第17話

 おむつのとれない皇太子など、前例は一つしかない異常事態であった。惟喬が、健康で聡明に育っているだけに文徳天皇の悔しさはひとしおであった。

 しかも奇怪な事態はその後も連続して続き、朝廷は一気に変わっていく。 

 かつて奈良時代聖武天皇が生後二ヶ月で立太子した事例はあったが、これはそれに次ぐ記録である。

 この時は、皇子が一人しかいなかったからという事情があったからである。

 しかも惟仁は天安二年八月、わずか九歳で即位し、史上最年少の天皇となる。父文徳天皇の崩御による即位とはいえ、こうした幼少天皇の出現はきわめて異例といわねばならない。

 その背後に、良房がいたことはあきらかである。

 異例といえば、この清和天皇が即位後も内裏に遷らずそのまま皇太子時代の居所である東宮に住んだことも過去に例をみない。当然その間内裏は天皇不在であったわけで、まことに異例で異常な事態といわなければならない。

 藤原が天皇を囲い込み、実権を奪う体制がこうした事態の中で確立されたのである。 

 奇怪な事態といったのは、実は清和天皇のことでない。その父である文徳天皇の死因がまさに問題なのだ。

 文徳天皇の祖父である嵯峨上皇の死によって、良房は自分の妹婿である道康を皇太子に押し上げ、合わせて自分の出世にとって邪魔な存在である同族(藤原愛発)や他家(大伴氏、橘氏)を排除することができたのである。

 しかも仁明天皇の崩御で孫の惟仁を皇太子とし、文徳天皇の崩御によって良房は権力を手にいれることができた。

 三人の天皇の死去によって、ついに権力を手にいれた良房。彼にとって、最も都合のいいときに次々と天皇がこの世を去っていくのである。

 嵯峨上皇の死も、疑えば疑える。というのは嵯峨上皇の崩御に際して実に奇怪な事情があったのだ。

 話が脱線しすぎるので、もうこれ以上のことは書かないが、話を文徳天皇が即位した後に戻し、文徳天皇は即位後も天皇徳政の方法を模作していた。

 天皇となった彼は、人事権を持っていた。

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