「のごみ? のごみのごみのごみ————。あぁ————。なんか聞いたことあるかも」

 気の抜けた表情で窓の外を眺めながら、捜査一課の刑事、佐野さの圭太けいたは言った。

「そりゃあ、名前くらいは聞いたことあるんじゃないですか」

 愛車のサフラネクを運転しながら、同じく捜査一課の刑事、相原あいはら真純ますみは言った。

「そこに住んでるの? 氷降グループの一族が?」

「そうみたいです」

「あれか。高級別荘地みたいなとこ?」

「さあ。僕も行ったことはないんで」

「なんか悪いねえ。迎えにまで来てもらっちゃって」

「いえ。丁度通り道だったので」

 待っていたらいつになるか分からないので————という本音を、相原は飲み込んだ。

「いつも思ってたんだけどさぁ」

「はい」

「これいい車だね」

「ありがとうございます」

「こんないい車乗ってるとさぁ」

「はい」

「敵作らない?」

「はい?」

「ほら、上の連中からさ、あいつは生意気だーみたいに言われちゃうでしょ」

「言ってるんですか?」

「俺は言ってないよ、俺はね」

 てめえほんとかこの野郎————相原は思った。

「別によくないですか誰がどんな車乗ろうと。捜査車両としてちゃんと申請出してますし。何も悪いことはしてませんよ」

「そりゃそうなんだけどさ」

 佐野は虚しく黙りこくった。

 相原は鼻で息をついた。「会社によってはいまだにあるらしいですね。上司よりいい家に住むなとか、上司より先に結婚するなとか。ほんと、ばかばかしいと思いますよ」

「淘汰されていくでしょ。そういう人間がいるとこは」

「それ、うちの親世代から言ってますけどね」

「え。あぁ————で、今分かってる情報は?」

 おめえが言い出した話だろ。思いながら、相原はすぐに切り替えた。

「被害者は氷降冷湖、八十四歳。氷降グループ代表取締役会長。氷降家は今日、自宅に客を招いていて、午後七時から、客を含めた総勢二十四名で夕食をとっていたそうです。八時頃、冷湖は先に休むと言って一人で帰室。八時半に、手伝いの者が寝酒を運びに部屋へ入ったところ、死亡している冷湖を発見。遺体の左胸部には刺創が一ヶ所あり。他に目立った外傷はないそうです。凶器は見つかっていませんが、おそらく、アイスピック状の細長いものによると。死亡推定時刻は冷湖が自室へ戻った八時から、およそ十分、十五分の間だということです」

「二十四人かぁ。事情聴取、かなり時間取られそうだね」

「それがそうでもないみたいなんですよ」

「え?」

「なんでも、冷湖が自室へ戻ったあと、一族の人間も、客も、お手伝いさんも、集まっていた広間から一歩も外へ出ていないそうなんです。お手伝いさんが寝酒を運びに外へ出たのも三十分後なんで、それだと、死亡推定時刻と一致しませんし」

「家の中にいた人間は、全員アリバイ成立ってこと?」

「そういうことみたいです」

「客っていうのは?」

「年配の夫婦と、大学生と、あと————四人組の高校生だそうです」

「高校生?」

 佐野は顔をしかめた。「なんで高校生?」

「さあ。お孫さんの、友人とかじゃないですか」


 氷降冷湖はベッドの上に仰向けに倒れていた。

 目を閉じ、腹の上で手を握り、静かに眠っているようだった。ワンピースの左胸が血で染まっているが、衣服や頭髪に乱れたようすはなく、大ぶりのイヤリングも、耳たぶにしっかりとついたままだった。

 ベッドの下に、小盆と、青い液体がほんのり入ったショットグラスが転がっていた。

「これは?」佐野は言った。

「ああ、お手伝いの人が、寝ているものだと勘違いしたらしくて」

 先に到着していた刑事が言った。「近くまで寄ってびっくりして、持っていたお盆をひっくり返したそうなんです。遺体の服にも多少染みが残ってます。グラスの中身はキュラソーだったそうですよ」

「キュラソー? あのクソ甘いやつ?」

「たまにいるみたいですよ、ストレートで飲む人」相原が言った。「デザート感覚なんじゃないですか」

 床の間には、『夥面六臂』と書された掛け軸が、部屋の脇には六角の形をした、木製の小箪笥があった。

「物盗りの可能性は?」佐野は聞いた。

「お孫さんに確認してもらいましたが、盗られたものは何もないそうです」刑事は言った。「見たところ、荒らされた形跡もありませんしね。向こうの部屋にジュエリーケースがありましたが————」

 刑事は、隣続きの部屋を見やった。「それも手つかずでした」

「孫って?」

「晶彦さんという方です。被害者の貴重品の管理は、その方がしていたそうで」

「へえ。孫がねえ」

 考えながら、佐野はふらりと開け放たれた障子の方へ向かい、庭を見渡した。

「元々、厳重に施錠をする習慣がなかったそうですよ」佐野の思惑を察した刑事は言った。「夕食時も、ここだけでなく、玄関やいろんな戸口の鍵が開いたままになっていて————。家の中の人間が全員広間に集まっていたとしたら、誰にも気づかれずに外部の人間が侵入することは容易だったと思います。あと————」

 刑事は白い封筒を差し出した。「これが枕元に」

 それに封はされていなかった。

 相原もそばへやって来た。

 佐野は封筒の中身を取り出し、開いた。

「は?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る