第2話 学校
白状すると、先輩には一目惚れしたようなものだった。
他の皆は同じように見えたけど、ずっと、この人だけは違って見えたから。
学年どころか学校全体で見ても成績トップで、身のこなしも軽く、何故か喧嘩も負け知らず。美男子かと言われれば微妙なところではあるが、人並みの清潔感はあるし、背が高いから立っているだけで目立つし、遠目で見ればなかなか画になる。同性の僕から見ても(もしかしたら同性だからこそ、かもしれないけど)ちょっと羨ましくも感じられる。
一目置かれそうな存在だと思うのだけれど、こころなしか、先輩は周囲から敬遠されていた。その理由は「親がいないから」とか、「かなり変わり者だから」とかだろうけど、誰かに頼ることなくピンと背筋を伸ばして立ってる先輩のことを、僕は素直にかっこいいと思った。
勉強熱心な先輩は、金銭面の問題や、病気を取り巻く情勢がなければ、大学に通って医者や研究者になれただろうし、そうすればたくさんの人間を救えたのではないだろうか。そういう意味で捉えれば、先輩は、捧げ物に相応しい『価値のある人間』なのかもしれない。
「おまえ、よくあの人と一緒にいられるよな……俺、あの人の顔見られないよ」
学校の昼休憩中、同級生の一人から声をかけられた。
この村に1つだけある高校は、僕でも1週間あれば全校生徒の顔を覚えられるほどの人数しかいない。それに加えて最近は、登校する生徒は日に日に減っていた。
往来を禁止されているから遠い町に住んでいる生徒は来れないし、人間社会が破綻しつつあるから、大学の入学試験もしばらくはできないだろうと言われている。将来も見えない今、勉強する意味を見いだせなくなる気持ちは、分かる。
むしろ、こんな状況になっても通い続ける僕や同級生や先輩、それにいまだ残って教鞭を執る教師陣が、律儀というか、生真面目なのだろう。逆に、こんな世界の終わりまでカウントダウンしているような時に、日常生活を送ろうとしている方が狂っているのかもしれないけれど。
とはいえ、そうやって残った図太い性質の生徒たちの空気でさえも、陰鬱としていた。特に、この学校の生徒が選ばれた時から『儀式がうまく行かなければ、次に選ばれるのは自分かもしれない』という実感が、真に迫ってきたように思う(それにしても、村の誰も「生贄の儀式をやめよう」と言わないことが、不思議ではあるが……)。
「僕は……先輩と話すのが、好きなんだ」
僕の返事を聞いて、同級生は困惑したようにちょっとだけ笑う。
「う〜ん……あの人も変わってるけど、ユウスケも変わってるもんな」
「そうかな」
「うん。何処がとは言えないけど。傍から見てると、おまえら波長が合ってるのかな〜……って感じはある」
「ありがとう」
僕は同級生のその言葉が、何故だかありがたく思えて、礼を言った。同級生は「いやいや、礼を言われるのもよく分からないけど?」と怪訝な顔をする。
「ユウスケ」
名前を呼ばれて、声の方を振り向くと、教室の入り口に先輩がいた。三年生の先輩が、一年生の教室にわざわざ来るなんて珍しい。クラス中の生徒の視線が、先輩に集まる――と言っても、教室には僕らの他に、5、6人しかいなかったけど。
僕は席を立った。
「どうしたんですか?」
「うん。あんたには一応、伝えとこうと思って。とうとう隣町に感染者が出たらしい。3人だ」
一瞬、時間が止まったように感じた。後頭部から背中にかけて、体温がすっと下がり、耳に入る蝉しぐれも急に遠のいたように感じた。本当に凍ってしまったのかと疑うくらい、席から立ちあがった姿勢のまま、僕は動けなくなってしまう。
そんな中でも、先輩はいつものように、平然と言葉を続けた。
「それでやっと、儀式のゴーサインが出た」
しんとなった教室で、淡々と先輩の声が響く。
「俺は、今日はもう帰って、部屋を片付けて、お世話になった人に挨拶回りに行く」
「先輩、あの、ちょっと待って」
「儀式の本番は来週の金曜日の夜で、その前には3日か4日くらいかけて、なんか色々準備をするらしい。その間はもう俺は外に出ちゃいけないみたいだから、」
