十三
「あれ? 透織さんは?」
午後になり、本村たちが蔵の方へ向かうと、そこには彗一と青山の姿しかなかった。
「あぁ、なんか……」彗一は参った表情を浮かべた。「調子悪いんだって」
無理もないことだと、本村たちは思った。
彗一は蔵の鍵を開けた。蔵の中には箪笥や箱がいくつも置かれていたが、きれいに整頓されており、目当ての書物を見つけるのに、それほど手間はかからないように思えた。
「蔵の中の物は、何も盗まれてなかったんですか?」
順番に箱を開けながら、本村は聞いた。
「うん、何も」
踏み台に乗り、棚の上を確認しながら、彗一は言った。「鍵もかかったままだったし、荒らされたような跡もなかったって」
「ガラスドールのパーツがなくなったって話、聞きました?」
箪笥の引き出しを覗き込みながら、大槻が言った。
「聞いた聞いた。でも」
彗一は眉を寄せた。「あんなもん欲しさに人殺しまでするか? ふつー」
「あのパーツ、僕たちが昨日ここに到着したときには、もうなくなってたんですよ」本村は言った。
「え、そうなの?」驚いて、彗一は踏み台に乗ったまま、体を返した。
「いつ頃なくなったのか、何か思い当たることありませんか?」
「さあ。毎日確認してるわけじゃないからなぁ……」
「あの……もしかして、これじゃあ……」
おずおずと、青山が言った。手には、六角形が描かれた桐の箱があった。
「おお、それそれ。多分それ」
彗一は踏み台から飛び降りた。本村たちも集まった。
「開けていいよ」
気楽に、彗一はうながした。
「え、あの、手袋とか……」青山は躊躇した。
「いいっていいって。んな大したもんじゃないし」
「え……あ……」
どぎまぎしながら、青山はそばにあった台の上に桐箱を置いた。「それでは、失礼して……」
一同の注目が、一点に集まった。
青山はそっと蓋を開けた。中には、一本の巻物が入っていた。
青山は彗一の顔をうかがい見た。彗一は軽く頷いた。
青山は慎重に巻物を取り出すと、紐をほどき、ゆっくりと広げた。そこには、落ち着いた色味の絵画と、達筆な書体の詞書が記されていた。
「すごいきれいに残ってますね」大槻が言った。
「うん。誰もいじらないしね。俺も初めて見た」彗一は言った。
「青山さん、これ、なんて書いてあるんですか?」本村が聞いた。
「あ、うん……」
落ち着いて、青山は説明した。「要約すると……。濃古見には昔、『氷の民』と呼ばれる人々が住んでいたそうです」
「それって、彗一さんたちのご先祖様じゃ……」大槻が言った。
「そうなのかな」感動も見せずに、彗一は言った。
青山は続けた。
「ある時、一柱の輝かしい女神が、山の中にぽっかりと空いたこの地を、天空から眺めていました。女神は、寒々としたこの地に生きる、冷えた氷の民を不憫に思い、自らの輝きを増すことで、この地に温かな日の光をもたらそうと考えました。しかし、村が暖かくなるにつれ、氷の民は、ひとり、またひとりと、溶けてなくなってしまったのです。氷の民の長は言いました。『女神様、我々は多くを望みません。朝と分かるささやかな光さえあれば、それで十分なのです。山の向こうには、日の恵みを望む者が大勢いるでしょう。どうか彼らを照らしてください。我々は何も要りません』と。すると女神は六方へ散り散りになり、それぞれ、山の向こうの陰った地を照らしにゆきました。濃古見には、ささやかな日の光だけが残りました。氷の民は、その女神を『
「じゃああの祠は、濃古見に日の光をもたらすために建てられたわけじゃないってこと?」大槻は眉をひそめた。
「謙虚だったんだね、氷の民の人たちって」本村は言った。
「まあ、神様に好かれても、自分たちの身が危うくなるんじゃ、よそへ行ってくださいってなるわな」池脇は言った。
「あの————」
巻物を広げたまま、いつになく力強い調子で、青山は言い出した。「僕は、犯人が誰であろうと、乗り越えられると思うんです。氷降家の方たちなら……」
「はい?」
拍子抜けしたようすで、彗一は発した。
青山は真剣な面持ちで、彗一に向かって言った。
「時には、外の人間の力も、借りたっていいと思うんです。そりゃあ、一族の皆さんからすれば、外部の人間なんて、頼りにならない、信用ならないと思われるでしょうが……。でも、外の人間だからこそ分かること、力になれることがあるはずです。僕は、このまま、氷降家がバラバラになっていくのを、見たくはないんです」
「は、はぁ……」
気後れしながら、彗一は答えた。青山は気を落ち着けるように、うつむいて黙りこくってしまった。
一同は蔵を出た。
母屋へ向かおうとすると、ちょうど冷河が、きびきびとした足取りでこちらへやって来るところだった。
「冷河伯母さん————」
彗一は、いつもの調子で言いかけた。その途端、彗一の頰に、冷河の平手が飛んだ。
「伯母さん……?」
彗一は頰を押さえ、立ち尽くしていた。
冷河はわなわなと震えていた。一族の他の人間も、ぞろぞろと集まってきた。
冷河は一枚の紙を、彗一の胸に突きつけた。
彗一はその紙を広げた。本村たちは後ろからそれを覗き込んだ。
『遺言者 氷降冷湖は、遺言者の有する一切の財産を、孫 氷降彗一に遺贈する。』
彗一は絶句した。冷河の後ろから、晶彦が歩み出た。
「ガラスドールのショーケースの中に、入ってたんだ……」
冷河の後ろで、冷一は腕を組み、黙っていた。花織は伊織を抱き寄せ、ハラハラしたようすで彗一の方を見ていた。
彗一は顔をこわばらせながらも、懸命に笑みを浮かべようとしていた。「……なんだよ、これ。こんなの、俺は知らないよ!」
冷河は鋭い目つきで、そばにいた冷二をにらみつけた。
「冷二! あんたなの? あんたがやったの?」
冷二は目をむいた。
「俺が? いったいなんのために?」
「自分の息子をグループトップの座に就かせるためでしょう!」
「だから、そんなことをしていったいなんの意味が————」
「それはこっちが聞きたいわよ!」
「彗一……」
振り向くと、庭先に透織の姿があった。寝間着にガウンを羽織り、顔は虚ろで、やっとの思いでそこに立っているようだった。本村たちが初めて見たときの美しさも、華やかさも、そこにはない。
透織は脚を引きずるようにして彗一のもとへやって来ると、突然、勢いよく彗一のシャツの胸ぐらをつかんだ。虚ろな表情が、一瞬にして、陰湿な憎悪に満ちた表情へと変わった。
「信じてた。お前のこと信じてた。本当の、兄弟のように思ってたよ。でもちがったんだな。お前は、あの日からずっと、俺のこと憎んでた。一生懸命、なんでもないふりをして、本当は、俺にすべてを奪われるのが、悔しくて悔しくてしょうがなかったんだ。可哀想なやつ。私利私欲に溺れて、お前はもう、一族の不純物でしかない。このままうまくいくと思うなよ。氷降ブランドは、俺と、不純のない一族の人間の手で、守ってみせる」
透織はシャツの胸ぐらをぱっと放すと、気怠い動きで母屋の方へ戻っていった。
本村は体を傾けると、彗一の手元でなびく遺言書に、自身のスマホを沿わせた。
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