キミのこと信じたくない

十一歳の高校生

[ACT 1 吉津と千夏]

晴れ渡る初春の日!真新しい制服に身を包んだ後輩たち!どこかワクワクした顔の同級生たち!

「続いて、生徒会長挨拶」

…そして、そんな生徒たちの前で堂々とスピーチをする私!

なんて素晴らしい図なのかしら。そんなことを思いながら、私は壇上に登った。そして、ぐるりと烏合の衆の顔を見渡す。きちんと目を合わせて喋らなきゃ、意味ないもの。まあ、きちんと見たところで全員へのへのもへじにしか見えないんだけど。

と、嫌な目線にぶつかった。式典だというのに第一ボタンを開けた、キツネのような顔のその男子は、

「礼」

はっ。司会の声にしたがって礼をする。顔を上げると、またキツネと目が合った。キツネは満面の笑顔で片手をフリフリしている。

「………」

頬がひくついているのが自分でも分かる。だってそのキツネは、私の…

「…あの、会長?挨拶…」

副会長のカスミちゃんが背後から耳打ちしてくる。

あっ。忘れていたわ。

私はマイクを右手で掴んで、ニッと笑顔を浮かべて口を開いた。

「みなさん、おはようございます。新入生の皆さんは、ご入学おめでとうございます。私は青北高校生徒会長の高橋千夏です。ここ青北高校では、新入生の皆さんが期待しているような、大学進学のための勉強や、力の入った部活動に専念することができます。先輩たちも優しく…」

喋りながら周りを見渡すと、みんな感心しているように私を見ている。どうやらさっきの無言かます失態は流せたようだ。よかったよかった。全校生徒の前で失態をしてしまった暁には舌を噛んで死んでしまいたくなるだろう。

…まあ、キツネのことは許さないけれど。




始業式が終わり、後片付けをして体育館を後にしようとしたそのとき、渡り廊下に誰かが立っているのが見えた。

(誰かしら。生徒たちはホームルーム中のはずだし、生徒会の子たちも教室に戻ったはずなんだけど)

ぎゅっと目を細めてみると、そこにはキツネがいた。

(げえっ)

思わず声を上げそうになってしまい、慌てて口を塞ぐ。キツネはこちらには気づいていないようで、外を見つめている。まあこちらに気づいていないのなら、さっさと退散するのが吉でしょう。見つかったらきっと、いつものようにいじり倒されるだけだ。

