雲を恋う

梶原

第一章

第1話 図書館

「過去の記録を辿って、生贄の属性と効果に相関がないことを証明すれば、みんな、踏ん切りがつくのかと思って」

 物好きしか来ないであろう図書館の郷土資料室で、先輩は古い書物を広げていた。

 太陽が照りつけ、どこへ逃げても静寂がないと思える、夏休み直前の小さな田舎の集落の中、ここにだけは静寂が横たわっているように感じられた。厳密には、蝉しぐれが洪水のように窓サッシの隙間から侵入し、古い冷房設備は一定の音を立てて控え目に存在を主張していたので、全くの無音状態ではないけれど。

「生贄を捧げる行為自体が非科学的だけどな。歴代の記録を見ても、人々を悩ませた天災がおさまった時期は、儀式を執り行ってから、数ヶ月から数年後くらい。多分、生贄なんか関係なく、自然に問題が解決した結果だろう」

 僕は返す言葉も分からなくて、その横顔をじっと見ながら黙っていた。先輩は書物を気だるげに閉じると、横に立っていた僕を見上げ、長い足を組み、ニコリとも笑わずに言った。

「余所から来たあんたにしてみれば、ここ最近のこの村の騒動は、不思議な光景に見えるんだろうな」

 僕は「まぁ……」と言葉を濁す。おそらく先輩が推測する理由とは、別の理由ではあるだろうが、困惑してることには変わりはなかった。

 近年、世界中で、人類は様々な感染症に悩まされていたが、ここ1,2年で、比べ物にならないほど深刻な感染症が現れていた。一説では致死率は50%を超えるとも言われ、生き残っても重い後遺症が残るとの噂だ。どの国も、都市も町も村も、病気を恐れ余所者を拒み、閉鎖し、各所で分断が進み、経済や世の中は回らなくなっていた。

 外界との接点を失ったこの村は、病気を恐れるがあまり『生贄を捧げよう』などと言い出すくらいに正気を失っているが、おそらく他の地域も同じような状態だろう。……推測でしか語れないのは、インターネットやテレビなどのメディアには嘘が本当かも判らない情報が溢れ――いや、それ以前に、メンテナンスが行き届かずに使えなくなりつつあるからだ。

 それでも病気は人間の事情などお構いなしに、首都から徐々に北上しており、この村に届くのも時間の問題、というところだろうか。

 とにかく、この村が最後に縋ったのは、とうの昔に忘れ去っていた『この土地を守るとされている、人ならざる何か』だった。文明開化前、何か天災が続く度に生贄を捧げたことを思い出して、村民たちはそれを実行しようとしている。古い書物や記録を辿り、生贄の捧げ方を調べ上げ、着々と準備を進めた。

 一番最後に残ったのは、生贄として誰を捧げるか、という問題だった。

 家柄が良く美しい生娘を選ぶのが定石であるが、少子化が進む村では、型に当てはまる人間は少数だし、当然、どこの家の親も拒んだ。次第に、年齢も引き上げ、美しさの是非も問わず、性別も問わず……と、条件の範囲は広がっていく。

 結果、民衆からの白羽の矢が立ったのは、護ってくれる身内がいない先輩だった。

 先輩はそれに対して抵抗することもなく、二つ返事で受け入れた。

「一般的に、神を鎮めるための捧げ物には、人々が価値があると信じるものを選ぶらしい。人間の命、とくに未来がある若者ほど、価値の高い捧げ物という考え方もあるかもしれないな。こんな学級委員を押し付け合うみたいに決めるのは、ちょっと違和感はあるけど」

 先輩は、自分が生贄に決まったことを僕に告げた時も、平然としていた。僕が同情の意を示す隙もないほどの落ち着きっぷりだった。

 とはいえ、村人たちも、生贄が先輩――男性で、さして美形でもなく、愛想もなく、身寄りのない変わり者で良いのかと、まだ踏ん切りがついていないようだ。単純に、いざ生身の人間を前にして、自分たちがやろうとしていることに怖気づいているのかもしれないが。

「やるならやるで、さっさと済ませたいところだ。儀式の準備はもう出来てるって聞いたけど、俺が返事してからもうひと月は経ってるし」

「……逃げる時間はたっぷりありますよね」

 逃げてしまえばいいのに。僕はずっと、そう思っていた。

 先輩は、ふん、と鼻で笑う。

「俺が逃げないように、あんたが監視役をしているんじゃなかったのか」

「だから、違いますってば。第一、……決まる、ずっと前から、先輩の面倒見てるじゃないですか」

「はは、面倒、か。それもそうだな」

 先輩に、ずっと感じていた疑問を口にしてみる。

「儀式、何をするか、知ってるんですか」

 僕は、何があっても平然としている先輩に対して、内心、怒りを覚えていた。

 先輩には不幸になってほしいわけではなかった。だからこそ先輩が生贄になることを受け入れてから、何故、どうしてと、ずっと詰りたい気持ちだった。

 どうして断らなかったんですか。そんな物騒な誘い、怖くないんですか。先輩は、自分の人生はどうでもいいんですか。

 半ば睨むような僕に向かい、先輩は、特に表情を動かすことなく答えた。

「具体的には知らないな。……各地の人身御供の話は聞いたことがあるから想像はつくし、調べれば分かるだろうけど」

 そこで先輩は言葉を止め、僕から目を逸らした。

 僕は、先輩のその言葉と仕草にハッとして、黙った。

 先輩は、知っている知識や頭の中で考えている内容を、独り言のように、そのままペラペラと言葉に垂れ流してしまうタイプの人間だ。さらに、知らないことがあれば、何でも徹底的に調べる勉強熱心な一面も持ち合わせている。そんな先輩が、この件は深くは語らない、調べもしない、と言う。

 いつもと様子が違うのは明らかで……内心、心穏やかではないのは、想像ができた。

 黙り込んだ僕を尻目に、先輩は、書物を持って立ち上がる。

「……借りるんですか?」

「禁帯出だから、コピーの許可をもらう」

「他の本は?」

「そのままでいい、後で戻すから。ほとんど、知りたいことは書いてない資料だった」

「……はい」

 僕はその場で、先輩の背中を見送った。

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