第20話【改稿済み】

 午後十時。

 外の様子はさらに激しさを増し、雷雨が絶え間なく続いていた。

 風もゴーゴーと窓を揺らしながら、スマホでは引き続き避難警報が出されている。

 が、この状況でどうやって避難しろと……?

 ただでさえ、外は台風並みだというのに逆に建物外に出る方が危険ではないだろうか?

 まぁそれに関しては、個々それぞれ。築年数の浅い建物や耐震耐風構造の建物であれば、避難する必要性はないかもしれないが、逆に築年数がだいぶ経っていたりする建物に関しては近くの公民館だったり、避難した方が身のためだ。建物が強風などに耐えきれなくなって、ぺっしゃんこに潰れてしまえば、ほぼ命はないと言っても過言ではないからな。

 それにしても酷い天候だ。

 ニュースサイトでは千年に一度の大雨と記載されており、俺が住んでいる地域は明日の未明には回復すると書かれている。

 この状態だと明日の学校は臨時休校か?

 例え、天候が回復したとしてもこの様子では、通学路に何かしらのアクシデントが起きていてもおかしくはない。すべての道路とは言わないものの、少なからず冠水していたり、倒木などで通学できないという生徒はいるはずだ。

 まぁ俺としても明日は臨時休校の方がいいんだけどな。教材類とか一旦取りに家へ戻らないといけなくなるし。

 などと考えつつ、俺は先ほど林田さんに案内されたゲストルームの一室で綾小路が解いた回答用紙の採点を行なっていた。

 今のところ、数学と現代文の採点は終わったが、点数で言えばまずまずのところ。決して悪くはないにせよ、どちらとも八十点というギリギリなライン。この調子で他の教科も八十点以上であれば、今まで通りのスピードで進めていくつもりだが、それ以下の場合はお察しの通りである。

 それから黙々と採点を進めていく中で時間は過ぎ、気がつけば午後十一時を回ろうかというくらいの時に、不意にドアからコンコンというノック音が室内へと響く。

 ――林田さんかな?

 こんな時間に何かあったのだろうかと思いながら、ドアを開けに行くと、そこにいたのは……


「え……?」


 可愛らしいどデカいサメのぬいぐるみを抱きかかえた綾小路の姿だった。

 ついでにサメをモチーフにした寝巻き姿に変わっているし……。


「な、中に入れなさいよ……」


 綾小路はらしくもなく、顔を赤くし、もじもじとしながら少し強引に室内へと入っていく。


「え、ちょっ……!?」


 俺は状況が掴めないまま、ひとまずドアを閉め、綾小路の後をついていく。

 サメの尻尾が歩くたびにフリフリしているのがなんか可愛い。

 一体何しに来たんだ? しかもサメのぬいぐるみまで抱きかかえてきてるし……。

 普段の気の強い綾小路からは想像もつかないような可愛らしい姿にドキリとしてしまっている自分がいる。クッソ。なんか悔しいなあ!


「それで何の用なんだ?」


 綾小路がベッドの淵にボフンと腰を下ろしたところで訊ねてみる。

 夜遅くに訪ねてきたということはよほど大切な用事なんだろう。


「そ、その……」


 だが、綾小路はサメのぬいぐるみで口元を隠しながら、どこか様子がおかしい。

 いや、ここに来ている時点から変だったが、いつもの綾小路はどこいった?


「一緒に寝て、ほしい……」

「………………………………………………………………………は?」


 ようやく待って出てきた用件がそれだった。

 その瞬間、俺の思考回路は完全に停止し、理解しようにも理解できない。

 まずは言葉の意味からじっくりと深く考えようとしても、やはりどう考えてもそういうことだよな? 頭を働かせようとすればするほど、混乱してきたんですけど!?


「ちょ、ちょっと待て! もう一度確認したいんだが……なんて言った?」


 俺の聞き間違いかもしれない。

 そう思い、聞き返したのだが、


「一緒に寝てほしいって言ったのよ!」


 今度こそ聞き間違いでないことを裏付けるかのように投げやりな感じで返されてしまった。

 俺は頭が真っ白になりかけながらも、残った思考力でどうにか理由を聞き出す。


「何でまた……?」

「それは……教えない……」


 またしても口元をサメのぬいぐるみに埋めながら、そう答えた。

 俺と一緒に寝て、どういうメリットがあるというのだろうか。そもそも俺と綾小路はそういう関係でないというのに……。

 その時、一際大きな閃光とともに空間を揺るがすような雷鳴が轟く。


「きゃっ?!」


 綾小路は瞬時に俺に抱きつき、ビクビクと震えていた。


「お前もしかして……」


 雷鳴が落ち着いたあたりで綾小路は「はっ!?」というような顔になり、すかさずベッドの淵まで戻っていく。

 そうか。そういうことだったのか!