私は気を取り直して、靴を脱ぎ、足音を立てないように歩き出した。スリッパを履いたらきっと、足音でバレてしまう。

そっと、そっと。衣ずれひとつ起こさないように。

前だけを見据えて歩き続ける。

すると、視界の端にキツネが見えてきた。よし、あとちょっとーーーー私は内心ほくそ笑む。

その瞬間、視界が反転した。

「えっ?」

「えっ?」

間抜けな声がふたつ、重なる。今度は横転する視界のど真ん中にキツネの顔が映る。口をあんぐり開けて、とても間抜け。

ズサァ…

静かな摩擦音とともに、真っ先に着地した両手両膝が熱を持った。

「………」

立ち上がれない私に、キツネは声を掛けた。

「…あの、どうしたの?スリッパも履かずに」

「…うふふ、ちょっとまあ色々あったのよ…」

しかし、1番間抜けなのはこの私だった。キツネから逃げようと忍者ぶってみてコケましたなんて、恥ずかしい。恥ずかしすぎて言えない。

「立たないの?」 

キツネが平然と聞いてくる。私はキッと顔を上げた。

「立てないのよ!」

「マジか」

キツネはうつ伏せの私を見てケタケタ笑う。それはまあ、楽しそうに、いささか笑いすぎではないかと思うほど。

「ちょっと、笑いすぎよ!」

文句を言うと、キツネは「ごめんごめん」と謝った。

息を整えて、ふう、とひと息つく。

そしてキツネはしゃがみ込み、私の片脇にヤツの片腕を差し込む。

「ふあっ!?」

「ちょっとごめんね」

「何を!?するつもり!?」

「何を、って…」キツネは半ば呆れたように説明する。

「立てない生徒会長サマを立たせる手伝いをしようとしただけだよ」

「あっ」私はやっと理解して、縮こまった。「なるほど、手伝おうと、してくれたのね…」

「そうだよ。さ、立つよ。いち、にの、さん!」

キツネの合図に合わせて、私はなんとか立ち上がった。スカートの裾をパンパン払ってなおす。

「あの、キツネ。ありがと…」

お礼を言うと、キツネは何故か複雑な顔をした。

「あのさ、高橋さん。俺の名前、キツネじゃなくて吉津きつだから!!」

「あれっ、そうだっけ」

「そうだよ!これ指摘すんの何回め!?」

「ごめんって。でもキツネでいいでしょう?キミ顔がキツネだし」

そう言うとキツネはぷうっと頬を膨らませた。

「よくないよ。顔がキツネって、ちょっと腹立つんだけど。俺結構モテるんだけどなぁ、自信無くすなぁ」

「あら、ごめんあそばせ。きっと皆キミの口のうまさに騙されているのよ」

冗談めかして謝ると、キツネは何故かニッコリとした。あら、結構いい笑顔。嫌な予感がするわ。

「高橋さん、今の自分の立場わかってる?」

キツネはそう聞くと、首を傾げた。もちろん笑顔はキープしたまま。

「俺高橋さんを脅してる側、高橋さんは脅されている側。あんまり俺をからかいすぎると、自分のためにならないよ?」

そう言って、キツネは私の手首を掴んだのだった。

「え!ちょっと!私教室戻らなきゃなんだけど!」

声を上げるも、キツネは気にならないといった様子だ。

前を向いているから顔は分からないけれど、明るい声でキツネは言う。

「えー別にいいじゃない、もう少し寄り道しようよ」

「でも…」

「高橋さん」キツネは一言、言った。「黙ってついてきて?じゃないと脅すよ?」

「くっ…」

私はぐうの音も出なかった。それでも噛み付かずにいられなかったのは、生まれつきの性であろうか。

「脅すよ、じゃなくって!既に脅されてるわよっ!」

前をゆくキツネの返事はあははという笑い声だけだった。余裕ある返事に屈辱を覚える。

このキツネに、私は結構前から、脅されている。




キツネは保健室の前まで私を連れて行くと、ガラガラと音を立てて引き戸を開けた。

「ワタナベせんせーい。怪我の手当てしてもらいたいんですけどー」

室内、カーテン越しに若い女性の声がする。

「はいはい、すぐ行くわ。というか、吉津くんが怪我なんて珍しいわね。怪我を負わせるなら分かるけど」

随分な言い草だ。コイツは一体、今まで何をしでかしてきたのだ。

キツネも言い方に思うところがあったらしく、若干顔がひきつっている、気がする。

「…怪我したの俺じゃないよ、この子」

と、中から若い女性が出てきた。なかなかの美人だ。

美人のワタナベ先生は、私を見るなり、大きな目をパチクリさせた。

「あれっ、その子生徒会長じゃないの。珍しいお客さんね」

「私のこと知ってるんですか?」

尋ねると、「もちろん」頷くワタナベ先生。

「容姿端麗、文武両道の生徒会長、高橋千夏さんよね?有名すぎて知らない方が驚きだわ」

(容姿端麗…さすが私、枕詞も一味違うわね)

「容姿端麗、文武両道…?」

キツネが疑う顔でこちらを見る。

「何よ」

「いや」キツネは一言言った。「何でもない」

ちょっとムッとした。いつもズケズケ言うくせに、何故そこでオブラートに包むのかしら。私が文武両道でないと言いたいわけ?