「待ってください」
「残り自由に動けるのはあと3、4日かな。その間に、部屋のもの全部処分できるといいんだが……」
「待てってば!」
まるで今夜の献立を考えるような口振りで躊躇いなく、人生をたたむ予定を組み立てる先輩に、僕は怒鳴ってしまった。この村に来てから、こんなふうに大声を上げるのは初めてだった。
先輩は、話を止めて、目を丸くして僕を見る。先輩の驚いた顔、初めて見たかもしれない。
「……ごめんなさい」
先輩を黙らせた割には言いたい事はまとまらなくて、僕は、教室を出た。その場にい続けたら、気が狂いそうに感じたからだ。
先輩が僕を追いかけて、横に並ぶ気配がした。
「……昼食はいいのか?」
先輩の的外れな質問は無視した。
「……話しても、いいか?」
先輩は、心なしか困惑した様子で、僕に語りかける。自分が生贄になるのは平気なのに、僕に怒鳴られると動揺するのか、と少し可笑しくは思ったが、笑えるほどではなかった――むしろ、無性に腹立たしかった。
「俺には時間がないし、話すよ。正直なところ、俺はあんまりこの村に思い入れはないんだ」
僕の返事を待たずに、先輩は勝手に話し出す。
「肉親も、いい思い出も、ない。数ヶ月後か数年後か、まるごとこの村が無くなってたとしても、『そっか』って納得して、特に悲しむこともないと思う。でも、あんたには良くしてもらったからさ」
僕が良くしたから、何だというのだろう。先輩はその先は言わなかった。
僕は立ち止まった。一緒に歩いていた先輩は、慣性の法則よろしく急に止まれなかったせいで、僕より、少し前に出る。僕の視界には三年生の緑色の上履きが映った。
恐る恐る顔を上げる。
気が付くと僕らは、暑くて人気のない、校舎と体育館をつなぐ渡り廊下に来ていた。この先は行き止まりだ。渡り廊下の外に見える緑や体育館の壁のクリーム色は、太陽にジリジリと焼かれ、やけに明るく見える。対照的に、日陰に立つ先輩は黒く沈んで、表情はよく見えなかった。
「この村が消えて構わないなら、儀式を断って、いいじゃないですか」
「そうだな」
間髪入れずに返ってきたその声色からも、先輩の感情は伝わってこない。
ずっと考えていたことを、口にしてみた。
「僕と一緒に、この村を出ましょう」
逆光に沈む先輩は、一度瞬きをして、ゆっくりと、言葉の意味を確かめるように、呟いた。
「あんたと、一緒に……出ていく」
「はい」
僕と先輩の間に、しばらく沈黙が生まれる。その間に、先程遠のいたはずの蝉の声が戻ってきて、いやに大きく、僕の頭の中に響き始めた。首筋や背中に汗が伝うが、熱と湿気を含んだ風では、涼しさを感じられない。いつもだったら「さっさと涼しい所に避難しましょう」と言うような不快さでも、僕は、先輩から目が離せないまま、動けなかった。
なにか言いたい、と思うのに、やはり気持ちも考えも何もかもぐちゃぐちゃで、どうしようもなかった。
少なくとも一つだけ言えることは、僕は、先輩が「逃げたい」と、「この村を出たい」と言ってくれる瞬間を、心の底から待ちわびていた、ということだ。
別に、先輩の返事なんて待たなくたって、連れ出してしまえばいい。できなくはない。でもそれが、先輩が本当に望んでいる事なのか、先輩を救える方法なのか、僕には確信が持てなかった。ただの、僕の思い込みなんじゃないかと。自信がなくて、怖い。踏み出せない。
絶望にも似たものがこみ上げてくる。
人の気持ちを理解するとは、どうしてこんなに難しいことなんだろう。こんなに近くにいるのに、わからない。頑なに先輩が儀式に向かおうとする理由が、わからない。
結局僕が口に出せたのは、さっきと全く同じセリフだった。
「僕と一緒に、この村を出ませんか」
先輩はたっぷり考えた後、小さく呟いた。
「……ごめん。俺は、もう二度と、他人の人生を邪魔したくない」
それは、今まで聞いたどんな声よりも、痛々しくて、切実な響きを持っていた。
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