第3話
吉子は静子を尊敬し、頼りきっていた。静子も吉子が見方でいてくれるのを嬉しく思っていた。
なにしろ宮中には恐ろしい魔物が棲んでいた。もう一人の踊り子だった藤原明子も入内しる予定だった。
彼女はお世辞でも綺麗とはいえず踊りも月並みの小肥りの女性だった。美しい衣装を着飾っているのが余計に容姿の平凡さを際立たせていた。
しかしひとたび宮中に入ると、とたんに身分の差が見えない壁が立ちはだかる。明子の後ろには藤原家がついており、どんないやがらせやいじめが待ち受けているか分からない。
静子にとっても味方が一人でも多くいるほうが安心だった。弱小貴族の娘にとって二人が協力する事が宮中で生き残る為の手段の一つであった。 紀静子が吉子と語り終わり、控えの間に入った時、一通の手紙が机の上に置いてあった。香しい香を焚き染めたこじゃれた美しい和紙に流れるような綺麗な文字で和歌が書かれいた。
忘らるる見をば思はずちかひつし
今ひとたびの逢う事もがな
静子は殿方の文を数え切れないほどいただいたが、こんな場所にまで文を置いてくるなんて大胆不敵な行為に驚いた。文の主は在原業平であった。業平は平城天皇の孫である。
平城天皇は藤原薬子の乱の責任をとって失脚し、力を失い天皇の本流から外された。直系の天皇の皇子ですら臣籍降下すれば、二代でほとんどが没落する。天皇傍系になった在原氏は何もしなければ自分の代で没落するのは確実だった。
彼は、なんとかして天皇家に気に入られようと必死だった。彼は早くも中宮候補に覚えてもらう有効な手を考えて、ここに文を置いたのだ。この作戦は成功し、業平は彼女に名を覚えてもらう事ができた。
そして十五年後、大嘗祭において同じ作戦を実行する。そして彼は中宮となる藤原高子と恋に落ち、駆け落ちする。
駆け落ちは失敗するが、その後高子が皇太后となり、息子の陽成天皇の時、彼女のたっての推薦で業平は頭人頭に出世する。子孫はその後、高揩家と存続し、六歌仙で唯一公家どして家名が残った家となった。
その頃藤原良房は、大嘗祭で明子が無事踊り終え満足していた。明子は踊り子三人の中では一番見劣りしていが、そんなことはどうでもよかった。彼はこれで明子を入内させ、天皇の皇子を産ませる事だった。
そしてその皇子を皇太子にするという計画を、早くも目論んでいた。
彼は道康親王即位の為、承和の変で仁明天皇の皇太子、恒貞親王の地位を剥奪させ、淳和派の橘逸勢と伴健岑ら貴族を失脚させた。この功績によって今や彼の権勢は絶大となっていた。彼の力で娘の明子を中宮にする事も造作ないものとなっている。
後は皇太子の道康親王が、明子の元に通うようにするだけである。彼は道康親王の周囲を自分の息のかかったものたちで固めさせ、明子の元に通っていただけるよう、いろいろ策をめぐらしていた。彼は明子によく踊ったと褒め、後は全て父親の自分に任せるよういい含めていた。
父親に褒められた明子は嬉しく思い、入内するのを心待ちにするのだった。明子は親に似ず、純粋で素直であった。
紀静子、小野吉子、藤原明子の三人は入内し、道康皇太子の妃となった。道康皇太子は、その中で最も紀静子を愛した。彼女は、道康皇太子の理想の女性だった。教養も知性も申し分なく、その上絶世の美貌の持ち主だった。きめこまやかで何事にも行き届く気遣いで、彼にとって最高の女性と感じるようになった。
更衣である小野吉子も静子が相手では勝てないと負けを認めていた。 吉子はそれでも静子を慕っていた。彼女は静子の部屋に道康がいない時、よく部屋を訪ねてお話しをした。静子も吉子の部屋に訪れて、喋ってはそれから何度も訪ねていた。
そうして、二人は双方の部屋を訪ね合う本当に仲の良い親友となっていった。楽しい雰囲気で二人が会っている時、道康と偶然鉢合わせをしても気まずい空気が漂うことはなかった。
道康は、徐々に吉子にも気が向くようになった。道康、静子、吉子の三人は仲良くなっていった。三人はこの幸せな時はまだ続いていくと考えていた。
しかしその間に徐々に情勢は変化し、時代はゆっくりと動き始めいた。
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