子だから」


 若干拗ねたような様子だが、どうにかわかってくれたようだ。

 俺は最後に頭をポンポンとしてやると、まるで子猫のように気持ちよさそうに目を細める。


「ありがと。じゃあ、また今度な」

「うん」


 本田さんに別れを告げ、カーテンの外へと出る。

 なんとか綾小路にバレることなく、戻ってくることができた……かと思ったのだが、


「なーに私に隠れてイチャイチャしていたのかなあ?」


 隣の方に視線を向けると、すでに試着を終え、購入が済んだのだろう。紙袋を肩に掛けた綾小路の姿があった。こめかみには心なしか青筋が見えるような……?


「え、えーっと……これには深い事情が……」

「事情ね……ともかくそれに関しては帰宅した後、じっくり話してもらいましょうか。内容次第では減給処分ね」

「いや、そんな……」


 結局こうなってしまうのかよ……。

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