第27話 最終回 永遠なる六歌仙
外国でも事情は同じだ。
十六世紀のイギリスでは、異母姉妹のメアリーとエリザベスが王位を争う時代があった。
もし、エリザベス女王付きの女官が「メアリー物語」を書いてメアリーの子孫が栄えるという小説を書いたらどうなるか。ロンドン塔あたりで首が飛んでいただろう。
この小説は虚構であり実在する人物、団体とは一切関係ありません、という言い訳が許されるのはつい最近のことだ。それまでは仮名であろうがなかろうが、死罪に相当する大罪であった。
まして源氏物語は、主人公を明記されている。
なぜ、日本だけがこんな無茶が許されたのか。日本には古来より怨霊信仰があり、敗者を称え怨霊を鎮める風習がある。古くは、アマテラスとオオクニヌシの関係である。オオクニヌシはアマテラスに日本国を献上し、自らは「永遠に隠れ」た。
アマテラスは、国を譲ったオオクニヌシに対しそのことに対する感謝とその怨念に対する鎮魂の意を込めて日本最大の神殿、出雲大社を築きオオクニヌシを「幽事」の神として崇め奉った。
実は伊勢神宮も、地主の神が天皇に仕えるという形式儀式が行われている。その後も日本は兄頼朝に殺された源義経、忠臣蔵の大石蔵之介、太平記の楠正成など無念の死を遂げた人物を誉め称えることをする。
日本人は非業の死を遂げた人々を鎮魂しようという気持ちがあり、それが現在物語が誕生した理由なのだ。言葉を換えていえば怨霊信仰があったからこそ世界文明の周辺地域でしかなかったからこそ日本に世界最初の「長編小説」が生まれたのである。
逆にいえば、日本は文明国でなかったから小説が書けたのである。小説はウソであり、正直真実を尊ぶ儒教からみれば背徳的な行為になる。
しかし日本はそれよりも鎮魂信仰があり、多くの鎮魂物語が出たのだ。竹取物語、伊勢物語、源氏物語、平家物語、これらは全て鎮魂物語である。モデルの小野小町、在原業平、源氏一族、平家一門は全て敗れた人物である。
物語とは、そもそも霊語りなのである。現に小野小町と在原業平は歌仙と物語で登場している。彼らは永遠に忘れられないよう、二重に残され今だに日本人に語り続けられている。
六歌仙という言葉は、日本人が忘れてはならない魂を古代の人々が残したメッセージなのである。
六歌仙という意味の重要性を、わたしたち日本人は忘れてはいけない。
小野小町降臨 @michiseason
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