十八
「お」
本村は木の開き戸を開けた。
「ここかな。柏谷さんたちが入ってた部屋」後ろから、大槻が言った。
「そうっぽい」
本村は言いながら小部屋へ足を踏み入れた。「佐野さんから聞いたとおり、狭いし、何も置いてないし、照明器具も————」
本村は天井を見上げた。「付いてないしね」
「こんな部屋で、柏谷さんたち何してたんだろ」
「いいなあって、思ってたんだって」
「は?」
「自分んちにもこういう部屋が欲しいなって」
「ウォークインクロゼット的な?」
「さあ」
本村はスマホのライトを点け、部屋の中を念入りに調べ始めた。壁を照らし、天井を照らし、かがみ込んで床板の溝をまじまじと観察した。大槻はタブレットを構え、部屋の中をぐるりと撮影していた。
「犯人は、ほんとに正枝さんと晶彦さんなのかな」
大槻は言った。「二人は、遺産がすべて透織さんのものになることを快く思っていなくて、親子で冷湖さんの殺害と、遺言書のすり替えを企てた。正枝さんは、初めから冷湖さんを殺すつもりでいたから、冷湖さんが僕たちを招待するよりも前に、計画の一部として派遣会社から人を雇っていた。晶彦さんは冷湖さんを自殺に見せかけるため、筆跡を真似た偽の遺書を用意するつもりでいたけど、なんらかのアクシデントが発生し、それができなくなった。だから、結果として冷湖さんの枕元には、謎の白紙が残った————ってこと?」
「とー」
本村はしゃがみ込んで壁際を調べていた。大槻は続けた。
「だとしたらよ? 彗一さんにすべてを相続させるためのあの偽物くさい遺言書、あれを用意したのも、正枝さんと晶彦さんってこと? あの二人は、自分たちの利益のためじゃなく、一族の当主には彗一さんがふさわしいと考えて、こんなことをしたってこと?」
「とぉーん」
本村は伸びをしながら再び天井を照らした。大槻は続けていた。
「大体さ、正枝さんと晶彦さんが共謀して冷湖さんを殺害したとして、夫であり父親である冷一さんがなんにも知りませんでしたなんてこと、ある? 一見大らかそうに見えて昭和から居座ってる亭主関白みたいじゃん、あのおじさん。『おい、酒』みたいな。正枝さんも三歩下がるのが義務みたいな感じだしさ。俺、着物着て家事してる人ドラマ以外で初めて見たんだけど。晶彦さんも、真面目そうだけど真面目すぎて自己主張しなさそうだし。冷一さんに指示されたら、二人は逆らえない立場にあったんじゃないの? だとすると、二人は事情聴取で冷一さんを庇おうとするかも————」
「冷河さん、どうして何も言わなかったんだろ」
唐突に、本村は言った。
「れ、冷河さん?」
拍子抜けしながら、大槻は聞いた。「なんで冷河さん?」
「だって、正枝さんと晶彦さんが自分のお母さんを殺したり、遺言をすり替えたりした犯人かもしれないんだよ? 二人がパトカーに乗るとき、なんで怒らなかったの?」
「そりゃ、まだ犯人と決まったわけじゃないし……。事情聴取とはいえ家族が警察に連れていかれるってなったら、怒るより心配する方が普通じゃないの?」
「でも、彗一さんに疑いがかかったときにはちがってた」
ライトを伏せた薄暗い部屋の中で、本村は何かを見据えるようにうつむいてた。「彗一さんに有利な遺言書が見つかったってだけで、彗一さんを平手打ちして、すごい形相でにらみつけて、冷二さんに向かってわめいたりして。なのになんで正枝さんと晶彦さんのときは怒らなかったの?」
「さすがに冷河さんもびっくりしたんじゃない? まさか、あの大人しそうな正枝さんと晶彦さんがって」
「じゃあ、彗一さんに嫌疑がかかるのは想定内ってこと?」
「そういう訳じゃないけど……。優しいけどなんかやんちゃっぽいじゃん、彗一さんって————」
「そこで何してんの?」
振り向くと、廊下に洗濯物を抱えた三梅の姿があった。
「丹原さん」大槻が言った。
「三梅って呼んで」
「あはい」
「そこ、入ると怒られるよ」
三梅は疲れているのか、覇気のないようすで言った。
「え、なんでですか?」本村は聞いた。
「知らないけど。ここに着いた日、トイレだと思って開けようとしたら、砂織さんがすごい勢いで『やめてください』って怒ってきて。本当は、そっちの廊下を曲がったところにトイレがあるの。私、そこと勘違いしてて……。でもしょうがなくない? お店みたいにトイレのマークが付いてるわけでもないのに。ドアが似てるからちょっと間違えただけじゃん。なのにそのあとここ通りかかったら、めっちゃドアノブ掃除されてて。ちょー性格悪くない? なんなのあれ」
