第4話 策謀

 

 三人の幸せな時間が流れている間、宮廷では熾烈な権力闘争が繰り広げられていた。

 仁明天皇は、当時流行していた中国の道教に由来する神仙思想(およびその中核にあった不老不死の仙薬とあう概念)の深い影響を受けていたのである。このような思想が、後に六歌仙という発想となり「竹取物語」で富士の高嶺で「不死の薬」を焼く事で終わることになる。

 しかしここで問題なのは849年、仁明天皇の四十歳の祝賀会に不死の「薬」を捧げる「天女」の 彫像が飾られていた事だった。仁明は藤原良房の弟、良相に自分で精錬した仙薬を与え、良相が躊躇せずに一挙に飲み干すしたので良相への信頼を深めたと

いう。

 このエピソードが示すように、良相が仁明の腹心の地位を獲得し、同じく仁明の近臣として中国風の宮廷文化振興の中心となった伴善男(後の大伴黒主)と親しい関係をもったことが、後に大きな影響をもたらすことになる。 伴善男は冤罪で罪をかぶった同族の復讐だけでなく天皇家を守る使命感に燃えていた。

 伴家は古来より天皇家につき従い、守る任務を与えられていた。今、天皇家は藤原家という寄生虫に栄養を吸いとらようとしている。伴家は氏族の名誉ど誇りをかけて天皇家を守らなければならない。伴善男は承和十三年、疑獄事件をおこした。これは善男が陰謀によって上司を陥れ、免職に追い込んだ事件であった。 

 当時善男は、弁官であった。弁官とは政府(大政官)に直属し、右と左、そして大・中・小に別れる。左弁官局は中務・式部・民部・治部の四省を統轄し、右弁官局は兵部・刑部・大蔵・宮内の四省を統轄する。もちろん各省には長官にあたる卿がいるのだが、弁官のほうが権力があった。彼は右弁官の小弁、つまり小弁であった。古代では「右」より「左」のほうが上位だから弁官としては最下位だが、弁官を勤め上げれば小納言、中納言への道が待っている。つまり弁官は出世コースの職種だった。

 今の制度と昔の制度との単純比較は難しいが、それでも敢えて比較するなら大政大臣が総理経験の重鎮、左大臣が総理大臣、右大臣が副総理、大納言が官房長官、中納言が幹事長などの重要閣僚、弁官はヒラの派閥や会派のトップ、彼は小弁だから立ち上げたばかりの新鋭の会派の長か幹部クラスということになる。

 それを彼は、とんでもない事を考えた。

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