第18話
文徳は承和十三年の政変以降、異例の出世をとげた伴善男を味方につけることに成功する。
善男は当初、反藤原では文徳と一致していたが小野小町などと手を組むことは拒否していた。名門意識が下級役人の考え方や意識を理解できなかったのである。文徳はそれでも根気づよくた天皇徳政の意義を善男に説いた。
善男は、最後には出世のために徳政に賛成した。良岑宗貞は、純粋に徳政に賛成した。
良岑家は天皇家と藤原本流、両方の血を受け継ぐサラブレッドである。
エリート街道を歩んでいた彼はこの徳政を率先して賛成することによってもう一歩上の大臣にるのも夢見ていた。
彼は、良房が実は徳政に反対しているのに気づかなかった。紀静子の弟、紀選之も姉から徳政の話を聞いて賛成した。父名虎を始め、紀一族はこぞって賛成した。徳政が実現すれば、紀一族の未来は明るい。紀名虎の姪と結婚した在原業平も、 この計画に乗った。
業平は、天皇家の皇族とはいえ傍系で文徳天皇との血縁は薄い。妻の紀一族との縁で天皇に近づくのが出世の近道だと考えていた。
彼は、歌が上手くてそのうえハンサムだった。彼は、天皇に認めてもらうのに必死だった。小野家や文屋康秀はもっと切実だった。彼ら実務役人たちには、目の前に大きな問題が立ちはだかっていた。原因は朝廷に入る年貢などの歳入が年々減り続けていたからだ。
その理由は、飢饉や天災で収穫が減ったのではなく社会構造の変化に伴う人材であった。かつては公地公民で農地は地方の国衙に年貢を納付し、朝廷に納められていた。
しかし、九世紀の頃から地方民衆の中から富豪の輩と呼ばれる人々が登場した。彼らは種籾の高利貸などによって実力を蓄えて、周辺の民衆の年貢租税を代納することを通じて民衆を隷属させていった。こういう富豪衆が京より国司として下ってきた王族に近づき荘園荘造りを手伝い荘園の荘長、荘預などの地位を獲得していった。
そして律令制の租税、租庸調の収奪から逃れ、富を王族や大臣などと分けあうようになっていった。
始めはそれ程大規模なものなどはなく、問題とはならなかった。
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