「はーっはっはっはっああああ!」

 高笑いではなかった。

 冷河は公伸にすがりついて泣き叫んでいた。

 一同は広間の近くの別室へ集められた。結子と結太郎は座卓に並び、まっすぐに障子を見つめながら放心していた。冷二は赤ら顔で押し黙っていた。一族の他の人間や、柏谷夫妻や青山も、暗い面持ちだった。

「別の部屋で休ませた方がいいんじゃない?」

 肩越しに、こっそりと冷河の方を見やって、大槻は言った。

「でも、警察がここにいろって」池脇は言った。

「刑事さん、どんな人が来るんだろ」本村は言った。

「佐野さんと相原さん」大槻は言った。

「んな都合よく何度も何度も同じ人が来るかよ」池脇は言った。

 気遣いなく、障子が勢いよく開いた。

 現れたのは、佐野と相原だった。

 佐野は戸口のそばにいた本村たちを真っ先に目に入れ、無視した。それから、警察手帳を取り出して一族のもとへ向かい、これから、一人ずつ話を聞くと説明した。

「あの……」

 妻をなだめながら、公伸は言った。「明日じゃだめですか? 妻が、こういう状態なもので……。それに————」

 公伸は、ちらりと視線を後方へ流した。

 佐野は視線の先を追った。行儀よく正座した伊織が、すっきりとした表情で、佐野の顔を見上げていた。

 佐野は無言で、さりげなく頷いた。気づいた早苗が、おやすみしましょうねと言い、伊織を部屋の外へ連れ出した。

「それでは、そちらのお二方は明日、お話を伺うということで」佐野は言った。「他のみなさんは、呼ばれた方から順番に、今から別室でお話を伺います。お時間は取らせませんので。まず————」

