第5話
自分と同じ局にいる先輩上司五人全てを追放すれば、自分の出世がそれだけ早くなると計算したのである。
ではどうやって追放するか?
それは上位の五人を何らかの形で罪に陥れ、免職に追い込むのが一番早い。
その機会がついに訪れた。
法隆寺の某僧が訴訟を起こした際、その訴訟の受理の手続きが法(律令)に違反しているとして、五人の先輩上司を左大臣に告発したのである。彼は当時すでに死文化していた律令の規定を持ち出し、某僧の訴えは法に違反しており、それを知りつつ受理した正躬王ら五人の弁官の行為も違法だと主張した。
そして、巧みな弁舌で五人を有罪としてしまった。善男自信には「判決」を下す権限はないのだが、この件について判断を任された明法家(法律学者)のうち無罪説の人々を全て論破したのだ。
しかも当時の法律では犯罪を「公罪」と「私罪」に分けていたが、このうち刑罰の重い「私罪」に陥れる事にも成功した。公罪とは公務上の事でも私利私欲によって犯したと判断されれば私罪となる。公罪ならば罰金刑だけで済むのだが、私罪と認定されると罰金の他に官位が降格される事になる。
さながら五人を追放するためには、ぜひとも私罪にしなければならない。善男はこれにも成功した。五人の弁官は降格されてその地位を失った。弁官局は各省の上にある大政官の組織の中にある公卿一歩手前の職種である。
当時すでに権力は各省の卿よりもっていたが、官位は各省のその地位を失った。弁官局は各省の上にある大政官の組織の中にある公卿一歩手前の職種である。
当時すでに権力は各省の卿よりもっていたが官位は各省の長官の卿や大宰府の長官の師より低かった。だから今と同じように他省よりの異動や地方に赴任している人が戻ってきたりしたのだが、善男は弁官での
最古参として実質上の実力者となり、出世も著しくはやまった。
日本は「和」の国である。たとえ「正しい」事でも「仲間」を告発する事には嫌悪感を示す人も少なくない。
しかし、彼はそれをやった。
だが彼が「言いがかり」とも言うべき法律論争を挑んで五人を追い落としたのは、単なる出世欲だけでなく、むしろ「報復」と考えるふしもある。
それは、この事件より四年前承和九年に起こった承和の変に関係がある。承和の変は嵯峨上皇の死によって起こった皇太子恒貞親王の追放劇であった。
問題はこの時、伴氏の有力者であった伴健岑が明らかに無実の罪で逮捕かれ、流罪に処せられたことである。
この伴健岑と橘逸勢に「有罪」の判決を下したのは他でもない、左大弁正躬王、右大弁和気真綱であった。
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