「まーまー、二人ともクールダウン。この険悪な空気をなんとかしてちょうだいよ」

ワタナベ先生が私たちの肩をポンポン叩く。

「何でもないって言ってるじゃないですかー」

キツネは不満げに先生の手をのける。先生はひひっと意地の悪い笑みをキツネに向けた。

「素直じゃないオトコは女に嫌われるわよーねぇ千夏ちゃん☆」

「え、ええ?」

急に振られて困っていると、キツネはぷいとそっぽを向いてしまった。

「別に不特定多数の女に嫌われてもいいですー。高橋さん、俺廊下にいるから、手当て終わったら呼んでね」

「うん」

「何でそこは即答よ」

キツネは口を尖らせて抗議する。…抗議しながら出ていった。

「不器用ねー」

ワタナベ先生は苦笑する。私には何のことかさっぱりだ。

「ええ?キツネがですか?むしろ器用そうですけど」

そう言うと、先生は苦笑した。

「ああ…うん、そうねぇ…」

先生は椅子に腰掛け、私も座るように促した。

「千夏ちゃんは吉津くんのどこらへんが器用だと思うの?」

先生が、消毒液を取り出しながら聞いてくる。

「えーっと…人を傷つけない立ち回りが上手いところとか…?」

「なるほどねー。あ、ちょっと染みるよ」

右膝に消毒液が垂らされる。ジンジンと針が刺さるような痛みがした。

先生はティッシュを膝にあてがい、私に目を合わせた。美人にじっと見られるととても緊張する。

「あのね、千夏ちゃん。吉津くんは確かに人を傷つけないけれど、それは、吉津くんがそれ以上人と関われないってことなのよ」

「…というと?」

「つまり、人と深く関わらなかったから、仲良くなる方法を知らないってこと」

「…なるほど?」

よく分からないまま頷くと、ワタナベ先生はケタケタ笑った。

「千夏ちゃん、よく分かってないでしょ」

図星だ。私は肩をすくめ、謝った。

「…はい。適当に頷きました。すみません」

「まーいいさ。千夏ちゃんに吉津くんのこと理解する義務はないしね。でも、これからもああやって吉津くんに関わって欲しいの。わたしから頼むことじゃないかもだけど」

「…はい」

不思議に思いながらも、頷いた。先生は眉を下げて笑った。

「ありがと。手当て終わったよー。足擦ってるから今日は長風呂はダメだよ」

「はーい」

「ところで」先生はにっこり足元を指さした。

「ずっと気になってたんだけど、何で靴下?」

「…あっ」

私は今さら気づいた。なぜ、スリッパを履かなかったのかしら!キツネに指摘されてたのに!

「あの、ええっと…」

「ん?」

先生が不思議そうに首を傾げる。

(やばいやばい、どうしよう)

焦ったそのとき、ガラリと引き戸が開いた。

「あー、それ俺のせい。高橋さん驚かそうと思って、下駄箱の影に潜んでたら、会長ものの見事にすっ転んじゃったの」

「えっ…」

思わずキツネの顔を見た。キツネは先生の方を見て余裕の笑みを浮かべている。

(どういうこと?今、キツネ、私のこと庇った?)

混乱していると、ワタナベ先生は眉をしかめ、キツネを見た。

「えー、それも吉津くんのせいなの?ダメじゃないの。今度からイタズラは安全なところでやりなさーい」

キツネはおかしそうに笑う。

「って、イタズラは注意しないのかよ。ハーイワカリマシター」

そう言って片手を上げるキツネに、先生は笑う。

「もー、ホント謝るときに茶化すんだから。千夏ちゃん、吉津くんに何かされたらすぐわたしに言うのよ?」

「は、はい」

私が頷くと、キツネは私の右手を握った。見上げると、キツネはニィッと笑っている。なんだかあどけない、年相応の笑顔だ。

「さ、行こう高橋さん」

私は戸惑いながら応えた。

「う、うん…行こう」

「ってーことで、俺ら教室戻るね。ありがとございますセンセー」

キツネはそう言って私を立ち上がらせた。先生はおかしそうに笑って手を振った。

「はーい、バイバーイ。また来てよヒマだから」

「はい、先生!」

私は元気よく返事をした。キツネは急かすように私を引っ張った。キツネにしては少し強引だ。

(どうしたのかしら、ホントに変だわ)