 佐野は振り返った。

「そこの四人」



「ねーえどういうことお?」

 部屋を出るなり、佐野は廊下にしゃがみ込み、声をひそめてたずねた。

「えっとですねえ……」

 本村たちも従うようにしゃがみ込んだ。「いろいろ事情がありまして」

「そりゃあいろいろなかったらこんな山奥のこんな豪邸におじゃまして殺人事件に遭遇したりしないでしょ、ねえ、池脇君」

「はい、そうっすね」池脇は耳が痛かった。

「ぶっかけられたんですよ。ブルーハワイ」平然と、本村は言った。

「はあ?」

「AAでだべってたら、この家のお孫さんに、もとむがドリンクこぼされたんですよ」大槻が言った。「そのお詫びにって、招待されたんです」

「そんなことでわざわざ? 俺だったら行く方が面倒くさいよ?」

「多分、わざわざって感じじゃないっすよ」池脇は言った。「たまに、一度にまとめてお客さんを呼ぶらしいんで。今日も俺らの他に三人いますし。多分、俺らはついでっすよ」

「ふうん。大体流れは分かったけど」まだ納得していないようすで、佐野は話した。「夕食は、七時から?」

「そうです。七時から、みんなで」本村は言った。

「被害者が八時頃に広間を出て、八時半にお手伝いさんが出ていくまでの間、誰も一歩も外へ出ていないっていうのは、ほんとなの?」

「ほんとです。あの時は、食事もひと通り終わってゆっくりしていて、全員部屋にいました」本村は言った。

「一人だけ外にいた」

 いつの間にか縁側に腰かけていた倉沢が言った。

「誰?」佐野は聞いた。

「彗一さん」

「あれは……外っていうか……」大槻は苦笑いを浮かべた。

「そこにいただけっすよ」

 池脇は、広間の前の縁側廊下を指差した。「遠くへ行ったわけじゃないっす。俺らずっと喋ってましたし」

「八時より前はどうだった? 長時間席を外した人とか、部屋の中で、怪しい行動を取っていた人とか————」

「正枝さんと、砂織さんと、お手伝いの丹原さんて人が、出たり入ったりしてました」本村は言った。「料理やお酒を運んだりしてくれてたので」

「彗一さんも、八時前に一度だけいなくなりましたね」大槻は言った。「多分、灯籠の準備のためだと思うんですけど」

「灯籠?」

「あれっすよ」池脇が、まだ形のある庭の氷細工を指差した。「彗一さんが用意してくれたんす。そのあと、縁側に戻って、俺らとだべってたんす」

「花織さんも出てった」ぼんやりと灯籠を眺めながら、倉沢は言った。

「あれはおめーが湯葉催促したからだろ」厳しい口調で、池脇は言った。

「亡くなる前の、被害者のようすはどうだった?」

「ようすって言われても……」本村は唇をとがらせた。

「二、三分、喋っただけだしな」池脇は言った。

「どんな人だった? 氷降冷湖さんって」相原が聞いた。

「最初は、ちょっと恐そうで、寡黙な人に見えたんですけど」本村は言った。

「話してるうちに、なんて言うんだろ————ちゃーみんぐ?」

 大槻は、かわいこぶって首をかしげた。

「チャーミング?」佐野は苦々しく顔をしかめた。

「上手く言えないですけど、見かけとちがってかわいいおばあちゃんなんだなって思いました」本村は言った。

「服装もおしゃれだったしね」大槻は言った。

「俺らみたいなガキ相手に気い使っていろいろ話してくれましたよ。『最近はどうなの?』『何に興味あるの?』みたいな」池脇は言った。「すげえいい人でしたよ」

「家の人とはどうだった? 何か話したりしてた?」

「話してましたけど、終始聞いてたわけじゃないんで」大槻は言った。

「ごりごりになかよしっぽい感じはなかったですけど、険悪な感じもなかったですよ」本村は言った。「フラットな感じでした」

「表面だけじゃ、分かんないすけどね」池脇は言った。

「何か、外で変な物音がしたとか、おかしなことはなかった?」

「特には」池脇は言った。

「晩ご飯がおいしかったんですよ」本村は言った。

「あそう」

「あの、夕食のときの話じゃなくても、いいんですよね?」大槻が言った。

「うん、いいよ」

 軽い調子で、佐野は言った。

「気づいたことはなんでも言って」

 相原もうながした。

「柏谷さんなんですけど。俺らと同じ招待客の」

 考えながら、大槻は話した。

「夕方、俺らがここに到着して、砂織さんに部屋を案内してもらってるときに、廊下で、柏谷さんたちと鉢合わせになったんですよ。離れに向かう途中の部屋から出てきて」

「そんで?」佐野は言った。

「砂織さんがどうしたんですかって聞いたら、『トイレを探してた』って。でも砂織さんは、離れにあるお客さん用のトイレを案内したはずだって言うんです。それに柏谷さんたち、明らかにトイレ探してる感じじゃなくて、一旦ちゃんと部屋の中まで入って、それから出てきた感じなんですよ。普通、人様の家でトイレ探してたら、扉開けるにしても、外からちょっと覗くくらいじゃないですか? 勝手に中まで入るようなことしませんよね?」

「どの部屋か分かる? それ」少し、真剣な表情になって、佐野は聞いた。

「えぇ……。ちょっと分かんないです、もう。部屋いっぱいあるんで」

「ひらくタイプの、木の扉だったのは覚えてます」池脇が言った。「襖とか、障子じゃなくて」

「うん……」呑み込むように、佐野は相槌を打った。

「強盗の可能性は、ないんですか?」本村が聞いた。

「ああ、確認してもらったけど、貴重品は何も盗られてないらしいよ」佐野はぱっと顔を上げた。「物色されたような形跡もない」

「でも、それって冷湖さんの部屋の中だけですよね?」

「見ました? 洋間にあるガラスドール」大槻が言った。「花織ちゃんはぼかしてましたけど、さっきネットで調べたら、めっちゃ高価なものらしいですよ。全部揃ってるか、確かめてもらった方がいいんじゃないですか」

