六
夕食は広々とした座敷に用意された。座卓の上には、和洋折衷の豪華な品々が並んだ。
「私は和菓子屋の跡取りでしたがね、映画スターに憧れて、十代で家を出たんです。結局芽が出ず勤め人になったんですが、その時に、似たような境遇の、妻と出会って————」
「わたくしの実家は田舎で旅館を営んでいるんです」
「若さですわね。漠然とハイカラな都会を夢見て、家を飛び出してしまったんです。行く当てもないっていうのに」
笑い話のように、久子は語った。
「二人とも、家業の方は心配しちゃいないんですよ」亭一は言った。「下には弟や妹たちがおりますし、誰かしら残って、家を守ってくれているんです」
「うちの旅館で出す『着き菓子』も、主人の実家の和菓子なんですのよ」
久子は言った。「わたくしたちは家を出ましたけれど、実家同士、助け合いながらやってくれているようです」
「神道? 神道って、青山君ち神社なの?」興味津々で、彗一はたずねた。
「いやぁ……普通の家ですけど……。僕は、日本神話に興味があって……」
「神話って、イザナギとイザナミとか?」
「天照大御神とか?」反対側から、透織もたずねた。
「いえ、僕が学んでいるのは、古事記に載っているような有名な神様じゃなく、その土地土地に古くから伝わるような、民間信仰されている神々なんですよ」
「民間信仰かぁ。この村にもね、古くから伝わる神様がいるんだよ」透織は言った。
「あ……見ました……祠……。村の、入り口のところですよね?」
「そうそう」透織は振り向いた。「ばあちゃん、なんの神様だっけ」
「あれは太陽の神様ですよ」
すっきりとした卯の花色のワンピースを着て、上座にどっしりと構える冷湖は言った。
「なんかないの? 言い伝えとか、面白エピソードとか」彗一は言った。
「どうでしたかね。蔵へ行けば、古い書物か何か、あるかもしれません」
「おお、それ探そう」
「明日見せてあげるよ、青山君」透織は言った。
「あ、ありがとうございます……」
青山は気後れ気味にうつむいた。
「倉沢さん」
正枝が優しく声をかけた。「お料理、お口に合わなかったかしら」
倉沢は、食事にほとんど手をつけていなかった。
「倉沢君は少食なだけなんです」本村は言った。「お料理、とってもおいしいですよ」
「あらそうなの、無理なさらないでね」
「倉沢君、何か、他のもの持ってこようか?」
花織が後ろからやって来て、小声で言った。
「あ、いいんす、こいつは、ほっといてくれれば」池脇は言った。
「湯葉もっと欲しい」倉沢は唯一空にした小皿を指した。
「湯葉ね、分かった。すぐ持ってくるね」
「ねえね、花織ちゃん」大槻が引き止めた。「家族の人たち、紹介してくれないかな」
「正直僕ら、顔と名前が全然一致してなくて」本村は言った。
「うん。えっと、まず、
「うんうん」大槻はタブレットに名前を打ち込んだ。
「僕に手紙をくれた人だね」本村は言った。
「あっちに座ってるのが、長男の
「秀才っぽー」倉沢は言った。
「知的って感じ」本村は言った。
「それから、長女の
「まーたいちゃいちゃしてるよ」池脇は言った。
「あんな指輪してたっけ?」本村は言った。
「あっちが次男の
「覚えてんの彗一さんだけだったな」池脇は言った。
「ハッ。海馬」倉沢は言った。
「うちのお母さんの
「なんか……」いぶかしんで、大槻は言った。「伊織君、怒ってる?」
「ああ、さっきお母さんに叱られたもんだから、ふてくされてるの。いつものことだから気にしないで」
「あそこで盛り上がってるのが、
「うん。
「彗一さんと透織さんに挟まれてるのが」大槻が言った。
「
「あそこの人は?」倉沢が言った。
「ああ、あれは
「さすが氷降家。お手伝いさんとかいるんだ」大槻は言った。
「ううん。今日はお客様が多いから、特別に来てもらっただけなの。普段はいないんだよ。うちは大所帯だけど、頼りになる人もいっぱいいるし、家のことはなんでも自分たちでやっちゃうから」
しばらくして、彗一は部屋を出ていった。正枝、砂織、三梅が、たびたび部屋を出入りしていた。
「お人形が好きだそうですね」
突然、冷湖は本村に話しかけた。
「あ、はい」
箸を手にしたまま、驚いて、本村は答えた。
「伊織から聞きましたよ。どうですか。最近のお人形というのは。動いたり、話したりするんですか」
「そういうものもあるかもしれませんけど」すぐに平静を取り戻し、本村はゆったりと話した。「僕の人形は、そういうのは趣味じゃないんです」
「そうですか。あなた————」
冷湖は、大槻を見てから、その手元にあるタブレットをそっと見た。「もう、紙とペンは使いませんか」
「使います。すごく。利便性や機能性ではデジタルに敵わないと思いますけど。僕は、自分の思ってることは、紙に書いていたいんです」