不思議に思いながら、私は保健室を後にした。




ガラリと戸を閉めると、ふう、とキツネはため息をついた。なんだか顔が険しい。

「高橋さん」

「な、なに?」

くるりと振り返ると、いつものにっこり笑顔だ。

「ワタナベ先生、なんか俺のこと言ってなかった?」

「えっ…と、うん、言ってたわよ。どういう意味かよく分からなかったけど」

ふーん、と目を細めるキツネ。いつもと同じような顔をしているのに、見られているこちらは居心地が悪い。

「なんて言ってた?」

「…素直に言うと思う?」

私がにっこり笑うと、キツネはふう、と肩をすくめた。

「言わないと思う。…俺には」

「よくわかっていらっしゃる」

「脅すよ、って言っても言わないんだろ?」

「もちろん。もう怯まないわ」

私が笑みを保ったまま言うと、キツネはにっこり笑ってまた、私の手を引いた。

「そっか。高橋さん、教室に戻ろう」

「ええ」私は頷いた。「戻りましょう」

そう言うと、グンっと引っ張られた。壁に追いこまれ、両腕をつかれる。いわゆる壁ドンというシチュエーションだが、ちっともときめかない。

真顔で顔を上げると、キツネはまさに、狐につままれたような笑顔をしていた。

「…ちょっと「怯えてるくせに」

私が言おうとしたことに、被せるようにキツネは言った。

「はっ?」

私が聞き返すと、キツネは目を伏せて、そっと私の右手を包む。これがどうして、キツネの手の方が痩せているはずなのに大きいのだ。

「手、震えてるよ高橋さん。ホントは俺のこと、怖いんじゃないの?」

ドクン、と心臓が脈打った。体が怖いと喚いてる気がした。ここから逃げ出したいと。

でも、私はそんなのおくびにも出さない。こんなときにまで見栄っ張りは発動するのかと、自分でも笑えてきた。

私は、まっすぐにキツネを見る。いつもひょうきんフェイスのキツネの顔は憂げだ。まつげが長くて、綺麗なカーブを描いている。そんなことまで考えられる自分が不思議だ。

その憂げな顔を、両手でぐにっと挟む。

「!?」

キツネは目を見開いた。いつものような余裕はどこ吹く風だ。

私はそんなキツネに、ニヤァッと笑いかけた。

「どの口が言ってるのかしら。私が震えてるですって?なぜ私がキツネを怖がるの、震えてなんかいないわ。むしろ、震えてるのはキツネのほうじゃないの?」

「はっ…!?」

キツネの声が裏返る。その隙をついて抜け出し、逆に壁に追い込む。

私はぎゅっとキツネの右手を握った。

「いででででで!高橋さん、痛い!俺そんな強く掴んでねーよ!!」

「ほら、震えてる。あのさキツネ。私はキツネのこと、うっとおしいとは思っているけれど、流石に怖いなんて思ってないから」

「う、うっとおしい…」

キツネがアゴを引きずり上げながら繰り返す。

「なに、ショックなの?」

「まあ、少しは?」

キツネがおどけて返す。多少、余裕が出てきたようだ。いつものキツネに戻ってきている。

「………」

キツネは何故か、目を逸らして口を覆った。表情は隠せてないが多分喜んでいる。

「え、なんでうっとおしいって言われたのに嬉しそうなの…」

私は少し引いて、キツネから手を離した。するとキツネは、慌てて弁解した。

「いやっ、違くて。俺はただ、キミが…」

「私が?なに?」

首を傾げると、キツネは頭をブンブン振った。

「…やっぱ何でもない!さあ、教室戻ろう!」

そう言って、歩き出してしまった。

「はあ!?私が何だったの、気になるでしょう!?あと壁ドンした謝罪をしなさいよ!初壁ドンだったのよー!?」

私はムカつきながらキツネの後を追った。


◯●◯


「じゃー、バイバイ高橋さん。俺も教室戻るね」

階段前で振り返ると、高橋さんはムスッとしていた。そりゃあ当然か。いきなり壁に追い込むし、自分の名前を出された話題を切り上げられるし。とても申し訳ないことをした。

高橋さんは俺のこと怖くないって言っていたけれど、それもきっと高橋さんの優しい嘘だ。高橋さん、なんだかんだいって優しいから…

(もう、会ってくれないかもしれない)

ふと、そんなことを思った。でもそれも、自分が悪い。

だから、寂しがったらいけない。

無理矢理笑顔を作りながら、高橋さんに背を向ける。足が鉛のように重い。それでも数歩歩き出したそのとき、何かが俺の肩を掴んだ。

「?」

振り返ると、そこには高橋さんが立っていた。未だムスッとした顔で、俺を真っ直ぐに見つめている。

「さっき何でキツネがあんなことしたのか分からないけれど。ホントに、怖いなんて思ってないから」

そう言って、ドンッと俺の背中を押す。めちゃくちゃ力強い。実はこの見栄っ張り美人はゴリラの子孫ではないのかと、ありえないことを考えてみる。

「だから!覚悟しておきなさいよ。次会ったときはアンタのメンツをメッキメキに壊してやるから!乙女の初壁ドンを奪ったその罪は重いわ!」

腰に手を当てて言った悪役めいたセリフに、思わず吹き出した。

「つ、罪って。その言葉のチョイスはどうなんだろう…」

「は?何を言ってるの。これは重罪よ、認めなさい!」

マジな顔で高橋さんは言っている。ああ、これだから高橋さんは…

俺はいつものようににっこり笑う。高橋さんの頬がひくついた。多分、次に俺がすることがわかったんだろう。

「あはは。分かったよ、重罪かぶるから。じゃ、またね〜」

そう言い残して、くるりと回って階段を登り始めた。

自分の口から出た言葉に驚いた。後ろは見えないけれど、多分、高橋さんも呆然としているだろう。

いつもならのらりくらりと謝ることから逃げていたはずの俺は、なぜか、自分の非を認めていた。

(…何でだ?)

階段を登りながら、俺は頭を悩ませた。

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キミのこと信じたくない 十一歳の高校生 @houkagonookujyou

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