第50話

アパートを飛び出したあたしは、そのまま走って家まで帰ってきてしまった。



頭の中には、何度もさっきの光景が蘇ってくる。



バンッと、勢いよく部屋のドアを閉めて、ベッドにうつぶせになり、枕に顔をうずめた。



秋生さんはあたしの彼氏。



だから、あんなことをしても普通。



そう理解しているのに、触れられた場所が、まるで汚いもののように感じるのはどうして?



たった1回のデートであんなことをされるなんて、思ってもいなかった。



「彼氏ができたことだって、なかったのに……」



キスされて、告白されたときは、あんなにときめいたのに。



今日は違った。



逃げてしまった。



「彼氏とか、あたしにはまだ早かったのかなぁ……」



そう呟き、ギュっと目を閉じた。


☆☆☆


翌日。



あたしは時間通りにバイトへ向かった。



気分は少し重たかったけれど、そこまで自分を甘やかしてはいけない。



「おはよぉ和心」



「おはよ、月奈。昨日、どうだった?」



楽しそうな口調でそう聞かれて、あたしは頬を膨らませた。



「その様子じゃ、うまくいかなかった?」



「……太もも、触られた」



「へ?」



キョトンとする和心に、あたしは昨日の出来事を話してきかせた。



すると和心は「あ~、なるほど」と、うなづく。



「なによ?」



「秋生さん、月奈が男と付き合った経験ないって、知らないんじゃない?」



「あ、そういえば、そうかも……」



「だからだよ。部屋でDVD見てたらさ、2人きりだし、ちょっとその気になっちゃったんじゃない?」



その気に……って!!



やっぱり、そうだったのかな。



「でも、あたしの気持ちも考えてほしかったっていうか……」



「そりゃそうだよね。月奈、ビックリしちゃったんでしょ」



「うん。心臓が飛び出るかと思った」



和心の言葉に、何度もうなづいた。



さすが和心、女心がわかってる。



「それくらいなら、ちゃんと話せば大抵の男は理解してくれるよ?」



「そうなの?」



「うん。本当に好きな子が相手なら、ゆっくり時間をかけるはずだから」



「そっか……」



「そんな心配そうな顔しないの。大丈夫大丈夫」



バンバンと少し乱暴に背中をたたかれ、あたしはようやく笑顔になったのだった。


☆☆☆


その日、バイトが終わるとあたしは家に戻り、【妖精の住む町】という、あの本をもう一度開いていた。



この作者の名前【美影 白堵】が、ずっと気になっていたんだ。



美影たちに直接この本に関して話を聞こうと思っていたのだけれど、姿が見えなくなってしまったことで、それができない。



「この作者、どこの人かな?」



そう呟き、プロフィール欄を見る。



しかしそこには、出身地と年齢、性別くらいしか書いていなかった。



今どこに住んでいるのか、あたしはそれが知りたかった。



もし、この絵本を描いた本人に会えたとしたら、妖精たちのことをもっとよく知ることができるかもしれない。



まぁ、秋生さんのことがあって、ちょっと現実逃避したい気分っていうダケかもしれないけれど。



これから先、妖精たちと会話ができないのはやっぱり寂しいから。



あたしは本の一番後ろに載っている出版社を確認した。



都内の、一度は名前を聞いたことのある有名な出版社だ。



でも、いきなり問い合わせをして作者の個人情報を教えてもらえるとは、到底思えない。



どうしよう……。



ジッと出版社の住所見つめたあと、あたしは「あっ」と、ひらめいて声をあげた。



そうだ!



この作者にファンレターを送ればいいんだ!!



そして、その手紙に妖精が見えていたという内容を書けば、興味をもって返事をくれるんじゃないだろうか?



しかし、それは同時にたくさんのファンレターに埋もれてしまう可能性もあった。



内容だって、信じてもらえるとは限らない。



だけど、今のところあたしにできるのは、そのくらいのことだ。



思い立ったら即行動!



あたしは机の引き出しに無造作に突っ込んでいたレターセットを、1年ぶりくらいに取り出した。



そして、花柄の便せんにペンを走らせたのだった。

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