試験……そして夏の始まり
第18話【改稿済み】
夕方ごろにもなると、昼間はあれだけ晴れていたというのに空にはどす黒い雲が広がっていた。
夜からはまた本格的に雨が降る予想になっているため、事前に折り畳み傘はカバンの中に入れてきている。
ただ、土砂降りにだけはならないでほしいと接待室の窓から外を眺めつつ、いよいよ綾小路に対する中間試験が始まった。
制限時間は無制限。今回の試験での本当の狙いはちゃんと時間内に解けるかどうかではなく、問題自体を理解できているかどうかだ。解くスピードに関しては、問題を大量に解いていれば、自ずとついてくるものだからこれに関してだけは無視したような形になっている。
綾小路はテーブルに向かいながら、時折困惑したような表情を浮かべる。
だが、シャーペンを握りしめている手はほとんど止まることなく、室内にはカリカリとした音だけが響き渡っていた。
綾小路の家庭教師を引き受けてからというもの、毎日頭と手が痛くなるほどに勉強を重ねてきた。正直、最初から突っ走るような根気詰めた勉強法はあまり良くはない。だが、本人の希望とやる気が満ちていたからこそ、俺はそれに応えようと思った。
このテストで最低五十点取れれば、とりあえずの目標は達成できている。
が、本音を言うと、八割方はできてほしいところだ。
策士な部分があるところを考えると、理論的に地頭は悪くないはず。これまでの勉強でどれだけ理解が深まっているのか……その結果次第で今後の方針はだいぶ変わっていくだろう。
今の俺の方針を述べるとすれば、八割以上できていた場合は、これまで同様のスピードで進めていく。が、それ以下だった場合、少しスピードを落とす必要がある。
やっぱり教えるからにはなるべく一度で理解してもらいたい。その方が、効率的に考えていいからな。
早くT大受験に向けた勉強に取り掛かるためにも一年次の復習が早く終わるに越したことはない。
なんとなくスマホで時間を確認すると、午後五時半。
進捗の方を確認するため、綾小路のそばまで近寄ると、すでに数学I、現代文、化学の三科目が終わっていた。
――この調子だと七時前には終わるか?
何はともあれ、時間は無制限。最後の見直しのことも考えると、まだかかるかもしれない。
その間までは俺も個人的な受験勉強にでも励んでおくか。
暇さえあれば受験勉強。これに尽きる。
この地道な勉強ですら、いずれ力となり、点数へと反映されるからな。
そうと決まれば、さっそく……。
☆
「やっと終わったぁ〜……」
開口一番にそう口にしたかと思えば、綾小路はソファーに沈み込んでいた。
ぐで〜っとまるでアイスが溶けていくようなそんな感じにすら見える。
「お疲れ様」
俺は労いの言葉をかけてやると、テーブルの上に散らばっていた回答用紙を回収し始める。
そして、スマホで時間を確認すると、もう午後八時過ぎ。窓の方に目を向けてみると、真っ暗な闇に覆われ、時折雨粒がガラスに打ち付けられている。
「結構降ってるわね」
俺の隣に近寄ってきた綾小路は窓の奥を見つめる。
「そうだな。昼間、入道雲がかなり発達しているように見えたから夜は結構降るだろうなとは危惧していたけど……」
まさかここまで雨足が強いとは想定外だった。
ここまで激しくなってくると、傘なんてあってもないようなものだ。
とりあえず回収した回答用紙をカバンの中に押し込み、荷物を手にする。
「もしかしてこの状況で普通に帰るつもり?」
俺の様子を見た綾小路はすかさずといった感じで声をかけてくる。
その表情には今まで見たことがないような“心配”という感情が張り付けられていた。
そんな綾小路に俺は思わず、肩を下ろす。
「らしくもないような顔をするなよ」
「ら、らしくもないって私のことを一体なんだと思ってるのよ!」
綾小路は顔を赤くしながらプンスカと怒る。
「と、とにかくこの状況下で外に出るのは危険よ。せめて家まで――」
そう言いかけた時、コンコンというノック音が室内へと響く。
俺はドアを開けると、そこにいたのは執事の林田さんだった。
「お取り込み中のところ失礼します」
「あ、いいえ、俺ももうすぐで帰ろうと思っていたところだったので」
「それについてなのですが、今晩だけお泊まりになられてはいかがでしょうか?」
「は? それ、どういう意味?」
林田さんの提案に真っ先に食いついたのは俺ではなく、綾小路だった。
「そのままの意味でございますお嬢様」
綾小路は少し動揺が隠せないような様子。
「え、でも、車で送ればいいだけの話じゃ……?」
「実は昨日から車検に出しておりまして、返ってくるのが明日以降になっております」
「じゃあ、このケダモノを家に泊めるほかないってこと?」
おい、綾小路。ケダモノってもしかしなくても俺のことだよな?
「はい。もう感じられているかと思いますが、外は雨が強く、台風並みの暴風も吹き荒れ、雷も鳴っております。こんな嵐の中で歩いて帰らせるのは、あまりにも鬼畜かと」
林田さんは淡々と述べた。
一方で綾小路はというと……
「ぐぬぬ……」
なんか唸ってる。
林田さんの提案はものすごくありがたいが、だからといって他人に迷惑をかけるわけにはいかない。
「えーっと、俺のことは別に気にしなくても大丈夫ですよ? こんな天候になってしまったのは仕方がないことですし……」
どうにか断ろうと口実を述べるが、林田さんは首を横に振る。
「いいえ、そうはいきません。もし田代様に何かあられたら、私どもは責任を取らなければなりません。田代様も家庭教師とはいえ、お客様です。今日はここでゆっくりお休みになってください」
林田さんにそこまで言われてしまうと、断ろうにも断れない。
「あー……」
俺は確認の意も込めて、綾小路に目配せをする。
目が合ってしまった瞬間、綾小路は大きなため息を吐く。なんだよその反応。
「はぁ……仕方ないわ。今日だけは特別に泊まらせてあげるわ」
「ほ、本当にいいのか?」
「ええ、林田の言う通り、この状況下で外に放り投げるのはあまりにも鬼だし、あなたは一応お客様でもあるから」
綾小路は俺のすぐ横を通り過ぎると、先に接待室を後にする。
「林田。田代くんを部屋まで案内してあげて」
「かしこまりました。では、田代様。私についてきてください」
その後、すぐに俺も林田さんに連れられるがまま、接待室を出て行った。
家中に響く雷の落音。
時間が経過するにつれ、雨はどんどんと激しさを増していく。
ポケットに入れていたスマホは大雨や暴風、土砂崩れの警戒速報が入り、警戒アラームがずっと鳴りっぱなしである。
「今日の昼は久しぶりの晴天でしたのにね」
「そう、ですね」
林田さんとちょっとした他愛もない日常会話をしつつ、泊まるであろう部屋を目指しながら、長い廊下を歩いていく。
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