「ああ、こういう家だと————」

 佐野は疲れた風に敷地内を見回した。「他にも高価な物がいろいろとあるんだろうね」

「でも、犯人の目的が他の部屋にある貴重品や骨董品だったとして、自室にいる被害者をわざわざ殺しにいく理由がありますか?」相原が言った。

「分かんないよぉ? 別の部屋を物色してる最中に、自室へ戻る途中だった被害者と、鉢合わせになったのかも」

「それで殺したあとに被害者の自室まで運んでベッドの上に寝かせて頭髪や衣服の乱れを整えて逃げたっていうんですか?」

「分かんないよぉ? こう、殺人を芸術だとか言い張るサイコキラーだっているじゃない」

 そう言って、佐野はスーツの内ポケットから白い封筒を取り出した。「となれば、これも猟奇的強盗殺人犯の演出の一部だったりして」

 佐野は中の紙を開いて見せた。倉沢もそばへやって来た。入っていたのは、二枚の白い紙だった。

「なんすかこれ」池脇は言った。

「被害者の枕元にあったんだって」

「白紙?」大槻は言った。

「二枚ともですか?」本村は言った。

「うん。どう思う?」

「普通に考えたら、枕元に手紙って、『遺書』、ですよね」大槻が言った。

「じゃあ、冷湖さんは自殺ってこと?」本村は言った。

「なんで遺書が白紙なんだよ」威圧するように、池脇は言った。

「え……ほら……」間に合わせのように、大槻は答えた。「『もう何も思い残すことはない』……とか……」

「んー。でもねえ」

 白紙とにらみ合いながら、佐野は言った。「遺体のそばに、凶器がなかったんだよ」

「そうなんですか?」本村は言った。

「そう。あれ? 見てないの?」

「部屋の前までは行きましたけど、人が多過ぎてよく見えなかったですし、誰かが入ろうとする前に、晶彦さんが止めたので」

「『中に入らない方がいいと思います』って。ねえ?」大槻も言った。

「晶彦さん自身は、部屋に入った?」

「いいえ」当然のように、大槻は答えた。

「冷湖さんの部屋に入ったのは、本当に、丹原さんだけなんです」本村は言った。

「とすると、もしも冷湖さんが自殺だったとしたら、凶器を動かすことができたのは、その丹原っていうお手伝いさんだけってことか」佐野は言った。

「お手伝いさんが? なんのためにですか?」相原は言った。

「保険金」

 倉沢が言った。「自殺の場合、支払われない可能性がある」

「それで、他殺に見せかけるために凶器を動かした?」本村は言った。

「じゃあ、丹原さんは冷湖さんとなんらかの繋がりがあって、保険金の受取人になってたってこと?」大槻は眉をひそめた。

「それかこっそり遺言書を書き換えて、自分が受取人になるように偽造しておいた、とか」倉沢は言った。

「遺言書を書き換えられるなら、保険金じゃなくてシンプルに遺産の方狙うだろ」池脇は言った。「わざわざ他殺になんか見せかけなくても」

「まあ、調べてみるけど」

 白紙を見つめながら、ため息混じりに、佐野は言った。「期待はしないよ」

「やっぱり、外部犯の線が濃厚なんじゃないですか」相原は言った。「猟奇的強盗殺人————もっと単純に考えれば、会社自体に対する怨恨ってこともあり得ますよ。こういう大きな会社だと、通告や取引で、内外問わずいろいろと恨みを買うこともあるでしょうし。この白紙は、一族の人間に対するメッセージなんじゃないですか」

「メッセージ? どんな?」佐野はくたびれた顔を上げた。

「潔白」池脇は言った。

「降参です」本村は言った。

「この話はなかったことに」微笑んで、大槻は言った。

「湯葉」倉沢は言った。

「あの……」

 障子から、彗一が顔を覗かせていた。

「事情聴取って、そこでやるんですか?」

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