十七

「伊織よぉ……」

「うん?」

「ばあちゃん、なんか言ってなかったか?」

「なんかって?」

「こう……会社のこととか、家族のこととか……」

「家族に殺されるとか?」

「言ってたのか?」

 池脇ははっと目を見開いた。

「ううん」

 伊織はボウルの中の液体をかき混ぜていた。

「……んだよ」

 池脇は心の中で舌打ちをした。それから、未開封の袋から出した砂糖をボウルに振り入れた。

 伊織は、粉末が溶けて灰色となった液体に興味津々だった。

「ね、いいこと考えた」

 それから、池脇に向かい、楽しそうな顔を上げた。「ブルーハワイ入れよう」

「無理」

「なんで?」

「警察が持っていったから」

「なんで?」

「仕事だから」

「ふうん」

 材料がすべて混ざった液体を、電子レンジにかけた。

「おばあちゃんは」

 椅子に腰かけ、ぼんやりとレンジの中を見つめながら、伊織は言った。「僕には教えないよ」

「何を?」

「犯人の名前」

「ばあちゃん、知ってたのか? 自分の命が狙われてるって?」

「それは、分からないけど……。知ってたとしても、多分僕には教えない」

「なんで?」

「僕は仲間はずれだから」

 電子レンジの完了音が鳴った。

 池脇はボウルを取り出した。伊織は、中身をヘラでかき混ぜはじめた。

「いつも僕だけだめだって。先週も、僕だけのけ者にして、みんでなんかお話ししてた」

「それって、先週のいつのことだ?」

「火曜」

「みんな、なんて?」

「だから、僕は知らないの」

「あ、そっか」

「徹也兄ちゃんが来た日も」

「一昨日? 何?」

「ブルーハワイ、食べちゃだめだって」

「誰が」

「お母さん」

「なんで」

「もうすぐお夕食だからって。結子ちゃんと結太郎は食べてたのに」

「なんで分かるんだよ」

「だって、ここに」

 伊織は作業台の上を人差し指で撫でた。

「ブルーハワイのシロップ、置いてあったもん。製氷機のとこに、こぼした氷、溶けたのが残ってたし、コップの棚が開きっぱなしで、結子ちゃんと結太郎のお揃いのグラスが、なくなってたもん。お台所使ったあと片付けないのは、いつも結子ちゃんと結太郎だって、砂織ちゃんが言ってたもん」

「で、伊織はそのボトルに手ぇつけなかったんだな?」

「なに?」

「〝ブルーハワイ〟。母さんの言いつけ守って、食べなかったんだな?」

「うん」

 自信たっぷりに、伊織は言った。「水は拭いて、シロップはちゃんと戸棚に戻しといてあげたよ」

「あんだって?」

 池脇はすっとんきょうな声を上げた。

「シロップの棚があるの。開けると、カラフルで、すごくきれいなの」

「おめーかよ……」

 池脇はうなだれた。

「何が?」

「なんでもねえ」

「あの二人、いつもだらしないんだよ。お部屋も汚いし、失くしものすると、僕のとこ来て、『盗った』って言う」

「ああ、財布も失くしたんだって?」

「さいふ?」

 伊織は池脇に顔を向けた。口では疑問を発しているが、その表情は何にも動じていないような、きりりとしたすまし顔だった。「二人は、お財布持たないよ? カードケースは持ってるけど。あれって、『お財布』って言うの?」

 思案している池脇を置いて、伊織はボウルを再びレンジにかけた。

 それを待つ間、二人は並んで椅子に腰かけた。しばらくして、伊織は言った。

「正枝伯母さんと晶彦兄ちゃんは、悪いことしたの?」

「さあな」

「『取り調べ』、されるの?」

「多分な」

「机バンバンされる」

「…………」

「『お前がやったんだろー』って」

「お前そういうのどっから仕入れてくんだよ」

「思織ちゃんと見る。阿須和あすわ四郎しろうの『断崖絶壁湯けむり人情寝台特急シリーズ』とか」

「へぇ……。あの姉ちゃんがねぇ……」

 どっちかっつーと、ホラーとかスプラッターのが好きそうだよな。池脇は思った。

「警察の人、なんでガラスドール調べてたの?」

「あのケースの中から、なくなったものとか、出てきたものがあるからな。指紋かなんか、見つかると思ったんじゃねえの?」

「知ってる。『指紋』って、みんな別々で、おんなじ模様の人はいないって。思織ちゃんが言ってた」

「そう。だから、誰かが触ってたなら、すぐ分かる」

「そうかな。僕が犯人なら、手袋するか、触ったあとにきれいに拭くけど」

「ぱっと見はきれいでも、拭き残しとかがあるかもしんねえだろ」

「ふうん」

「それに、金属に残った指紋なんかだと、拭いても消えない跡が残るんだと。そういうの、最新の科学捜査ってやつで見つけるんじゃねえの? あのガラスの人形やら、ケースやらにもあっただろ、金属の飾り」

「うん」

 レンジが鳴った。

「あ、いいこと考えた!」

 伊織は、勢いよく椅子から下り立った。「鳴代伯母さんのお箏見に行こー」

「は? これは?」

 池脇はレンジを指差した。

「うーん? あとでいい」

 伊織はあっという間に台所から飛び出していった。

「自由だな」

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