十一

「冷湖さんはね、若いときから、この村のスターだったの」

 自慢げに、菊田きくた純雄あつおは語った。「びしーっとスーツ着て、スカーフ巻いて、サングラスかけてさ。こーんなハイヒールで、畦道を歩いてくんの。どっかのモデルさんか、ハリウッド女優かと思って、度肝抜かれたね、あんときあ」

「はえー」

 本村たちは、菊田家の縁側に寄り集まって話を聞いていた。

「村の連中は怖気づいてたけどね、俺あ、もうすぐに決めてたの」

「何を?」

 本村は聞いた。

「絶対嫁さんにするって」

「おお」

「毎日デートに誘ったの。昔あね、ここちょっと行けば、喫茶店やら、クラブやら、それこそホテルやらあったのよ」

「おおー」

「ねえじいちゃん、コーヒーない?」

 唐突に、倉沢が言った。

「あるって。飲みなさい飲みなさい」

 菊田は座卓の上を指した。ポットと、粉末のコーヒーが入ったビンが置いてある。

「チッ。インスタントかよ。まいいけど」

 ぶつぶつ言いながら、倉沢は居間に上がってコーヒーを淹れはじめた。

「そんでそんで?」大槻が続きを催促した。

「そんで、ある時、一張羅着てさ、かっこよくキメて、バイクで迎えに行ったの」

「ろかびりー」本村は感嘆した。

「あの、竹垣の外で待ってたら、冷湖さん、お人形さんみたいな格好して、髪ひとつ結びにして来てさ。頰紅までして、睫毛なんかこんなよ。あれ絶対俺に夢中だったね」

「じゃあ、二人は恋人同士だったの?」本村は聞いた。

「いやあ。俺あその日にフラれたんだもん」

「え、なんで?」

「夢中だったんじゃないの?」大槻は言った。

「冷湖さん、家から出てきて、俺のバイク見るなり言ったの。『あんた免許ないでしょ』って。そんで怒って帰っちゃった」

「え、じいちゃん無免許だったの?」本村は言った。

「じいちゃんそれあんまよそで言わない方がいいよ」大槻は言った。

「言わなくたって、ここらの人みーんな知ってるもの。俺ね、運転上手かったんだよお。なんせのみ込み早いもの」

 本村たちは、白々とした目を菊田に向けていた。

「冷湖さんとこ」

 静かに、氷降家のある方角を見て、菊田は言い出した。「昨日の晩からずいぶん騒がしいけど、何かあったの?」

「いやあ、ちょっと……」

 歯切れ悪く、本村は答えた。「お客さんが多いみたいで」

「ふうん」

 菊田は座卓に手を伸ばすと、小さな箱を手に取った。「お菓子食べなさい」

「あどうも」

「これなんですか?」

 大槻はたずねた。箱の中には、サイコロ状の形をした、色とりどりの菓子が並んでいる。

「知らないの? 柚餅子ゆべし

「柚餅子って、もっと茶色っぽくないすか?」池脇が言った。

「うん。彗ちゃんが、カラフルにすれば?って言ったのよ」

「彗一さんが?」本村は言った。

「これ、氷降製菓の商品なんですか?」大槻は聞いた。

「そうよ。抹茶柚餅子やら、苺柚餅子やら、ミルク柚餅子やら。氷みたいに、きれいに四角く切って出してるのよ」

「ああ、ターキッシュデライトみたいな感じですか」大槻は言った。

「たけし寺?」

「ううん、なんでもない」

「彗一さんって、てっきり試食しかしてないのかと」本村はミルク柚餅子をつまみ上げた。「ぷにぷに」

「彗ちゃんはね、器用だけど、不器用なのよ」

 若き日の面影がうかがえる、雄々しい顔つきで遠くを眺めながら、菊田は話した。「気張らなくても、一通りのことなんでもできんのに、自分のことボンクラだと思い込んじゃってんの。だから、人に頼まれるまでは、自分の仕事だけやって、余計なことしないでしょ。あの子は大工になれるし、レーサーになれるし、コックさんにも絵描きにもなれるのよ。でもだめでしょ。なんでも自信がなきゃね。俺みたいにさ、いっぱい女の子とデートして、きゃーきゃー言ってもらえばいいのよ」

「モテモテだったんですね、菊田さん」大槻は言った。

「なーに。俺あ今でもモテモテだよ?」

「あ、すいません」

 菊田は重たげに腰を上げると、台所の方へと向かった。それから、くしゃくしゃのビニール袋いっぱいに、何かを詰め込んで持ってきた。「食べなさい」

 本村は胸に抱くようにしてそれを受け取った。袋の中には春菊が詰まっていた。

「ど、どうも」

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