第23話

彼らは役人の管理下で細々と暮らしていた。しかし荘園の荘預となれば役人の管理がなくなり自由に作物が作れ工芸品も造れ自由に商売もできる。富豪の輩

は誰もが荘預になりたがった。彼らは競って王族に近づこうとした。しかし王族な気まぐれでなかなか会うことができない。そこで王族に次ぐ権力を持つ藤原氏に目をつけた。藤原氏は王族より敷居が低くそして藤原は節操がなかった。しかも藤原氏は他の氏族が荘園を持つことは妨害した。藤原氏は幼い天皇を独占し何でもすることができた。良房は富豪の輩に藤原氏の荘園を造らせ寄進させた。その荘園で地域の特産品や工芸品を作らせ、これらの物質が商業的な性格を帯びるようになった。京都の富はいよいよ膨れ上がり、華々しさを増していった。藤原家だけが栄えた平安宮廷文化はこれによってできた

のである。藤原良房は富豪の輩を荘預として年貢を上納かせるシステムを今後藤原氏が独占的に取得できるよう変更し確立させた。この改革によって藤原 

氏の荘園はうなぎ登りに増え、他の氏族の荘園さえも吸収し、日本の口分田の制度は崩壊し、百年後には日本の荘園の半数は藤原氏のものといわれるまでに

拡大した。朝廷の財政は破綻し、各氏族が没落したのはこの良房の政策のせいだった。 朝廷も指を加えて見ていただけではなかった。しかし幼い清和天皇

は即位後も内裏に遷らずそのまま皇太子時代の居所である東宮に住み続けた。内裏に住み続けた。内裏に天皇がいないという過去に例をみない異常な事態が

この異例な背信行為を許すことになった。ついに朝廷はさまざまな雑事、賦役を含む律令制的な租庸調の習得を完全に放棄した。それを維持する財政が破綻

したからである。しかも今の軍隊や警察といった治安を確保する組織すら維持できなくなった。日本は警察すらいない世界的にも異常な国となり、外国に

攻められても対応できない危機管理すらできない国として失格な国となってしまった。国民の命を守ることが国の最低限の指名である。日本は最低限さえも

できなくなりこの結果、自分達の命は自分達で守るしかないという発想から武士がおこるのである。

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