二十一

「クソさみい」

 学ランのジャケットを肩から羽織り、池脇はベンチにうずくまっていた。

「なんか今年の気候やばくない?」

 ベンチの前に立ち、温かいミルクティーのふたを開けながら、平田高校一年、浦和うらわ佳孝よしたかは言った。「俺たちが地球をいたわってないせい?」

 浦和は立ったままで、ミルクティーを一口飲んだ。

 翌日の平田高校。エントランスホールは、人がまばらだった。

「やばいやばいって毎年言ってね?」

 ベンチにどっしりと座り直し、池脇は言った。浦和は、ようやく隣に腰をおろした。

「じゃあこれは平常運転ってこと?」

「やってらんねーよ息するだけでもしんどいのに暑いだの寒いだの余計なこと考えたくねんだよ」

「あ、でもさ、俺最近気づいたんだけど」

 ミルクティー片手に、ふとくうを見上げながら、浦和は言った。「天気の話って、人との関係を測るのに丁度いいよな」

「当たり障りない会話ってやつ?」

「んーん。試みる方の〝図る〟じゃなくて、ほんとに、物差しの方の〝測る〟ね。寒くね?暑くね?てか今って春?夏?みたいな。そういう、自分でも〝どうでもいい〟って思ってること、俺はなんでか口に出ちゃうんだけど。それを相手が真剣に受け取らずに、さみーあちー新緑の候じゃね?って、ゴミみたいな会話が成立したときに、ああ、こいつとはいい距離感だなって思うわ」

「ゴミも宝になるって言うしな」

「そう。環境に配慮した会話してんの、俺」

「お前さ」

「あん」

「フェーン現象って知ってる?」

「知ってる」

「え」

「中学でやったろ」

「そ」

 そうだっけ————?

 池脇が言おうとしたとき、本村が、学ランの袖口でコーンポタージュの缶をはさみながらやって来た。

 本村はやけに大袈裟な、不満げな表情で言った。「ヒエラルキー」

「は?」浦和は言った。

「あ、ごめん。これ新ネタなの」

「俺のこと最下層に落とそうって? やだー。高みはあきらめるから。せめて安全圏にいたいわ」

「ちがうよ」

 本村はコーンポタージュをふうふうと冷ましてから、飲み口に慎重に口をつけた。「っぞいい!」

「郷葉にろくでもねえ知り合いがいてさ」

 すさんだ表情で、池脇は話し出した。

「ろくでもねえやつが郷葉行けんの?」

「あれだ。頭はいいけど道徳心置き去りにしてきたタイプの」

「ああ」

「先週————いや、もう先々週か。その週の頭に、すっげえ暑い日があったろ?」

「あった」

「そいつが暑い暑いってうるさくて。いや、確かに暑かったは暑かったんだけど————」

 池脇は短髪をくしゃくしゃとかき回した。

「それで、池脇君がぶち切れちゃってね」本村は言った。

「キレてねえよ。俺はただ、『どうせ言うなら涼しくなるようなこと言え』って言っただけだよ」

「そんでさあ、こういう場合のベタな返しって、『寒い寒い』じゃない? なのにその郷葉の子は、『ヒエラルキーヒエラルキー』って言い出したの。そのノリが続いてたから、最近たまに、『あつい』とき『ヒエラルキー』って言っちゃう」

 本村はようやく、適温になったコーンポタージュを味わった。

「涼しい通り越して冷血だよな、ヒエラルキーって」浦和は言った。

「ん。でね、その子があまりにもうるさいから、そのあとクリッシーに行ったの」本村は続けた。

「クリッシーってなんだっけ?」

「『クリッシー・フラペティー』。フローズンドリンクの店だよ。先月ようやく岩月にもできたじゃん」

「あれだ、洒落たかき氷屋」池脇は言った。

「ああ、誰だっけ。小手川こてがわ林田はやしだがオープン初日に行ったとか言ってなかった?」浦和は本村に向かってたずねた。

「知らない」

 本村はそっけなく答えた。そして、スマホをいじり始めた。「で、僕は『1991イチキューキューイチミドルサンデー』っていうのを頼んだの。抹茶と、ブルーベリーと、ミルクが三層になっててね。いちごと生クリームがトッピングされてて、すっごくかわいかったの」

 浦和はスマホを受け取った。画面には、細い三つ編み混じりのロングヘアに、ビニール素材の青いドレスを着たメイリスの写真が映っていた。メイリスの頭の後ろから、棒状のものが飛び出している。

「お前さあ、ストローしか写ってねえじゃん」呆れたように、浦和は言った。

「そうなの。帰りに見返してて僕もびっくりした」

 他人事のように、本村は言った。「こう、並べて一緒に撮ったはずなの。不思議だよね」

「まあいいんじゃない」

 呑気に笑いながら、浦和は画面を眺めていた。「メイリスのこの服、丁度ブルーハワイみたいじゃん」

「俺洗剤の色にしか見えねえ」池脇は言った。

「ああ、食欲減退の色だっけ?」

「え、青い食べ物かわいくない? 見てるとわくわくする」

 言って、本村は浦和が手にしているペットボトルを指差した。「ミルクティーのパッケージだって大体青だけどみんな英国王室気取りで優雅に飲むじゃん」

「おしゃれとかかわいいとかは分かるよ。でも、青い食べ物見て単純に『うまそー』ってならないじゃん。俺、奇抜な色のお菓子とかちょっと攻めた感じのお菓子とかも無理なの。ベタなのでいい。ベタなので」

「嘘だー」

 本村は、白い目で浦和を見た。「浦和君、変なグミばっか食べてるじゃん」

「変な?」

 浦和はバックパックをあさり、マスカットグミのパウチを取り出した。

「ちがうよそんな平凡なやつじゃなくて。この前食べてたジョロキアグミとかわさびグミのこと。しかもあれ絶対パーティー用なのに一人で食べて一人でゲラゲラ笑ってたじゃん」

「あのね、グミっていうのは味や食感を楽しむものなの」真面目くさった表情で、浦和は言った。

「食べ物って大体みんなそうだろ」池脇は言った。

「だから、いろんなバリエーションがあって当たり前なの。中には飛び抜けて酸っぱいやつとか辛いやつとか不味いやつとかいろいろあ」

 浦和が話し続けているのを、本村は硬直した状態で見つめていた。

「どうした」

 中断して、浦和は聞いた。

「この前……」

 深刻そうな面持ちで、本村は言った。

「うん。だから食べたよ。オオサンショウウオグミとかニュウドウカジカグミとかも食べたよ。でも、俺が無理って言ってるのはレインボーカラーのケーキとかコーンポタージュ味のアイスとかのことね」

 言って、浦和は本村が手にしている缶を指差した。「グミは別」

 本村はそっと池脇の方を見た。

 池脇は眉をぴくりとさせた。

 本村は言った。

「この前……」

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