「そう。そういう感性は、大事にしたいものですね。あなた————」
冷湖は、今度は池脇を見た。池脇は僅かに身構えていた。
「いいんですよ。何もおっしゃらなくて。ただ、興味のあることを一つ、教えてくださいな」
「興味……?」
池脇は険しい表情で、暫し考えた。「ああ……今は……。そういう時期じゃないんす。多分。興味をなくすのが興味っていうか……。上手く言えないすけど」
「そうですか。それもきっと必要なことなんでしょうね。あなたは————」
冷湖の目が倉沢へ向けられた。倉沢は、催促した湯葉をもそもそと食べていた。
「どうですか。楽しいですか。近頃は」大らかに、冷湖はたずねた。
倉沢は言った。
「楽しいことなんてなんにもないですよ。世の中意外とばかが多いし。楽しいことを求めてどこかへ行ったり何かを始めようとするだけで、生じる精神的被害が大きすぎるんですよ。有難いことに自己完結できる娯楽は腐るほどありますけど。それは楽しいってよりかは、脳がばかなばっかりに、一時的に楽しい気分にさせられてるだけなんですよ。我に返ったときの絶望感ったらないですよ。大体おかしいんですよ。楽しいことも悲しいこともむかつくことも、全部ひっくるめて自分の人生であり日常であるはずなのに、『楽しいこと』だけが浮世離れし過ぎてて、現実から切り離されてる感じがするんですよ。噓みたいなんですよ。それくらい、日常の99%が悲しみと憎しみでできていて、残りの1%を『100%に錯覚できる快楽』で盛ってるんです。そんなことまでしないと毎日を『楽しい』と感じられないなんて終わってますよ。なんですか。どこへも行かず誰にも頼らず、生活感のある趣味でも始めればいいんですか。隠居して絵画や陶芸でも始めればいいんですか。でも僕絵の具の匂いも手が汚れるのも嫌いなんですよね。世の中ばかばっかりですよ」
倉沢は湯葉に戻った。
「そうですか」
冷湖は泰然と微笑んでいた。それから、凛々しい瞳をきらきらと輝かせ、本村たちを見た。「あなたたち、とっても素敵ですよ」
倉沢以外の三人は呆気にとられていた。
「失礼しぁーす」
どこからか戻ってきた彗一が、わざとらしくかしこまって障子を開けた。
広がる庭園には、四角い筒型の氷細工が不規則に並び、中にはほのかな明かりが灯されていた。
「だから灯籠がなかったんですね」大槻が言った。
「うん」縁側に座り込んで、彗一は言った。「悪くないでしょ?」
「すごくきれいです」本村は言った。
「あれも彗一さんが作ったんすか」池脇が聞いた。
「まあね」気取らずに、彗一は言った。
「さて、我が家の名物も見れたことですし」
おもむろに、冷湖は立ち上がった。「私はお先に失礼しますよ。みなさん、どうぞごゆっくり」
客たちはおやすみなさいと頭を下げた。戸口まで、正枝と砂織が見送った。
「風邪引くなよ」彗一が投げかけた。
「なんですかあなたは。そんなところにいたら、せっかくの景色を観るのに、お客様の邪魔になるじゃありませんか」
冷湖は彗一の前を通り過ぎ、まったく、うちの孫たちと来たら、とぶつぶつ言いながら廊下を渡っていった。彗一は本村たちの方を見て、わざとおどけた顔をした。
しばらくて、正枝が言った。
「丹原さん、寝酒の方、お願いね」
「ねざけ?」
三梅はきょとんとしたようすで言った。
「昼間言いましたよ」
砂織が、鋭い口調で言った。「八時半になったら、おばあちゃんに寝酒を持っていくようにって」
「あ……。ああ! はぁい」
三梅は慌ただしく部屋を出ていった。
砂織は苛立ったようすで席に戻った。隣で思織は、デザートを食べながらにやにやと笑っていた。
「遅いわね」
少しして、冷河が言った。十五分経っても、三梅は戻ってこなかった。
「迷ってるんじゃないのか」冷一が言った。
「ちがうわ」
砂織が言った。「さっきもいなくなったと思って、晶彦兄さんと探しに行ったら、隠れてサボってたの、あの人」
「まあ、呆れた。もっといい人に頼めなかったの?」冷河は言った。
「それが、急だったもので……」申し訳なさそうに、正枝は言った。「週末にこんな田舎まで泊まりがけで来られる人が、彼女しかいないと言われて————」
その時、遠くの方から甲高い悲鳴が響いた。
「なんだ?」
縁側にいた彗一が立ち上がった。他の者もぞろぞろと立ち上がり、戸口から顔を覗かせた。
三梅が、乱暴な足取りで廊下をかけてきた。
「た、大変! 大変ですう!」
部屋の前までやって来ると、三梅は息を切らしながら言った。
「あのおばあさん、死んじゃいました!」
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