「雷が怖いのか?」


 俺の口元はたぶんニヤニヤとしていたのだと思う。綾小路の弱点を見つけたことで嬉しさが込み上げていた。

 それに対し、綾小路は再び顔を染め、キッと俺を睨みつける。


「べ、別に怖くなんて……」

「じゃあ、一人で寝れば? だいたい一緒に寝るなんて俺たち高校生だぞ? 万が一のことがないにせよ、節度とか風紀のことも考えればアウトだろ。それにメイドさんがいただろ?」


 この家には執事以外に大学生くらいのメイドさんがいた。その人と一緒に寝ればいいだけの話だ。


「あの子は今、この家にいないわよ。昨日から実家に帰省してて……」

「じゃあ、林田さんと一緒に……」

「それはなんか嫌っ!」


 特に理由もなしに拒絶された林田さんが何だかかわいそうに思えるが、なんとなく気持ちはわからなくはない。


「と、とにかく今日はここで寝るからねっ! それと、田代くんも一緒に寝ること!」


 綾小路はそのままベッドの中に潜り込むと、布団を大きく被った。


 

 一緒に寝ようと言われて「ああ、いいよ」と欲望に正直な男は少ないだろう。

 綾小路にあれよあれよと適当な理由を付けて、ようやく眠った頃には午前十二時を過ぎていた。

 相変わらずの怖がりか、布団を被った状態がもはやアルマジロみたいに丸くなっている。

 綾小路にベッドを寝取られてしまった以上、部屋に備え付けられているソファーを使うしかない。

 そう思い、やっとの思いで眠りについたのだが……


「……んん?」


 午前三時ごろ。

 あまりの寝苦しさに目を覚ますと、体が硬直して動けなくなっていた。

 何か俺の体の上に覆い被さっているような首しか動かないこの状況。よく心霊系のテレビ番組とかで聞いたことがある金縛りというやつなのだろうか?

 金縛りに関してはたしか心霊的なものではなく、医学的な症状(睡眠麻痺)として認知されていたはずだ。メカニズムとしては規則正しく訪れるレム睡眠というものが崩れることによって引き起こされると考えられているようなのだが……うーん。実際に自分が体験してみると、やはり医学的な症状だと頭の中でわかっていても恐怖感はある。もしかすると、本当に心霊的な何かなんじゃないかって思う部分もあるからな。現にすぐ近くから呼吸のような規則正しい微かな音が聞こえてくるし……。

 このまま何も見なかったことにして、再び目を閉じようか悩んでいると、だんだんと暗闇に目が慣れてきたのか、体の上に乗っかっている正体が浮かび上がってくる。

 こういう時の人間の本能? と、いうのだろうか? 怖いもの見たさという好奇心、マジでいらない。見たくもないのに目が離せない……今の現状を言うならばまさにそれだ。

 そして、完全に目が慣れてきたところでその正体を知ることになるのだが……サメ?

 そこにはサメの頭部があった。

 時折、体の上でもぞもぞと動いている様子や胸元が何だか湿っぽいことを踏まえ、俺はやっと状況を理解する。

 今、俺の上に乗っかっているサメの頭部はフードであって、それを被っていたのは紛れもなく“ヤツ”しかいない。

 ――コイツ……いつの間に!?

 せっかくあらぬことが起きないよう配慮して、ソファーで寝たというのに何で俺のところに来てんだよ!

 てか、寝る場所おかしくない? 俺の上でよく寝れたな!?

 今すぐどかしたい気分なのだが、がっちりと両腕でホールドされている。そのため、ソファーから移動しようにも動けないし……結局こうなるのかよ!

 それからというもの寝れない深夜が過ぎ去っていくのだった。

 綾小路とはいえど、顔は美少女そのもの。男なら例え好きじゃなくても少しばかり欲情してしまうものだろう。おまけに体の上に乗っかっているということもあって、めちゃくちゃの密着感。全身柔らかいし、なんか甘い匂いが鼻をくすぐるし……。地獄だ地獄。生殺しの半殺しだよまったく。

 外の嵐はだいぶ収まったみたいだが、俺の中の嵐はこれからが本番というところだ。



 今が何時なのかわからないが、とりあえず朝を迎えたことだけは理解できた。

 カーテンの隙間から眩い光が入り、微かにスズメの鳴き声が響いてくる。

 俺の上で寝ていたサメがもそもそと動き出すや否や、ゆっくりと上体を起こし、馬乗り状態で伸びをする。


「ん〜っ! おはよう……よく眠れた?」


 綾小路は眠たげな目を手で擦りながら、そう俺に訊ねてきた。

 ――どの口が言ってんだよ。

 もちろんあんな状況で眠れるわけがなく、あれ以降、おめめぱっちりで朝を迎えてしまった。きっと俺の目の下には隈ができているだろう。


「ああ……」


 だが、俺はあえていろいろなことをスルーすることにした。本当はなぜここに寝ているのかとかツッコミたいところは山々あるのだが、今は眠気のせいで頭が働かないし、言い争う気力もない。

 まぁ、だいたいは想像がつくし、聞くまでもないとは思うが、それにしても早く退いてくれませんかね?

 美少女が自分の体の上で眠っているというのはシチュエーション的には最高だとは思うが、現実ではやはりそうとは限らない。

 いくら綾小路とはいえど、女子にあれだけ密着されれば俺も男の端くれ。理性というものが崩壊しそうで例えるなら大雨の後の土砂崩れ寸前の山とかそういうような感じだ。あとちょっとで理性が崩れかけていたとは言っても過言ではない。

 今日はおそらく学校は臨時休校。これ幸いと言ってもいいかもしれないが、とにかく家に帰ったら一旦寝よう。

 その前にアパートの安否が心配だが……大丈夫だよね!?

 いくら一千年に一度の大雨だったとしても建物はそう簡単には崩れないと思うし。


「ちょっと綾小路さん? 早く俺の上から退いてくれませんかあ?」

「あ、ごめん」


 まるで俺の存在を忘れていたかのような反応を見せたが、ひとまずどうでもいいや。帰ろ。


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