三梅はため息混じりに言いながら、その場を立ち去ろうとした。が、丁度その時、どこからかガラスの割れる音が響いた。
本村たちはすぐにガラスドールのある洋間へ走った。中へかけ込むと、ショーケースの扉が開け放たれ、床に砕けたガラスドールの破片が散らばっていた。
「やば。何これ」
本村たちの後ろで、三梅が発した。
本村は散らばった破片のギリギリのところまで近づいて、しゃがみ込んだ。それから、無残に砕けたガラスの破片を見渡した。「大槻、これ」
大槻は本村の視線の先を見やると、すぐに気づいて、タブレットを開いた。
「うん。同じだね」
大槻はタブレットを本村に向けた。そこには、切っ先が鋭く尖った槍を手にした、兵隊のガラスドールの画像があった。床の上には、画像の中の兵隊が手にしているものと同じ、細長く繊細な造りをした槍のパーツが、一つの損傷もなく転がっていた。
「私、箒取ってく————」
三梅は扉に向かって数歩かけたあと、ふいに思い直したように立ちどまった。そして振り向いた。「もしかして、これって誰かがわざと————?」
本村は頷いた。大槻が言った。「片付ける前に、警察の人に知らせた方がよさそうです」
「三梅さん、晶彦さんの書斎に行ってきてもらえませんか?」本村は言った。「警察の人たち、そこにまだ何人か残ってるらしいので」
「わ、私?」
「誰もこの部屋に入らないように、誰かが見張ってなきゃならないんですよ。僕ら晶彦さんの書斎の場所、分からないので」
「わ、私も分からないの、晶彦さんの書斎までは————」
「でも、冷湖さんの部屋は分かりますよね? 寝酒を運びに行った部屋。その近くらしいので、お願いします」
三梅は暫しためらったあと、決意したように何度も頷いた。
「す、すぐ戻るね」
「お願いします」
三梅は部屋から飛び出していった。すると入れ違いに、池脇と倉沢が廊下からやって来た。
池脇は走り去る三梅の姿を不思議そうに見送ったあと、部屋へ入ってきた。「どうしたよ」
「じゃーん」
大槻はショーケースの方を指し示すようにして、両手をひらひらとはためかせた。
池脇は驚きもしなかった。しばらくの間、冷めた目つきでそれを見つめたあと、ため息とともに険しく目を閉じ、顔をこすった。
倉沢は一人アイスキャンディーの棒を噛みながらにやついていた。「うわぁ。やったぁ」
「ばかじゃねえの? 俺、連帯責任とか無理だかんな」池脇は言った。
「ちがうよ俺たちがやったんじゃないよ」
「じゃあ誰がやったんだよ」
「槍のパーツ盗んだ人」
「は? あの兵隊が持ってたってやつ?」
「そう、それが返ってきたの」
「なんで今更」
「知らないよ」
池脇と大槻が言い合いをしている間に、本村は急ぎ足で部屋を出ていった。
「ちょ。もとむ」
三人はあとを追いかけた。部屋を出るとすぐ、廊下の先に、のんびりと歩く公伸の姿が見えた。本村は叫んだ。
「公伸さん、緊急事態! 緊急事態!」
「ええっ」
公伸は慌てふためいた。本村は廊下をかけてゆくと、そのまま公伸に飛びかかるようにして聞いた。
「箒の場所どこですか!」
「ほ、ほうき?」
「これですよこれ! 電源要らず洗剤要らず! 排気や騒音問題とは無縁の昔ながらの掃除用具ですよ!」本村は掃き込むジェスチャーをした。
「あぁ、箒ね……。でも、何か片付けるなら僕が——」
「公伸さん緊急なんです!」
「は、はい!」
公伸はようやくかけ出した。急いではいるようだが、動きは重く、脚はほとんど上がっていなかった。
「ここだよ」
公伸は息を切らしながら言った。掃除用具入れは、先程調べた小部屋に似た、木の開き戸の付いた部屋だった。
本村は扉を開けた。部屋の中には、種類のちがう数本の箒が几帳面に壁に吊るされ、バケツやちりとりなどが置かれていた。
本村は数種類の箒の中から一本をつかみ取り、池脇たちの方へ差し出した。その箒の柄先には、キラキラとした、丸みを帯びたガラスの飾りが付いていた。
「あー魔女っ子ー」
柔く微笑みながら、大槻は言った。
池脇は険しい目つきでガラスの飾りを見つめていたが、突然、本村の手からひったくるように箒を取り上げた。それから、ガラスの飾りにさらに目を凝らした。
澄んだ瞳で、険しい瞳で、色めいた瞳で、舐めた瞳で。四人は、吸い込まれるようにガラス玉を見つめていた。
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